多様化するお守りって本当にいいことなの?
実は、江戸時代のお守り頒布は「奉行所の許可」が必要だった
神符守札の制度
―江戸時代は、寺社奉行に配札の願書をだして免状が必要だった(無免許のインチキ札屋の防止、今でいうダフ屋、諸社の配札が濫りになるのを取り締まる、各社の特権を保護した)
明治
―明治4年太政官布告「臣民一般、出生の子あらば、その由を戸長に届け、必ず神社に参らしめ、その神社の守り札を受け、所持致すべきこと」「死亡せしものは戸長に届け、その守札を、戸長より神官にもどすべし」「守札焼失又は紛失せし者あらば、その戸長にその事実を糺して相違なきを証し、改めて申しうくべし」と、国民全体に所持させて戸籍と身分の証明にしようとしたが、これは不可能な制度だった。
―明治7年教部省達「人民の請求に応じ、祈祷を行い、神符を授くるは、各々その社頭に於いて施行候儀につき、代人差出し配札致し候儀は、ほかの管内はもちろん、その地方と雖も、すべて管轄庁の許可を受くべく候」と神符守札の授与は、各々その社頭においてなすことを原則とした。のちに「氏子への配授の儀はこの限りにあらず」となった。
―明治15年内務省達「守札に関する件」「神社寺院の守札とみとめるべきもの及び神仏号を記載せる画像は、その神社寺院の外出版相ならず儀と心うべきこの旨相達し候事・・・」昔は出版物の扱いを受けて、神仏の画像等はその神社など以外は出版できなかった。
―明治38年内務省令「神仏の参拝其の他の代理周旋行為取締の件」「第1条・・神符守札其の他の物品の請受に関する代理または周旋を為す行為にして、財物を受けんとし因って公安を害するの虞ありと認むるものは庁府県長官に於いて之を禁止しまたは制限することを得」禁止及び制限の効力は全国に及ぶ「第2条(罰金)」により、いまでも注意しているが、代理でお守りをうけてくる、またあっせんするなどで手数料などをとろうとうする行為は禁止または制限され、罰金の対象であった。
―大正2年内務省令「官国幣社以下神社の祭神、神社名、社格、明細帳、境内、創立、移転、廃合、参拝、寄付金、神札等に関する件」で神札授与のため出張所を設ける場合、地方長官への届け出が必要となった。あまり実例がなかった。
―大正2年内務省訓令「官国幣社以下神社神職奉務規則」「第5条 神札は氏子または崇敬者以外の者に之を配授することを得ず、但し、その請求により、これを授与するを妨げず」とあり、今のようにネットでお守りを頒布することは許されなかった。
―大正2年通牒「神職奉務規則に関すること」「神札の授与に従事する職員は常にその服装、態度に注意していやしくも不体裁等のことあるべからず」と、神職については神札の神聖さ、尊厳を損なわないように注意がなされていた。