帝国の時代23-ポーランド1月蜂起
2022.09.05 11:07
アレクサンドル2世の改革で、属邦ポーランドもいくばくかの自治を得た。しかしこれは火に油を注ぐ結果となった。イタリア統一に刺激されてポーランドもと思うのも自然である。大規模なデモが起こり、ロシア派遣のポーランド副王は戒厳令を敷いたが、それも逆効果となった。
1863年1月22日、ポーランドの青年がロシア帝国軍に徴兵されるのをきっかけに、1月蜂起が起きた。大国世論は支持したが、騒乱が飛び火するのを恐れた各国政府は、ダブルスタンダードの沈黙をした。反乱者はナポレオン3世に期待したが、イタリア戦争の戦闘で失敗した皇帝は動かなかった。
まして自国も分割の恩恵にあずかっているプロイセン、オーストリアは反乱などとんでもない。なんとプロイセン首相ビスマルクは、普領ポーランドのロシア軍通過を承認し、軍事協定を締結した。実はフランスもロシアに自治拡大を求めていて、ビスマルクはその先手を打った。
しかしポーランド蜂起はゲリラ戦となって1年以上継続した。アレクサンドル2世の改革路線は、ベルラーシやウクライナでも反乱を呼び起こし、ロシア皇帝はお定まりのように自由拡大を改め、抑圧路線に転換することになる。反乱参加者にはシベリア送りが待っており、ポーランドのロシア化が進行する。