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世界は逆さまに見えていた

食べられる人参の見つけ方

2022.09.18 01:00


ほとんどの人がそうであるように、

わたしは 自分が知っている

自分が正しいと思うやり方で

自分の人生をよりよくするために

これまで生きてきた。



でも どれだけがんばっても

欠乏感や渇望感は

胸の真ん中の少し上あたりに

小さなしこりになって残ったまんまだし、

相変わらず目の前にぶら下がっている人参は

いつまでたっても食べられない。


それでも

ほかに方法を知らないから

追い続けるしかない。



気づいたら

ぶら下がってた人参は

すっかり干からびていて

食べられそうにもない。


この人参、もうダメになってる。

どっかにいい人参ないかなぁ。

あの人が持ってる人参、おいしそうだなぁ。と、

またちがう人参を探しに行く。



食べられる日なんて来ないのに。




そんな時、この世界とは別の

もうひとつの世界があることを知った。


もう人参を探さなくても

必死に追いかけて手に入れなくても

今すぐ人参を食べられる世界があるのなら

そんな世界、知りたい!

そんな世界、見てみたい!

そんな世界で生きてみたい!

ぜったい知ってやる!って思った。



そうは思っても しばらくは

そうであってほしいという気持ちと

そんなわけないという気持ちが

入れ替わり立ち替わりやってきて

グラグラ揺れることも少なくなかった。



そうやって揺れるたび、

目の前にぶら下がっていた

干からびた人参を思い出す。


食べられる日が来ない人参を、

そうとは知らずに追いかけていたことを知って

絶望した日のことを思い出す。


この世界の仕組みを知って

それを受け入れるということは、

わたしが知ってるやり方や

わたしが正しいと思うやり方、

わたしが持っている常識や

わたしが思っている最善は

ぜんぶ置いていくことなんだと思い直す。



そんなことを何度も繰り返して、

そうであってもなくても それすら

どっちでもいいと思えるようになった頃、

わたしの足元にはおいしそうな人参が

ゴロゴロ転がっていた。



そしてこれは、

誰にでも当てはまるふつうの話。


食べられる人参を見つけるのは、

自分が持っているものが

食べられる人参だと気づくこと。だけ。