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Baby教室シオ

偉人『島秀雄』

2022.09.23 00:00

『島秀雄』の名前に聞き覚えのある方は鉄道ファンか、日本経済の歴史に詳しい方か、書籍『新幹線を作った男 島秀雄物語』読んだことがある方かもしれません。新幹線に乗るたびに島秀雄氏の名前を出す夫の影響で彼の存在を知った私ですが、それから彼の幼少期を知ることになり、子に見せる親の姿の重要性は世代を超えると痛感している。今回は島秀雄氏を通して彼が受けた親の教えの素晴らしさが3世代をしっかりと結びつけたことを考えてみる。

島秀雄は1901年鉄道員で数々の機関車を設計した父安次郎と母順の長男として大阪で誕生する。無類の勉強好きなこの父安次郎の影響を大きく受け育った秀雄は、幼くしてよく遊びよく学べということを自然と実践し周りの大人が感心するほどであった。ある日そんな秀雄の姿を見た知人が父安次郎に「どの様に言い聞かせをしているのですか?」と尋ねた。すると、安二郎はこの様に語ったいう。「特に何もしていません。ただ私の真似事をしているのかもしれません。」

この言葉は幼児教育に携わるものとして「私自身もこうでありたい」と身を引き締目なくてはと思うのである。

また安次郎は4人の子供たちにこうも語り聞かせていた。「勉強とは自分一人のためにするものではない。自分のために学んだのではなく、みんなに役立てるため学ばせてもらったのだと考えなければならないのです。」そして父安次郎は自らの職場に英夫を同行させ、坂道を登る鉄道に必要なものは何か、解決するためにはどうすべきかを考えさせ『問題があっても解決方法を考える』『どのような結果や問題が立ちはだかろうとも先を見据えて努力する』ことの重要性を教えたのである。

また妻が「子供たちが安次郎と同じ工学の道に進めばいいですね」と言葉を投げかけた時には、「子供たちが自分の将来を自分自身で決めればそれで良いと思っている。ただ子供が工学の道に進みたいと言い出した時のためにさまざまな機械を見せておきたいと考えている。」と語ったそうである。

秀雄は父安次郎に「これからの日本が世界に太刀打ちできるものは何か」と質問し、父の意見を聞き、自分自身の意見をしっかりと固め「建築家かもしくは鉄道技師になりたい。」と話したそうである。そこから秀雄はもう勉強をし東京帝国大学工学部機械工学科に入学し、卒業後は鉄道省に勤めたのである。父の言葉通り秀雄は学んだことを多くの人のために活かせるよう尽力し、名機関車呼ばれたD51形を誕生させ、その後夢の新幹線を開通させたのである。この2つの大事業の成功にはいくつもの失敗や困難がつきものであったが、その度に父から教わった『問題が立ちはだかった時には解決策を考える』ことを実践し成功へと導き出してきたのである。

後に秀雄は宇宙開発事業団初代理事長の職に就き、研究者たちの良き理解者として励まし最先端高機能技術より安全性と信頼性を重視したロケットと人工衛星の開発に尽力したのである。鉄道とは無縁の宇宙開発を成功へと導くことができたのもやはり父の教えが深く刻み込まれていたからに違いない。

父安次郎は秀雄が幼少期にしてすでに鉄道に関する興味や関心が芽生えていたことは想像できたであろうが、実は秀雄の息子隆氏は台湾新幹線の設立に尽力されている。3世代が同じ鉄道の夢を抱きそれを実現していることは、単なる偶然ではなく環境の成せる技である。

人生には山があれば谷もある、表があれば裏がある、プラスの考えをするときもあればマイナスに意識が向くことさえある。しかし何かに直面する度に不安や不満、憂いを口にするのではなく、まず全てを受け入れて解決する術を考えてみることこそが、子供に教えることができる素晴らしい教えだと思うのである。私も島安次郎のように子供に教えを解き伝えてきたつもりである。良い流れが親から子へ、子から孫へと受け継がれることを密かに望み期待している。