生い立ち... そのサン
生い立ち... そのサン
先日・・・
Instaのメッセージに
このようなコメントを頂きましたので
分け合って書いてなかったのですが
書きますね・・・
(たいした理由ではありませんので気にしないでください・・・)
ついに就職
そんなにやりたいと思わない
美容師という仕事に...
しかも入社直後から
バリバリ厳しい
噂通りの感じやった
っまぁー
そんな中でも
イロイロ割り切って仕事してた
「どぉーせサラリ〜マンなっても
やりたい事やれてなくて毎日毎日
マグロみたいな生活と変わらん」
そぉー思ってたので
意外と頑張れた
手取りの給料は社会保険・厚生年金・雇用保険・労災とか引いいて
90,000円ぐらいやったかな???
(よぉ〜〜〜やってたなホンマに)
(でも当時の美容室で社会保険あんのにビックリやな)
(良いか悪いかも考える暇無かった)
入社した時に配属された店舗は
一つ上の先輩が4人(女性)いて
いつも4人1組で
後輩や先輩の悪口を言っていた
チョットでもミスしたら
全員にイヤミの集中攻撃をされた!
トリートメントの配合を少し間違えただけで
3時間ぐらい説教をくらい
その件だけで
1ヶ月はイビられた...
っまぁーその他にも
ここではあげれない
今で言う、最強のパワハラを受けてたな
(当時パワハラと言う言葉は聞いたことなかった)
でも、この4人の先輩
今考えても
メッチャ上手かった
(40代になっても、あんなことは出来んな)
まだ1年しか経ってないのに
超ベテランがやるぐらいの
ブロー
SET up
ダウンSET
ワインディング
中には
ブローでメッチャたくさん
お客さんを掴んでる人がいた。
ブロー指名って
今では変な感じだけど当時は当たり前だった
当時のお金持ちのご年配の方は
家でシャンプーせず、必ず美容室で
シャンプーしてセットしていた
来店頻度は1週間に2回の人もいれば
1回の人もいた...なのでシャンプー前は
必ずブラッシングしないと髪が絡まって
シャンプーがしにくい...
そして1週間、頭を洗ってないってことは
...あとは想像にお任せします。
あとトリートメントの配合とか
カラーやパーマの使用量使い過ぎたり
したら、メッチャ怒んねんけど
まだ2年目で
なんちゅう意識高い2年生や
材料比率本気で考えてる2年生
今思うと、こんなアシスタント欲しいな
っまぁー
何も出来んのに、つべこべ言う人ではなく
やることやって言うタイプやった...
今思うと、それまで人生あまちゃんの俺には
この環境が良かったのかもしれない。
人生の厳しさの第一歩は
ここで教えてもらった
(まだまだ第一歩この先...)
当時の店長には
ホントに御迷惑バカリかけてたな
店長や副店長には
ホンマによくしてもらった
最初に配属された店舗は
天満橋の百貨店の美容室で
ほとんどのお客様が
50代以上で
いま思うと
パーマだらけやったな
カラー剤も
5Nと8Mバカリで
(白髪染めのカラー剤)
(今みたいにカラー剤の色がよくなかった)
白髪染めのことをヘアダイと呼んでいた
一人のスタイリストが
15名様ぐらい担当して
ほとんどがパーマをしていた
パーマの2液をつけてる時に
必ず言わないといけない言葉
「トリートメントしときますね。」
この言葉を言わないと
4人の先輩にイビられるのである
そして2液をつけられながら
言葉を発さず、ただただ頷く
お客様...
なんとも言えぬアプローチ
この言葉だけで
プラス3,000円やったな
今思うとビックリ!
そこのお店は
俺と同じ新入社員が
俺を合わせて3名入った
(男1名俺・女性2名)
会社には15名の新入社員が入社していて
同じ店舗に配属になった子の中に
1名だけメッチャ変な子がいた
(俺が言うのも変やけど、ほんまにこの子変やってん)
あとの14名は普通やのに
この子だけは、ホンマに変やった
この子が受かるんやったら
俺の親友Cは何故落ちたのか...
