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死と再生

2018.02.16 07:59

http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Icho/4875/kangae/kangae_02.htm  より

ユング心理学の本を読んでいて「死と再生」というテーマにたびたび出会うことに気がつきました。

ここでいう「死」は肉体的な死を意味するのではなく、象徴的な「死」のことです。それは、「ひとつの世界から他の世界への変容を意味し、古い世界の秩序や組織の破壊を意味」しています。

象徴の世界の「死」は肉体の死と直接結びついているものではなく、ある人が象徴的な死を繰り返し体験しても、肉体的生命は生き続けていることが多いのだそうです。

ユング心理学では、たとえば「結婚」は娘にとっては処女性が失われるという死の体験であり、両親にとっては娘が失われる死の体験という、2重の死が含まれていると考えます。

肉体的な死と象徴的な死はかならず結びつくものではないですが、微妙なかかわりを持つものでもあるといいます。生死をさまよう体験をしたときに、それを転機としてそれ以降の人生が大きく変わるようなことがそうです。これは特別新しい考え方ではないですよね。夏目漱石が生死をさまよう大病をわずらったあとでその後の作品が変わっていった例、また精神科医であった神谷美恵子さんが若い頃結核になったが自分が死ななかったことが心の中で大きな部分を占めていたこと、作家の辻邦生さんも生死に関わる病気をしていたことがその後の作品に影響を与えていると思います。

このような死と再生のテーマを、河合隼雄さんが自殺との関わりについて述べたものがありました。自殺しようとする人が、象徴的な意味での死の体験を求めていることについてです。人は深い意味での死の体験によって、次の次元に生まれ変わることができる。このような体験を求めたが、しきれなかった(死の体験をしそこなった)ために自殺未遂を繰り返すことになるというものでした。

深い意味での死の体験には充分な自我の力が必要になるといいます。自我の力がそのときに充分強いかどうかで、ひとりでその体験を行ったり、セラピストの力が必要であったり、または今はそのときではないとして、それが肉体的な死の体験へつながってしまうことを予防するのだそうです。

死の体験はいちどすれば終わるのではなく、その体験を繰り返しながら長い成長の過程をたどっていくものでもあるそうです。

自殺が精神の再生や新生を願って行われることもあるという考え方は、自殺がすべてそのようなものと考えるのではないですし、自殺をすすめるものでもありません。ここで私が伝えたかったのは象徴的な死の体験が、次の次元へ生まれ変わる意味をもっていること、そう考えることで自分自身の「死」についての考えに何かが加わったように感じたことです。

死と再生についてのテーマは私にはまだよくわかっていなくて説明できない部分も多いです。また、みなさんそれぞれのとらえかたもあると思います。このテーマについてもっとよく知りたい方は、ユング心理学やその他死と再生に関する本を読んでみてください。

私が参考にした本は、少し古い本ですが、「絵本と童話のユング心理学」(朝日カルチャーブックス)山中康裕/大阪書籍/1986年、「カウンセリングと人間性」河合隼雄/創元社/1975年 です。[10.Mar.2002]