Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

心の動揺と上半身

2018.02.17 23:45

昨日の投稿でちょっと心が乱れると中心を意識しにくい。

と書きましたが、これは紛れもない事実です。


だから私達は人と影響しあって生きているということを実感する訳です。

ただ、重力の軸がぶれにくい箇所があります。

それは足首から下です。


足首には距骨という骨があります。

この骨は解剖学的にみてみても非常に面白い骨だということは以前投稿したことがありますがとても注目しなければならない骨なのです。

カパンディの関節生理学という本を読んだ時、この骨の生理がよくわかりました。

学校でもね。

こういうことを教えてくれると興味持つんでしょうけど、暗記が主な目的でしたから普通に勉強すれば名前ぐらいしか記憶できないと思います。

関節を学んでない人なら「ああ~そういえば勉強したな」ぐらいにしか考えないのが普通です。

距骨はカゴの中の骨と呼ばれていて、直接距骨に血管がつながっている訳ではないということです。

私の考えでは、血管がつながっている必要がないと考えます。

なぜなら全体重が距骨に集中するからです。

体重がかかるだけで循環しますので、その必要がないと考えると非常に納得がいきます。


この距骨は全ての体重がかかる訳ですからここに全ての重心が集まってくるのは明白です。

そしてその軸が僅かにズレ(?)を起こしただけで様々な症状が出現してくるというのも事実です。

しかし、この骨は物理的力がかかった時だけズレ(?)る訳ではありません。

その意味を最後まで読んで頂くとわかると思います。


距骨前内側と底部外側には足先に伝える力の伝達があります。

★(これは臨床的事実なので、距骨における3つの力の方向とは少し違います。よく起こす異常というだけで複雑になれば全方向と捻れ運動による方向もあるので全てではありません)

距骨前内側は足の機能をあげるために必要な母指の動きと関係し、底部外側は腫骨(カカト)と足底アーチにかかわる影響を受けるようです。



異常を起こしている人の距骨を触るとかなりの確立で距骨前内側の異常が見つかります。

前内側と底部外側の異常が見つかったりします。

前内側は必ず母指の指への変位(回旋系の異常)となってあらわれます。

外反母趾の人はそれが顕著ですね。


距骨底部は足底筋の異常としてアキレス腱から下腿三頭筋の緊張としてあらわれます。

主な近隣の障害はこういうパターンが多いのが観察されます。

ただ、そうなった原因は様々です。

もちろん距骨が異常とは限りません。

他の異常から距骨がそうならざるをえなかったということもあります。


人間は動的重心を持っています。

つまり常に重心は揺らいでいる訳ですから、一つに定まりません。

だから円筒形の筒のような形で重心は存在していますので、足だけで重心を作っている訳ではなく、上半身や首頭と直接関係しあいながら腰の位置を変えることでバランスが崩れないようにしています。


鍼灸師であってもこの原理は絶対に知っておくべきです。

鍼灸師や自然治癒をうたっている治療家がバランス、バランスと口癖のように言いますが、動的重力軸におけるバランスを知らないでバランスと言っている人は多いと思います。

私から言わせればそんなことはあり得ない。

って思います。


ただ静的重力軸というのは、かなり小さな筒になります。

大きな筒ではありません。

極微動な筒です。

そこでは距骨の影響が計り知れませんし、それなら構造物としての物理的重心軸に近いのでわかりやすい。

しかし、人間はあくまでも動的構造物ですから、物理的重心軸だけで説明はつきません。


閉足立ちになって、左右に倒れてみます。

倒れにくい方があるはずです。

前後に倒れてみます。

倒れにくい方があるはずです。

左前、左後、右前、右後に倒れてみます。

これで四方向です。


この四方向で倒れて一番足に負担のかかる方向、つまり足に力の入る方向を見つけます。

次にその方向に倒しておいて上半身の力を抜き上半身から倒れていきます。

そうすると真っ直ぐ立っていて身体を倒した時とは違う感覚になるはずです。

これが、上半身と足との関連です。

直立した状態で傾けた場合、左前だったのに上半身を傾けると右前になったりするということです。

つまり上半身の位置と足はお互いに影響しあっているということがよくわかります。

足の異常があると肩に力が入るというのはこのことですね。

捻挫をした人を観察すれば患側の肩は必ずあがりますからね。


だから足の問題は肩から上のトラブルの原因となる訳です。

動的重心軸を持つ動物、特に二足歩行の人間は、足腰頭で大きな可動軸を作ってバランスをとっています。

だからこの可動軸のトラブルと距骨のトラブル、足のトラブルと連動する訳です。

微妙な足のトラブルが様々な症状と無関係でないという理由です。

だからここを調整することで様々なトラブルをなくしていくことが可能ということなのです。

逆に心の動揺によって肩や首に力がかかるということは足首より下にも必ず異常が現れるということを意味しています。


なぜ心の動揺と身体の動きが無関係でないか、ということが何となくわかってもらえたと思います。

しかし、それをどこがその影響を受けているかを診断できなくてはなりません。

それは、単純に可動域という問題だけで片づく話しではありません。


そして鍼灸師は、そのトラブルを経脉や穴というものに変換することができなければなりません。

構造上の欠陥がわかったとしても経脉や穴の異常として捉えることで鍼治療は完成します。

それをどうやって変換していくのか?


そこが鍼灸師の腕の見せ所なのです。

ちょっとした心の動揺、人と人とのかかわりあいが身体の動的重力軸に変動を与え、身体のバランスを崩すことで身体の違和感が起こり、その違和感を長期間抱えることによってストレスになり、そのストレスが、病気症状を作っていたとしたら物質的な治療しか行わない投薬だけでは、そのトラブルを解消することはできない。


という訳です。

もちろんそれは人と人だけではありません。

物と人、環境、食事等々が影響しあってきます。

しかし、最終的には身体という魂の入れ物の中に現象としてあらわれる訳ですから、そこを観察するというのが我々の大きな仕事です。

そして、それを患者さんに知らせて、どう対処していくのかを一緒に考えていく。

というのが我々の仕事なのです。