そんな疑問だらけやった
そんな変な子と一緒に
この過酷な状況を乗り切るのは
ホンマにシンドかった
ただでさえも先輩からイロイロ
プレッシャーかけられんのに
同期にもストレスを感じる
今思うと、よぉー耐えてたな
シャンプーのレッスン中の出来事
いつもいつもアイモデルで
やっていて
その日は、その変な子との
アイモデル
俺がシャンプーをやられる方で
その子は、やる方で
シャンプーをやっていると
大量に水が耳の中に入ってきたので
「そこは、もっと右手で押さえた方がええで」
そうアドバイスすると
その子は
絵に描いたような
ムッとした顔で
俺に向かって
「あんたに言われたないわ!」
...?
.....?....
まさに?だらけである
お互いに言い合わないといけない
アイモデル...
何故...この人はムッとしているのか???
しょっぱなからこんな感じだったので
コレが毎日続くと思うと
ゾッとしていた。
俺以上に、もう一人の同期の女の子は
毎日のように、この変な子と
言い合いをしている
お互いがお互いに言うもんやから
一向に、よい方向を向かなかった
そして、いつもイライラしていた
そしてお互いに泣いているのである
ここにいるのが
親友Cなら、こんなことにはならなかっただろう
何故面接で落ちたのか?
っと
っまぁー
1年目は、そんなこんなで
毎日毎日辛い日々やった
そして
2年目に差し掛かる
3月のある日
本部に呼ばれた
そこで申し上げられたのが
店舗異動の辞令であった
今の年配中心のお店から
若向きのお店に移動すると言う
辞令であった...
心の中で
天国を味わった
(あの苦しい4人衆とあの変な同期と離れられる)
「喜んで行かせていただきます」
ハッピーな気持ちで
心から喜んで
行ったのであるが...
ここからが人生の中でも
地獄時代の始まりやった
この店こそ地獄の1丁目で
まず!店長が最強に理不尽
副店長は何を言ってるか分からない?
ホンマに変な人!
(俺が言うのもなんやけど・・・ホンマにホンマに変な人やってん)
でも、ホンマに不思議で
1つ上の先輩の2人は
ホンマに優しかった
前の店にいた
意地悪4人衆とは全然違う!
そして入社して1年が経つので
そのお店には1名後輩がいた
この子も最高に最高に良い子やった
いつも俺の後ろを
ヒョコヒョコついて来る
そんな可愛い後輩やった
でもしかし
店長の悪質さは
今でも忘れられない
当時、ストレートパーマをする時に
ストレーナーと言う
棒と棒ではさんで伸ばす
そんな感じの道具があった
(いま見たいに縮毛強制やストレートアイロンがない時代)
メチャメチャ劇薬のストレートパーマ剤を
髪につけて髪が軟化したら、その上から
ストレーナーで伸ばす...伸ばすと言うより
引っぱる感じ!
最強に軟化してる所に
引っぱるもんやから
いわゆるチリチリ状態やった
やりながら
チリチリしてるのがわかるほどで
その施術を終わって
全ての工程を終えて
ドライすると
ありえないぐらい
チリチリ
そんなチリチリになった
お客様の状態を見て
ストレーナーのやり方があかんかったんやわ
全部小崎くんが悪いから
...?
......???
頭の中は???ダラけ
この人は?何を言っているのか
最初わからなかった
俺の心の声は
「店長さん私はあなたの指示通り
言われた通りにやりました」
しかも今なら誰が考えてもわかる
劇薬つけて
どう見てもチリチリなってるところに
ストレーナーで引っぱったら
そりゃチリチリのチリチリ
チリチリの二乗
アフロみたいになるで!
それを
俺のストレーナーが悪かったって
よぉ〜言うたなぁー
そんな
やりとりやイビリが
毎日毎日毎日毎日続いた
1年目の4人衆がメッチャ可愛く見えた
あとあの同期の変な子ですら普通に見える
そんな毎日なので
案の定
身体に支障が出てきた
この年に俺はナント
ストレスで
4回も胃腸炎になっている
しかも2回は救急車で運ばれている!
(このオレが・・・この身体だけは丈夫なオレが)
毎日毎日が苦痛の連続
何度も何度も行きたくなくて
来た道を行ったり来たりしたのを
覚えてるなぁ
イビリやイケズはドンドン
エスカレートして行った
っまぁー
ここでは書けないイビリって
1年目の所で書いたけど
そんなレベルではない
まさに言葉の殺人鬼レベルやった
でも
そんなにやりたいわけでもない
この美容業なのに
何故か辞めたいとは思わなかった
いくつか理由はある
ひとつは
後輩のコトやった
自分が抜けたあと
店長の全てのイビリが、この後輩に
行くと思うと
居ても立っても居られない...
