偉人『草間彌生』
彼女の作品はその強烈なインパクトと大胆な美しさ、そしてどことない愛らしさが魂に訴えかけてくる。しかしそれらがあるかと思えば渋さや怖さもありこれぞ草間彌生ワールドだと展示会に行けばそう感じ、彼女の作品集を何度も開いては新鮮さを感じるのである。
1929年3月22日長野県松本市の種苗業を営む裕福な家庭の4人兄弟の末っ子として誕生する。現在93歳の草間氏だが以下の幼い頃の写真からも分かるように、大変裕福な家庭に生まれ育つ。しかしこれだけの情報では恵まれた人生を送ってきたのであろうと想像してしまうのであるが、自叙伝を読んでみるとかなり精神的に追い詰められた人生であったことがわかる。読みながら言葉に詰まる描写もあり、彼女の今の人生を構築するためにこんなにも苦しい人生を歩まなくてはならなかったのかとさえ同情以上に憐れみさえ感じてしまう。がしかしその精神的艱難辛苦は凡人の私には想像すらできないものが、現在もなお彼女の中に沸々と存在すているのだろう。
下の写真をご覧いただこう。ダリアであろうか大きな大輪の花を手にし写真に映るその表情は物悲しそうでもあり、無表情にも見える。父は母の実家である種苗を手広く行う家に婿養子として入ったものの、放蕩を繰り返し酒に溺れるだけではなく色恋に耽り、その父の後ろをついて追いかけ一部始終を母に報告するように彌生は母に命じられていた。母はその父の行動に苛立ちを見せ、精神的ストレスを抱え常に情緒不安定でヒステリックになり弥生に当たり散らした。それだけではなく父母ともに彌生に対して虐待を行っていたのである。
彌生はやがて精神に異常をきたすようになる。視界が水玉や網目で埋め尽くされ、動植物が人間の言葉で彼女に話しかけてくる幻覚に襲われ、その恐怖から逃れるためにその幻覚や幻聴を得意な絵で書き留めることで命をギリギリのところでこの世に繋ぎ止めていた。『すみれ強迫』という小説で自分自身をモデルとして当時のことが書かれているが読んでいて胸が痛くなる。
子供にとり環境が如何に心身の健全影響するかということがわかっている私には、彼女の育ってきた環境というものが地獄に値するのではないかとさえ思う。彼女は後のインタビューで常に死を考えていたと語っているがそれは無理もないことであり、また彼女の過激な芸術活動の原因がこの幼少期に受けた嫌悪感でありトラウマになっていることは明らかである。当時彼女の作品が気を衒っていると評されたが、それはそんな簡単な言葉や発想で片付けられるものではない。その当時の作品は苦しみの中から生まれた断末魔のような叫びではなかろうかと考えている。
彼女jの患っている病は統合失調症、強迫神経症を幼くして発症していたのである。脳の中にある神経伝達物質の異常が原因と考えられている病で10代後半から20代の思春期や青年期にかけて発症すると言われている精神疾患である。遺伝的要素も含まれるとされているがいくつかの要素が複合的に重なって発症するそうである。しかし彌生は幼くして発症していることから単純な両親の板挟みではなく、精神を病むほどの肉体的精神的虐待を受ける環境であった。上記の絵は彌生が5年生の頃描いた母の姿である。彼女を苦しめていた水玉が母の姿の上だけでなく背景にも隙間なく描かれている。彼女の人生を知れば生きていること自体が奇跡ではないかとさえ思う。
彼女はこう語っている。「作品は痛みを伴うものであり、遊び心にあふれたもの」
彼女自身、苦しい人生の受け入れ難いものを受け入れることで作品が出来上がり、その事実を作品に投影することで作品に躍動感を吹き込み、彼女自身が救われているのではないかとと解釈している。彼女の育ちに心を痛めていたが彼女の作品集を目にするたびに、もしかして彼女は彼女の芸術性を極め表現するためにあえて苦しい人生を選んできたのではないかと見解に至ってしまうのだ。
統合失調症は脳の化学的異常や胎児期と小児期早期に生じた脳の発達中の問題を原因として発生するものと考えられているそうだ。しかしそれがどのような原因で起きるのかは不明で遺伝的要素を含んでいるとされ、小児期の子育てに問題があったために発症するものではないと専門家の意見が一致しているそうであるが、草間彌生氏の人生を知ると病の発症と幼少期の育ちは関係はないとはどうしても考えににくく、家庭環境の影響が多大であることは明白である。
彼女の人生から子育てに活かすことは何か。
それは大人の問題に子供を巻き込まないということである。
夫婦の問題は夫婦で解決すべきであり、子供の精神状態を揺るがすような感情を親や周辺の大人は子供に見せないということが重要なことである。親や大人は自らの感情優先ではなく、常に理性をもって判断できるように努めなくてはならないである。
高齢の彼女に残された芸術と向き合う時間が苦しみの中から産まれ出すものではなく、その精神的艱難辛苦を超越しそこから解放され、彼女の喜びの中から生まれてくるものであって欲しいと願うばかりである。