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Classic Music Diary

Vivaldi‘s Women

2022.08.31 12:55

La Serenissima  (Signum Classic) 96Khz/24bit

タイトルの『Vivaldi’s Women』はどうして女性が単数でなく複数なのだろうか?

司祭にも拘らず愛人と同棲したりしていたヴィヴァルディのことなので相手が何人もいたからなのかと思ったりもしたが、クラシックのアルバムタイトルなのでそんなことはないだろうと由来を調べてみるとヴェネチアの『ピエタ慈善院』の合奏・合唱団、“Figlie di Coro(合唱団の娘たち)”の為にヴィヴァルディが書いた作品集だった。

ピエタ慈善院。日本語では孤児院といったほうが合っているかもしれない。1346年にベネチア共和国に設立された孤児を養育するための施設でもちろん修道院付属。当時から『赤ちゃんポスト』なるものも設置して棄児の養護にもあたったそうだ。この慈善院が後に有名になったのは付属する『合奏・合唱団の娘たち』による。

通常男子の場合は16歳で慈善院を出る決まりだが、女の子の場合は音楽の才能があるならば集中的に訓練をしてその一団に加わることが可能だった。

1678年同じヴェネチア生まれのヴィヴァルディは15歳で司祭になり、1703年にからこの合奏・合唱団の指導に携わりヴァイオリンの教師、作曲家として断続的に30年ほど働いた。

既に有名ではあったが、彼の指導のおかげで技術水準は飛躍的に上がり、また『娘たち』の為に作曲も多くしたためこの合唱合奏団は名声を高め貴族の子弟までもが入るようになったそうだ。

ヴィヴァルディはここで初期の成功を収めて、30代には更に自分の作品を売り込むために興行を始め大きな成功を収めるのだが、50歳以降はその興行も失敗続きで最後はなぜかウィーンに行き、貧民墓地にまとめて埋葬されていたのが発見されたのは200年後だという。いったい誰が探したのだろうか。

ヴィヴァルディはこの頃の著名な作曲家には珍しく教会付きの音楽家にはならなかったため教会用の宗教音楽は書かなかったのだがピエタは別のようだ。ヴィヴァルディの人生についてはよくわかっていない事が多いらしく改めて興味を持たせてくれた。

司祭という僧籍を持ちつつ欲望をもって俗世間に生きた、どこか人間臭くて好感が持てるヴィヴァルディの数少ない神聖?な音楽。

2022-1110