ひとつは
1つ上の先輩が、いつもいつも
一生懸命にレッスンを教えてくれたり
優しく接客を教えてくれたり
そして決定的なのは
この人との出逢いやろな
ちょうどこの頃に
この人に会った
「僕の人生は美容しかない」
いつも、この人は言っていた
まだ、この頃は
その言葉の意味を良く理解してなかったかな
っまぁー
とにかく、いつかBIGになって
この店長をギャフンと言わそう
そう思っていた
そんなこんなで
何故か、メチャメチャ長く感じる
1年が経過しようとしていた
そんなある日
事務所に呼ばれた
呼ばれた理由は
店舗異動の辞令である
まさに奇跡!
やったぁー
あの店長と離れられる!
まさにまさに奇跡なのだ!
店舗の異動地は何処なのか
楽しみで仕方なかった
そして発表された店舗が
1年目にいた所の店舗で
そこの百貨店じたいがリニューアルで
年配向きから
若者向きに
業態変更をするっていう
そんな大掛かりな異動
そしてメンバーを発表された
俺は目を疑った...
店長の名前のところに
なんと
嫌がらせ店長の名前が...
まさにガァ〜〜〜〜〜〜ンである
やっと離れられると思ってたのに
一緒に異動だなんて!
そして
1年目の時の優しい店長は
異動になり...
1年目の時の
4人衆も2人は辞めていたが
2人は残っていた...
っまぁー俺にとって
最悪コンビが集結!!!
まさに最悪!
そんな3年目の幕開け...
そして3年目突入!!!
最悪の3年目の悪夢が始まる・・・
っと思いきや
当時の1つ上の4人集の2人は
何故か、俺にめっちゃ優しい
1年目の時が嘘のようである
それもそのはずだ
嫌がらせ店長には、誰も口を出せない
毎日が陰険の連続である
そんな中で、不思議なもんやけど
俺はその店長に免疫がついていたのか
ちょっとやそっとのイビリでは何とも思わない日々だった
人間とは怖いな
慣れるんやな
そんな店の空気なので
嫌がらせ店長には、なかなかアシスタントが寄り付かないので
イヤでも俺をアシスタントに使うのである
そして、嫌がらせ店長はアシスタントの悪口を俺に言うのである
店長「あの子らホンマ動き悪いわぁ小崎君どう思う」
オレ「そうですね・・・そう思います」
先輩を売っていました
っまぁ〜〜〜これも生き抜くためである
そんな日々だったが
時には店長の矛先がオレに向かう時もある…
俺のイライラは治らない
後輩が、「店長のヘルプに付かなくてもいいんですか?」
って聞いて来た時に
オレ「あんな奴につく必要ない!」
後輩「・・・・」
そう後輩に伝えると・・・
横から4人衆の内の1人が
「そんなん言うたらアカんよ、どんだけシンドくても言うて良いこととアカンことがある
小崎君もわかってるやろ、それぐらい、小崎君にしか出来ひんことなんやから
後輩にそんなコト言うたらアカン!!!」
オレ「・・・」
その時のその人の言葉が心を貫いた
その先輩の言う通りである
今でも当時のコトは鮮明に覚えている
怒るわけでも
叱るわけでもなく
何かを伝えてくれようとした
何か、優しさすら感じる
その言葉に心から反省した
その先輩には今現在でも頭が上がらない
1年目の時は
「くそぉ〜〜〜〜このメスゴリラぁ〜〜〜っ」
て思ってたのに
(メスゴリラと言うオレだけの呼び名で、この人を呼んでたが
この人メッチャ綺麗な人である)
この年を境に
メスゴリラ先輩にはホンマにホンマにお世話になった
ホンマに感謝してますメスゴリラ先輩….
(ちなみに、この写真にメスゴリラ先輩は載ってません...)
