いにしえの正月
旧暦の正月元旦はどうお過ごしでしたか?
現在の日本の正月はヨーロッパなグレゴリオ暦。
それは明治維新を機に改暦論がだされたそうで、
天保暦の精度そのものは既に
ヨーロッパのグレゴリオ暦の水準に
匹敵していたがのにもかかわらず、
明治政府は明治5年11月9日(1872年12月9日)に
突如明治天皇の詔書と太政官布告を発し、
明治5年12月3日をもって新暦(グレゴリオ暦)の
明治6年1月1日とすることを宣言。
これは幕末の洋学者による太陽暦改暦論の存在や
欧米諸国との関係の拡大という
現実を考えてのことだったそうです。
その一方で1000年以上、月の満ち欠けに従って
毎月の生活リズムを形成してきた
多くの一般の日本人の前に、
月の満ち欠けとは全く無関係な
新たな暦が出現する事となり、
人々に動揺を与えたに違いありません。
これは、かつて貞享暦の改暦者、
渋川が月の満ち欠けを無視した太陽暦の暦法を
「怪異の甚し、蓋し蛮人之異毒か」と糾弾。
専門家ですら受け入れられなかった暦法を
突如、改暦を押し付けられた民衆は
困惑を極めたのでしょう。
そのため、改暦直後は新暦と旧暦が
両方用いられるなどの混乱が生じた。
ともあれ、この明治6年(1873年)1月1日以後、
欧米と同じグレゴリオ暦が採用されて、
今日まで日本の暦法として用いられているのです。
という経緯から、日本人には
あまり馴染みなくなった2月の正月
アジア諸国の「正月」は「旧正月」を指します。
本来「正月」とは「旧暦1月」のことを指し、
日本以外の国では「旧正月」という言葉は無く、
僕が住んでいた中国では「春節」と呼ばれ、
韓国では「ソルテル」ベトナムでは「テト」
と呼ばれる伝統的な正月を祝う
風習が残っているそうです。
日本の風習やこの場の中にはまだ、
「お月見」や「中秋の名月」「望月」など
言葉のなかには天保歴の名残りが
存在しているように思えます。
中国の春節は住んでいた地域が
北の大地だったこともあり、
マイナス10度ほどの極寒の中、
マンションやお店などの表通りで
5メートル程もある爆竹や
大型の連発ロケット花火を乱連発。
ですので、火事が頻発する時期でもありました。
その花火を見物しに行こうものなら
飛び散る火花でダウンジャケットが
細かな穴だらけになることは必至でした。
あまりにも豪快すぎて翌朝の道はご覧の通り
大気汚染などを機にする意見もあり
現在では花火や爆竹の使用を控えるような
風潮にもなってきているようです。
そもそも旧暦とは太陰太陽暦という
月のリズムによるカレンダー。
はじまりである昨日は新月でもありました。
新月は元々、「過去の流れをリセットし、
新たな始まりを意味する日」なのだそうで、
一年の計は元旦にありと言いますから、
気分を新たに新鮮な気持ちで、
今年一年について思いを馳せてみてくださいね。