山の神に嫁ぐ
死んだ祖父に聞いた話。 祖父の祖母の時代というから、大正か明治だかの話だと思う。
祖母が住んでいた町で、ある朝、娘さんがいなくなった。 一緒に寝ていた兄弟たちも少しも気付かなかったそうだ。
町内で評判の美人だったから、町は騒然となった。 駆け落ちか、神隠しか、人攫いに攫われたかと、心当たりはおろか、川や山を探したが見つからない。 娘の母親は心配のあまり寝込んでしまったそうだ。
ある夜、母親の夢枕にいなくなった娘さんが立った。 突然姿を消したことを侘び、自分は嫁いだ身だからもう帰れないが、元気を出してくれと言ったそうだ。
母親は驚いて、「本当か?駆け落ちでもしたのか?相手は誰だ?都会の学生か?」と聞いた。
娘さんは首を振って、相手は言えないが、悪い人ではないからと言う。 母親はそれでも「一度でいいから帰って来い、悪いようにはしないから」と言ったが、 娘は、もう会えない、帰れない、自分は嫁いでしまったから、と繰り返した。
嘆く母親に、自分とわかる形見を残したから、きっと受け取ってくれと念を押して、娘は消えた。 身なりもいいし、やつれた風でもなかったが、ずっと口元を隠していたそうだ。
それから暫くして、家族が警察に呼ばれた。 犯人が警察に送りつけた挑戦状だと見せられたのは、一揃いの人間の歯だったそうだ。 ただ、左右の糸切り歯と対の下の歯がなかった。
親は町の人間は、それを見て納得した。 娘は器量良しだったから、山の神の嫁に取られてしまったの。 嫁に行っていらなくなった歯を、形見代わりに返してきたんだと。 昔から7.80年かに一度、そういうことがあったらしい。
それで、娘のいなくなった日を命日として、警察から下げてもらった歯を形見として墓に入れたんだそうだ。 警察では、そんな迷信が今時あるものかと随分捜査したそうだが、結局娘さんは見つからなかったんだってさ。
祖父の祖母は、昔語りに「女の子はあんまり器量よしでもいけない。山の神に取られるから」と祖父に言ったそうだ。
祖父に聞いたところによると、山の神に嫁ぐと人間は歯は抜け落ちるんだと。
「人間だって、子供の歯が大人の歯に代わるときに抜け落ちるだろう。それと一緒だ」と祖父に言われた。 ただ、糸切り歯とその下の歯(犬歯?)はそのままらしい。
祖父は祖父の祖母に、その家が何処だかも聞いていたそうだ。(俺に言っても判らないからと教えてくれなかったが) その家は山の神に嫁入った娘の家族ということで、妹や弟はいい縁談があったんだってさ。
戦争の時に、兵隊にとられたその家の息子が無事に帰ってきたときには、
「やっぱり山の神の縁者だな、守ってもらえたんだな」と噂になったとか言ってた。