この年はホンマに素敵な出会いがあった
以前に書いた
「素敵な街・・・尾道」
この時に尋ねた先輩も
この時期に中途採用でこのお店に配属になった先輩である
毎日毎日
メスゴリラ先輩とこの先輩の2人の先輩とカットのレッスンに励んだのを思い出す
休みの日は
(スープオーナー長い付き合いですね)
いつも、この人と当時の会社のアカデミーで
カットレッスンをしていた
悪いことばかりではないなぁ〜〜〜
ってこの頃ようやく思えた・・・
そして美容師4年目を迎えようとした
そんな時
本部に呼ばれた…
上司「奈良にお店出すから昌平そこへ異動ね」
オレ「・・・」
あれだけ、イヤだった嫌がらせ店長も
この頃には美容師をしている楽しさの方が大きくて
なんとなくではあるが
別に・・・なんとも思わなかった
(でも・・・まだまだ地獄が続くことをこの時の俺はまだ知らない…)
ただ新店に行けるってことが
すごく、前向きにさせてくれた・・・
オレ「喜んで!!!」
(っまぁ〜〜〜イヤとか無理とか・・・そんなんを言える時代でも無かった)
そして
通勤片道時間 2時間
直線距離 約27km
(この間に何百店舗の美容室があんねんって思ってた)
そんな日々が始まった
当時は、今みたいにiphoneとかないから
MDをこの時、大阪日本橋の電気屋筋で買ったのを思い出すな
(ヨドバシカメラもヤマダ電機もないから日本橋が大阪で一番安かった)
毎日MD聴いて2時間かけて奈良の学園前まで行ってたな
SET面 6面
カラーブース 2面
パーマ待ち 3面
オートシャンプー2台
小さなお店やった
駅ビルの3階にオープンして
オープンの日から
引っ切り無しにお客様が来た
店の外にもメッチャ並んでて
当時、最高に流行っているお店やった
奈良のお店は
本当に自分を出せるステキなお店やったな
毎日2時間かけて通勤してたけど
ホンマに好きなお店やった
(やっと居心地のいい経験をした)
店長は1年目の時の副店長が店長で
その店長は、いつもいつも
俺の考えを正してくれた
1年目の時、どうしても東京のboyって店に憧れて
(boyは当時、若者の超人気店舗だった)
その店の雰囲気や生き様が大好きで
しょっちゅう、そこのHairShowへ行ってた
しかもboyを教えてくれたのも
この方だった
1年目の時
その人に
オレ「boyみたいな店で働きたいです」
オレ「今の美容室は、なんか固くて面白みがないです」
そう言うと
その人に
「でも、ここでしか覚えれないこともいっぱいあるで
ベーシックのカットをしっかり自分の物にしたら
一生食って行けるから、技術は裏切らんで」
そう言ってくれた…
何故か・・・不思議と
頑固なオレだったが
素直に聞き入れたのを思い出す。
そして
いつもオレの言う無理難題にも答えてくれて
上の人達に俺達の思いを代弁してくれた
そして色々挑戦させてくれた
カットレッスンも毎日毎日
モデルを入れて毎日見てもらった
ウィッグは当時2,000円ぐらいで
現在の4,000円ぐらいの毛質のウィッグが購入できた
でも給料ベラボーに少ないから
ウィッグ買うより
人頭モデルやった方が
お金かからんでええから
モデルハントをよぉ〜〜〜してた
今みたいに
ネットが無かったので
金曜日・土曜日は毎週大阪のクラブに行って
am5:00までフロアーで踊りまくって
(当時Danceには自信があった)
人集り作って
一人一人
女の子に声かけていく
(Danceがソコソコ上手く踊れるから声かけても違和感ない)
「どこ住んでんの・・・」
30人に1人は奈良の子がいた
そんな感じのモデルハント
これがまた上手くいった
そんなこんなで
モデル集めは自信があった
毎日毎日
モデルカットで
営業終了2時間前ぐらいから
人頭カットレッスンをして
カットが終了すると
店長の所に行き
「おねがいします」
って言うと
すぐにお客様のカット中でも手を止めて店長は来てくれるのだが
モデルの後ろに立ち
5秒見た後に
店長「OK・・・可愛くなりましたね」
オレ&モデル「・・・ ・・・」
そしてすぐに持ち場に帰る店長
オレ「・・・ ・・・」
モデル「・・・ ・・・」
オレ「・・・ありがとう・・・ございました・・・」
なんとなくモデルと気まずい中で
モデルをお見送り…
その夜に
オレ「あんなんで、いいんですか?」
そう店長に尋ねると
店長「自分がええと思ったから、オレにお願いしますって言ったんやろ」
