仏教の死生観と心理 療法 その1
http://www.sapporootani.ac.jp/file/contents/989/8103/kiyo_tan40_01Oota.pdf#search=%27%E5%BF%83%E7%90%86%E7%99%82%E6%B3%95%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A6%E3%80%8C%E6%AD%BB%E3%81%A8%E5%86%8D%E7%94%9F%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%B1%A1%E5%BE%B4%E9%81%8E%E7%A8%8B%E3%81%AF%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%AE%B9%E9%81%8E%E7%A8%8B%27 より
はじめに
本論は,平成22年1月31日に開催された「第2回保育心理研究会」(社団法人大谷保育協会主催)における記念講演をもとに,その概要を論述したものである。
大谷保育協会が認証を行う保育心理士とは,保育現場において集団生活に適応することが難しい子どもや,心や身体に障害を持っている子どもに対して,専門的知識と保育技術をもって関わる専門職を意味し,その資格はこれらの子どもの治療や保護者の指導に関して,所定の専門的学習を修めた人に与えられる(『保育心理士受講者手帳』)というものである。
「子どもの治療や保護者の指導」に関する専門的学習を修めた者が言うところの「保育心理士」であるとするなら,そこには臨床心理学におけると同様の治療目的が存するはずである。言い換えれば,何をもって「治癒」したと言えるのかという,哲学的な命題が存するのである。
筆者自身の 20年以上に及ぶ臨床活動において,常に課題となっていたことは,実はこのことであった。症状を取ることや集団への帰属,あるいは日常性の回復ということが,果たして治癒そのものだと言えるのか,という疑問である。
これに関しては,以下の通り,すでにいくつかの論考を発表してきた。
「真宗における心の教育」
斎藤昭俊編『仏教における心の教育の研究』新人物往来社(平成13年1月)所収
「現代のライフサイクルと仏教の死生観」
京都光華女子大学真宗文化研究所編『生老病死の教育観 ―얨仏教と心理療法 ―얨』
自照社出版(平成13年3月)所収
「真宗の死生観」
同上
「仏教教育と心理療法のあいだ」
単著,日本仏教教育学研究第9号 pp.11-32(平成13年3月)
「他力の心理臨床」
単著,真宗文化(真宗文化研究所年報)第 16号 pp.129-147(平成19年3月)
そして今回は,「保育心理」の立場からこの課題に向き合ってみたのである。
講演テーマの「保育心理士と宗教」という場合,「宗教」には趣意として「宗教的ライフサイクル」ひいては「宗教的死生観」の意味が込められていた。
そこでこの度,論文に纏めるにあたっては,筆者の考える仏教的ライフサイクルとしての「人生の四季」(後掲)
の論述を中心に,臨床家の保持すべき人間観・死生観について考究した。
よって論文題目としては,「仏教の死生観と心理療法」とした。
1.フロイトとユングの人間観
フロイト,S(1856-1939)の精神分析的性格形成論 psychoanalyticethoplastismによれば,性格形成の段階として次の7期を挙げている。
1) 口唇期 oral phase(~1.5才)
この期に起因する症例:固着 fixation→口唇性格
2)肛門期 anal phase(~3・4才)
この期に起因する症例:強迫性格 obsessive-compulsive personality→肛門性格
3)男根期 phallic phase(~6・7才)
この期に起因する症例:エディプス・コンプレックスによる去勢不安 両親への両向的感情(超自我の形成)
4) 潜伏期 latencyperiod(~思春期)
心的エネルギー(libido)が家庭外に向く
5) 性器期 genital phase(~11・12才)
身体的成熟
쒄6)青年期
쒅7)成人期
新生児は最初「口唇期」とされ,口唇で世界と繫がる。次に3~4才の「肛門期」になると,トイレット・トレーニングが行われ,出し入れのコントロール能力を獲得する。次の「男根期」は,いわゆる第一次性徴期に相当し,男子が初めて自分が男であることに気づく時期である。女子の場合は,男根の欠如によって性差を自覚する。その後しばらくはリビドー(心的エネルギー)が家庭外に向いていく「潜伏期」に入り,11~12歳くらいまで持続する。両親に対しては肯定的感情が持続し,単純な家庭観を保持し続ける。それを経て「性器期」と言われる第二次性徴期に移行する。身体的成熟期を迎えて,女子は初潮を経験し,男子も精通現象を経て,子どもを産み育てられる人間となる。
フロイトの精神分析的性格形成論では,その後の「青年期」「成人期」も含んで,発達のゴールは「性器期」と考えられた観がある。極端に言えば人間の完成をこの時期とみたのであり,それ故か中年以後のことには全く触れられていない。
1,2,3それに4期には,それぞれ性愛を象徴する器官の名称が充てられ,このことからもフロイトの人間観の最初は,まさしく「性の器」として産み・産ませる「種」としてのそれであることがわかる。
一方,フロイトの共同研究者であったユング,C,G(1875-1961)は,人間の完成は中年の危機を経た人生の後半においてなされると考えた節がある。
ユングは自らの中年期において,分裂症のクライエントの治療に従事しながら,自分自身にもそのクライエントの症状が乗り移ってくるような「内的不確実な時期」を経験する。その時の状況を,まさに「中年の危機 mid-agecrisis」と呼んだ。
女性にとっては,更年期がそれに当たるであろう。中年の危機というのは,社会人としての役割や男女の問題などではなく,それが一端破綻する時期であるといえる。
種としての役割はすでに終り,性差を超えた「人間」そのものとしての課題を背負わされていくのが,中年の危機に象徴されるのではなかろうか。
ユングの理論は,我々が人生の後半に直面する課題は,「人間は何のために生きるのか」「自分は何のために生きるのか」「何を目的に生きるのか」「死にはどういう意味があるのか」という問題と向き合うことを示唆している。
我々自身が持っている独自の個性に目覚めて,それらが十分に機能するように生き切り,そして最終的には死
そのものをも受け入れていくという心の全体性の獲得を,ユングは主張したのである。
つまり,意識の世界だけでなく,無意識の世界にもどんどん目を開いて,十全に機能する総合的な心の広さを目指していこうというのが,ユングの治療理論である。そのプロセスを「個性化の過程 individuationprocess」と呼び,心の全体性を獲得することを「自己実現 self-realization」と呼んだのである。
そういう意味では,宗教が本来問題にしてきた「人間は何のために生きるのか」という視点に,最終的に行き着いたのがユングの治療理論であるということが言える。
言い換えれば,宗教的な人間観こそが,ユングの治療理論を支えているのである。