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偉人『北大路魯山人』

2022.10.28 00:00

書家、陶芸家、美食家として日本の総合げ芸術家として名前が挙がる北大路魯山人。私は彼の文章も好きでその探究心や毒舌極まりないその表現とその奥にある真髄を見抜こうとする独特の感性が好きである。私が彼を意識するのが正月である。彼の雑煮に対する考え方が面白く毎年どこまで表現ができるんか密かに楽しんでいるが、その雑煮の世界に魯山人を意識しているなど家族は露知らずである。

「一つだけみんなにわかってほしいことは  

わしの人生はこの世の中を少しでも美しいものにしたいと

思いながら歩んだ人生だということだ。」


この言葉に彼はどのような思いを込めたのか。

彼はあまりにも美を追求したために気難しい人物であり、傲慢不遜な態度が目立ち、毒舌であると周りから認知されていたことを魯山人自身もよく分かっていただろう。今回は彼がなぜ芸術を追求することになったのかを生い立ちから考えてみる。

1883年明治16年京都の上賀茂神社の社家に誕生するも彼が生まれる4ヶ月前に父が自殺し、母は彼を知人に預け行方をくらました。知人の手により養子に出されるがその先で虐待を受けていることを知った知人が引き取るもその知人も亡くなり、転々としたのちに木版師の福田武造の養子となり貧しいながらもこの養父の食道楽に感化され、6歳から炊事をし生涯を通し美食に影響する味覚と料理の基本を学ぶことになった。

10歳で奉公に出されその頃に見かけた料理屋に貼り付けられていた一筆描きの絵と書に心奪われた。その一筆を描いたのが画家竹内栖鳳であり絵画を我流で学んだ。画材を買うためお金を稼ぐために賞金付きの書展に応募し賞を獲得し、書家としての才能と14歳で西洋看板を描いて糧を得ていたというのだから驚きである。生まれながらにして芸術の才覚があったのか、幼くして厳しい環境下で生きるために芸術に目覚めたのか、それとも芸術の追求のために波瀾万丈の人生を選んで生まれてきたのかと彼の人生を知れば知るほど理解し難く、一筋縄ではいかない言い知れぬ複雑な感情を抱いてしまう。

書に傾倒し20歳で東京で身を立てようとし、あの画家岡本太郎の祖父である岡本可亭に弟子入りする。30代で幼い頃に憧れた画家竹内栖鳳に出会い門下生となり、そこから彼の美に対する想いが溢れ様々な表現を追求していくことになる。そ魯山人は多くの支持者であり援助者と出会い、地方の料理を手始めに日本料理の真髄を極め自ら料理を振る舞うまでになった。

やがて料理を盛り付ける器に興味を示し陶芸の道に進むことになる。生涯の親友と共に高級料亭の星岡茶寮を開き、美食倶楽部なるものを発足したのである。

魯山人は「料理は芸術、器は料理の着物」と言い食を追求する一方で自ら器を作り料理を芸術の域押し上げ、西洋料理に目を向けていた日本人の愚かさを批判し日本食の奥深さに目をさせた立役者でもある。

「富士山に頂上はあるが、味や美の道には頂上というようなものはまずあるまい」と語っている。彼は少しもミスも許さない人であったと言われる。彼がなぜそのようになったのか、それは幼少期の体験にあると考える。彼は幼くして厄介者として扱われた時期があり、3歳ごろには棒で殴られた経験を持ちそのあまりの仕打ちに近隣のものが彼の保護を願い出た話が残っている。今でいう虐待から救い出された子供であり、その後自分自身の力で生きていかなくてはならない人生を歩んできたのだから、自分自身のミスが生死を分ける経験をしたに違いなく、ことを成すにしても自分自身に厳しく味を美を追求してきたに違いない。それを人に要求することも当然至極のことである。

幼くして人間の裏表を目撃し虐待を受け育った子供が道を逸れることは、子供の犯罪やそれに準じた事件を調べるといくらでも出てくる。魯山人もその道に進んでもおかしくない。彼の出生についても父は実父ではなく母の不貞により生まれた子供であるということや実母に捨てられ、成人になり母を尋ね拒否された事実も記されている。両親からの愛情を知らずに育つということが人格形成に影響を及ぼしているのも事実であり、結婚後妻と息子を日本に残し一人朝鮮半島へ渡ったという事実や6回もの結婚離婚を繰り返した人生に、本当に安らぐ家族愛というものが欠落していたのであろう。幸い彼が人の道を大きく踏み外す犯罪などに加担することはなく、総合芸術を追求した芸術家であったことが幸いだった。


北大路魯山人、彼の人生は愛情に恵まれることは希薄であったが自らの生きる力で関心を寄せる芸術をものにし、日本の総合芸術科の先駆けとして君臨し今も尚その影響は多くの人を魅了してやまない。新しい年を迎えるたびに彼の作品である『雑煮』を嗜み、彼の包み隠すことのない食へ情熱を淡々と認める文章に魅了されている。