オレ「っまぁ〜〜〜そうですけど・・・」
店長「なら、ええんちゃうん!」
オレ「はぁ〜〜〜」
そんな感じの
カットレッスンだったが
無事にカットテストに合格
晴れて奈良でスタイリストになることが出来た
でも・・・
当時のオレはグラデーションBOBばかりを練習してて
テストも人頭でグラデーションBOBを切った
そして
合格
ってことはレイヤーカットが全く切れなかった・・・
レイヤーの意味が全く分からなくて
毎日毎日、不安の中で
お客様を何人も何人も切ったのを思い出す
不安な毎日やから
レッスンもお店で終電までやって
そこから家のある大阪に電車で向かって
奈良から大阪への電車の終電が早いから
とりあえず大阪まで行き
家に着くまでの間にアカデミーがあったから
途中下車して
大阪の終電は遅くまであったので
1回だけカットレッスンを出来る時間があった
(そこまでしてレッスンせんと不安やった)
そんな日々が毎日毎日続いた。
そんな不安な時に出会えた救世主がコレ
Zone and Sectionの本
この本見て毎日毎日独学でレッスン
少しづつ少しづつ
成長出来た
そんなオレを暖かく見守ってくれていたのが
奈良のお客様やったな・・・
今でも当時のお客様には感謝です
本当に良い人ばかりでした
奈良でデビュー出来たことは
一生涯の大切な想い出です
そして5年目を迎えようとした
そんな時に・・・
本部に呼ばれました…
上司「西日本で1番大きいお店を西梅田に作る昌平異動や」
オレ「・・・」
オレ「はい・・・かしこまりました・・・喜んで」
居心地の良い
奈良のお店を後に
次に辞令がおりたのは
大阪梅田
そしてそして
なななななんと
嫌がらせ店長と
再びこの地で働くことになるのである
しかも極め付けには
嫌がらせ店長をも上回る
嫌がらせ店長の先輩のHさんとの出会いである
(イニシャルはHではないがHと言うのには意味があるココでは言えません)
このHさん
究極の自己中である
役職を西梅田へ異動するまでは持っていたのだが責任を取るのがイヤってコトで
役職は無いが
嫌がらせ店長の先輩ってコトで
実質はこの人が最高権力者だ
(年功序列の会社だったのでしかたがない)
そんな感じで
オレの美容人生の5年目が始まった
場所は最高の立地条件
まだ当時スターバックスコーヒーが
関西に3店舗しかない時代
①マルビル
①ヘップファイブ
①西梅田
スターバックスがあるような
そんな素敵な場所だったが
場所とは裏腹に
店の中では
戦時中の日本軍のような年功序列制度だった
でも
この頃は、オレにと言うより
アシスタントの子達へのイビリが
凄まじかった
もうすでにオレもスタイリストで自立していて
奈良の時からやっているレッスンを
欠かさず毎日毎日やっていたので
技術でついに
嫌がらせ店長を見返せる!!!そんなチャンスであった
ただHさんは
メッチャCut上手くて
メッチャCut早くて
ガンガン指名つけてて
凄まじかった
SetUpもベラボ〜〜〜〜上手くて
週に1回、HさんにSetレッスン見てもらってた
当時を振り返ると
このHさんは、本当に凄い人やったな
ただ新しい事を取り入れずに
古いやり方
自分の習ってきた事
自分が先輩から受けてきた事
自分が正しい
世の中は私・・・
私の思う事が絶対!!!
それが全ての人やったから
当時の自分には受け入れられへんかったな
Hさん「私はもっと厳しい時代を歩んで来てん」
やからあんた達も歩みなさいと言わんばかりの人だった
いろんな事が
この5年目でもあったなぁ〜〜〜
書けば長くなるので書きませんが
(すでにメッチャメッチャ長いね・・・)
一般的には山あり谷ありって言うけど
この時は
谷あり谷あり底あり地獄あり・・・
そんな感じかな…
そして美容師人生の6年目を迎える時に
美容師に対しての糸が
何故かプツンと音を立てて切れた
何があったわけでもなく
何をされたわけでもなく
一生懸命やってる事が
なんか・・・アホらしくなった
順調に指名も付き
周りから見たら順風満帆に見えたかもしれないが
何か・・・人生に物足りなさを感じた
すでに仲の良かった人達は
自分達のやりたい方向に向かっていて
15人いた同期も、この時期には
ほとんど辞めていなかった
この人も
2年間ロンドンに美容師の留学に行ってた
今思うと
なぜ辞めたのか・・・
あまり
理由はないけど
強いて言うなら
