三種の神器
http://ameblo.jp/taiki-ism/entry-1222より
日本では 古来 天照大神が 天孫降臨をしようとしている 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に
三種の神器とその教えを授けました。
これが
・勇気【草薙剣 =父性】素盞嗚尊
『一歩踏み出す勇気』、『自分という殻を破る勇気』『しがらみ(時間)を捨てる勇気』
・受容【八咫鏡 =母性】 天照大神
アタマの解釈(マイルール)を越え「あるがままの現実」を受容する
・直観【八坂瓊曲玉 =子 】月読尊
素直な心、子供心、直観と創造(生命)の源
また このようなサイクルとして表現することもできます
・【一つめの子宮】勾玉 (胎児として 母親の子宮に宿る)
↓ 産道を通って 誕生
・【二つめの子宮】 剣【時間的子宮・善悪の子宮 】
我々は子宮から出て外に生まれ出てきたと思っていますが、この人間社会もまた 二つ目の子宮(時間)の中ですエデンの園でいう「善と悪の知恵の木(子宮)」です。
子どもの頃は まだ無垢さがありますがこの二つめの子宮(時間)の世界に閉じ込められると
「~したい」と純粋な自分を生きるよりも「怒られてはいけない」「嫌われてはいけない」
「失敗してはいけない」「~しなければいけない」と他人や社会の要求に応える深刻な人生になっていきます。この 二つめの子宮は高天原から追放されたスサノヲ(ルシファー)の願った「自由意志(自我と時間)」の実験の場と言えます。
スサノヲ(ルシファー)は高天原(神)との絆を断ち切り、愛に基づいていないマカバ・フィールドを創造しました
この2つ目の「時間的子宮」「善悪の子宮」で身につけた観念の鎧を脱いで、分離ゲームを終わらせるのが 剣 です。 (あくまで方便ですが)
剣で ヤマタノオロチ(時間と善悪の観念)を断ち切っていくと「あるがままの姿」が浮かび上がってきます
↓ 「通過儀礼」という産道を通って 再び誕生
・【三つめの子宮】 鏡 (時間のない大いなる子宮へ)
鏡は 常に「あるがまま(今)」を映します。「なりたい自分」を築くのではなく「本来の自分」に気づく ことで時間のない子宮へ帰還します。
自由意志や時間は幻想で「いま」しかなかったことがわかります
「善と悪の知恵〈解釈〉の子宮(ああでもないこうでもない)」から永遠の命につながる「生命の子宮(あるがまま)」への帰還です
神社の【参道】と、赤ちゃんの生まれる【産道】が同じ「さんどう」ですが、神社の参道は、お産の時の産道を現します。
お宮は子宮で、参拝するアナタ(社会的自分)が精子です。
だから、神社の事を、お宮と言いお宮参りとは、母(故郷)の元に帰る事です。
参道 を抜けると 何がありますか?
そう
「鏡」です。
鏡というのは【三つめの子宮(本来の自分)】 への扉であり
神社というのは
新しく生まれ変わる場所であると同時に本来の自分に帰る場所でもあると言えます。
参道(産道)を通り
鳥居から出ると
母体から産まれたばかりの穢れのない 本来の自分として生まれ変わっているわけです。
ただ「カガミ」から「ガ(我)」を取ると「カミ(神)」になる、なんてよく言われますが、
実は 私がいるという感覚がある以上 ガ(我)はなくなりません。
魂を磨いて「ガ(我)」を取ったら、「カミ(神)」に近づける、というのはスピ界に蔓延しているイリュージョンです。「何かになろう」「我を消そう」としている主体が「ガ(我)」だからです。
ただ「ガ(我=動)」という分離意識が消えたときにはじめて 「カミ(空白=静)」が 最初からあったことを思い出します。