[読書感想文] 「自己満足と揶揄されてもいい」こだわりに勇気をもらえた『世界のごちそう 旅×レシピ』
本山尚義さんという料理人がいる。
いま(2018年)は世界の料理のレトルトを製造・販売されていて、
その前は、「世界の料理」をテーマにした神戸のレストランのオーナーシェフだった方だ。
彼は、レストランを開くにあたり、世界中を旅し、現地でその国の料理を学んだという。
(掲載されている修行国は26か国!)
この本には、もともとはフランス料理のコックだった本山さんが、
偶然ともいえるインド料理との出会いから、いまに至った経緯・・・
「なぜ、世界の料理をライフワークにしたのか」
「海外でどうやって料理を覚えたのか」
「世界の料理に触れてなにを感じたのか?」が、旅行記をベースとして書かれている。
いまのようにインターネットもスマホも無かった時代。
「現地で料理を習う」なんて言っても一筋縄でもいくことではなかっただろう。
けれど、そこは関西人だからなのかもともとのお人柄なのか・・・
ユーモアあり、感動ありで、とても楽しく読める文書。
各国の文化や料理の情報も随所にはさまれていて、読み物としてとっても面白い。
「世界の料理を食べて、その国の現状を知り、なにかアクションを起こすきっかけにしてほしい」
本山さんの願いが、本書を通じてもひしひしと伝わってくる。
わたしがこの本を読んで、個人的にとても感銘を受けた個所がある。
各国を回りながら料理を学ぶときに、どの料理にするのかの基準の一つに
「一人で仕込みができて、注文が入ってすぐに提供できるか」があった、というところだ。
ちなみになぜ「一人」なのか? (略)料理では私が見てきた現地の風景、匂いや風などを表現したい。これは私にしかできないことなので料理人は一人だけ。たとえ自己満足と揶揄されようともどうしてもこだわりたい。(P56)
このコンセプトは料理修行の旅をつくって形づくられていったという。
そうか。
それでもいいんだな、と、と思えて嬉しかった。
「一人でやる」のって別にかまわないんだな。
(私の話になってしまうのだけど)今、古い空き家の改修を模索しているのだけれど、
その話をしたときに、少なくない人が「誰か一緒にやってくれる人を探す」ことを視野に入れたアドバイスをくれる。
知恵もスキルも無い私だから、それはまっとうで現実的なアドバイスなんだけど。
なぜか、なんだかしっくり来なかった。
「自分にできないことは人の手を借りた。助けてもらった」という先人?の知恵や成功談もたくさん見聞きした。
自分もサラリーマンでの仕事するときは、役割の必要性上、初期段階からチームを組むことは当然あるんだけど・・・
でも、今、あの場所の活かし方を模索する過程では、
「”自分だけ”のやりたいこと」をとことん突き詰めたい気がしている。
ふわっとした状態で、誰かと組んでしまったら、それは何か中途半端なものが出来上がってしまうんじゃないか、という、言葉では説明できない「直感」が自分の中にある。
その心の声があるにも関わらず「それだと駄目なのかなあ」と思い始めていたのは、
色々なものを見聞きすればするほど
「一緒に楽しいことやりましょう!」的なアプローチが得意な人たちの姿を目にすることが多くなって、
そういうやり方のほうが、どんどんと成果を出しているように見えて、
焦っていたのかもしれない。
「一人で出来ることは限られている。それは非効率だ」
そういう「誰かの常識」も自分の頭の中にあったのかしれない。
もちろん、私が一人で出来ることなんて僅かなんだけど、
この本を読んで、「それでも、そこにこだわるやり方もあっていいんだな」と思えた。
誰かの手を借りる場面はもちろんあって良いし、フェーズが変わればがっつり誰かと組むこともありえるかもしれないけれど、
今までと変わらず、それは自分がちゃんと「借りたい」と思ったことに限定していてよくて、
進捗を焦るあまり、本音をごまかしてまで「活動パートナー」みたいなものを作らなくていいんだな。
そのスタンスを変える必要はないんだな。
すとん。
予想外のところで気づきを頂いた読書でした。
いまはレストランではなく、レトルトの製造・販売という形でその想いと向き合っている本山さん。
たまに「ゲリーラ」と称して、食事を提供するイベントをされている。
場所が関西で、開催数日前に突如として告知されることが多いので、難易度は高いのだけど、
いつか必ず行ってみたい場所です。
※レシピ本のほうはこちら。
マメに料理するほうでは全然ないけど、見てるだけで楽しい。
【追記】
2018.4、念願の「ゲリーラ」に参加することが出来ました。
美味しい・・・美味しすぎました・・・!!!