年功序列制度が強すぎて
将来・・・俺も・・・
あの嫌がらせ店長のように
狭いネットワークで生きていくのがイヤになってた
おそらく、あと1年もしたら
嫌がらせ店長よりも
指名数も指名売り上げも
大幅に超えて・・・
なんで・・・今迄・・・
あんなアホな発言に付き合わなあかんかったのか
あほらしくなってたんかな…
そんな感じかな…
当時いつもいつも
頭によぎっていたのは
「北斗の拳」に登場する
南斗五車星の1人
雲のジュウザに本気で憧れていた
(マンガやのにアホな俺)
ジュウザの口癖は
「俺は、あの雲のように自由気ままに生きる」
毎日毎日、女のケツ追いかけて
酒呑んで酒呑んで
それでいて腕っ節は相当強くて・・・
死ぬ間際まで自由を求めて・・・
なんか
そんな
人生も楽しそうやなぁ〜〜〜
って
24歳にもなっているのに
夢のような事を
いつも思ってたな
いまだに当時のお客様からもらった
手紙を大切に持っているが
その文面の中にも
「日本という国は小崎さんにとって小さく見えてませんか・・・」
みたいな文をたくさんいただいた
そして
嫌がらせ店長に
オレ「僕・・・辞めます」
嫌がらせ店長「ふぅ〜〜んそうなん、とりあえず話しようや」
そう言って
大阪梅田のお初天神に新しくできた寿司屋
で辞める話を・・・簡単にした
おそらく
当時、店長はオレのことを煙たがってたので
辞めるとオレが言ったのは
好都合だったのだろうな
若いながらにも、自分でもそう感じた
そこから数日後
本部に呼ばれ
当時の社長と、お話をした
社長「何が不満なん・・・」
社長は厳しい方だったが
本当に素晴らしい美容師で尊敬していた
こんなアホなオレをいつも昌平昌平と
下の名前で呼んでくれていた
別にこれと言って理由がなかったので
オレ「お給料ですかね・・・」
お給料と言えば何とも言えないと思い
簡単に答えた
そこから引き止めてくれる話が続き
とりあえず
辞めると言うのは・・・
なんとなく有耶無耶のままに
本部を後にした・・・
この時の自分の手取りが
12万円で
この話をした後
お給料が
15万円になっていた・・・
心の中で・・・
「しまった」
そして・・・そこから数日後
再び本部に行き
退職の話をして
退職が決まった
今、思い返しても
当時の社長には申し訳ないと思っている
なんかその時に
心にすっぽり穴が空いた気分になったのを覚えている
5年と言う月日は
本当に大切な思い出やったな
あの時には
感じれてなかったけど
今の自分の太い芯の部分は
この時間に構築された気がする
アホでどうしようもないオレを
温かい目で見てくれてる人がたくさんいた
良いことも上げればキリがない
関西の最高級イタリアンレストランの支配人との出逢い
最後に働いていた西梅田の店の近くのビルの最上階にあるそのお店
支配人はお客様でいつもオレを指名してくれていた
支配人「小崎さん、1度うちのお店に来てください
小崎さんには最高のサービスをさせていただきます。」
そう言って招待されたのを思い出す。
お店に入るとオレみたいな若造が当然来れるような場所ではなく
雰囲気を見るからに
1回のお食事で数十万は行くんではないかって雰囲気だったが
支配人が素敵なエスコートをしてくれて
人間としてのハクが上がった気がしたな
あと
大阪梅田のとあるスカイラウンジの支配人
その方にもご招待を受けて、お店に誘っていただいた
エレベータに乗り最上階へ行き
エレベーターを降りた瞬間から
異様に高級な雰囲気
お店に入るなり、ピアノ&琴の弾きがかり
お店は全面大阪が一望出来るガラス張りで
最高の思いをしたなぁ〜
その方は、この会社を辞めてからも
お電話をいただいたな
「どこの美容室に行っても私の髪はまとまらない
小崎さん・・・どこにいるの・・・いま・・・」
(この話の続きは・・・また今度・・・)
こんな想いが出来たのも
この時間帯に、いっぱい頑張れたからかな
イロイロ書いたけど
社長は当然
嫌がらせ店長も
Hさんも
メスゴリエア先輩も
奈良の時の店長も
就職最初の時の店長も
今を思い返すと
ホントに...
感謝してます
ありがとうございます
もう一度、同じことをやって
って言われたら・・・
ホンマニ断るかも知らんけど
そんな、人生でよかった
そんなこんなの
生い立ち・・・そのサン
もう2度と美容師はしないと決めた
そんなそんな過去の思い出…
生い立ち・・・そのヨンに続きます…