入学難易度高めの学校あるある
目標に向けて頑張った経験
所謂、御三家と言われる進学校のコンサートイベントに行ってきました。
最後まで見れなかったのですが、友人によると最後に八重奏を演奏してくれた生徒代表の言葉にじーんときたとの事。
音楽への想いや楽譜(初稿版)を海外から取り寄せて学年を超えて何度も話し合って、このコンサートにこぎつけたことなど。
ここ2年、こういうイベントは全く出来なかったですもんね。
こういうみんなとの協働や海外から取り寄せるなどの行動力!
偏差値高めの学校あるあるだと感じます。
学力(いわゆる偏差値)だけじゃないんですよね。
これからは、学力だけがあってもダメだと
良く耳にしますが、
私が感じるのは、学力高めの学校は
こういう部分も、鍛えられている生徒さんが多い。
そして、その生徒さんが比較的偏差値高めの大学に入学してくるな、という印象を正直、感じています。
ダメダメだった自身の若かりし頃
私は、自分自身は若い時は、彼等とは真反対の本当に主体性もなく自分で動けない人間でした。
しかし、佐賀の田舎から大学、就職と世界が徐々に広がっていくと、職業柄これまでお会いした事もないような方々を、お客様としてお迎えすることもあり、自分自身が「それに見合うだけの人間としての成熟度がない」と気づき(遅い)一生懸命、背伸びをしていきました。
それはそれで、よかったと思いますし、その自分の経験から「人はいつでも変われる」と信じて、学生支援の現場に足を踏み入れました。
その想いは、今でも変わっていません。
ただ、その一方で、現実も目の当たりにします。
大学生の段階で、かなりの違いがあるのだなと。
経験値、興味の幅、所謂「非認知能力」と近年言われるような力(自分を認め、周りと協働し、挑戦し、修正し、諦めず最後までやり抜く、、、挙げればきりがありません)は、それまでの経験や環境によって大きく差があるように感じています。
あ~、おそらく昔の私もそうだったんだなと今更、悟っている良い歳した大人の私です。
社会人になって、自分なりに意識を変えられた私だけども、これってもっと早期に気付いて、実践していれば、おそらく違った人生の選択が出来たんだなと。
幼少期からの積み重ねの重要性
私がその現実を目の当たりにして「幼少期からの積み重ねが大事」と訴えると、中には色んな批判もいただきます。
その批判もごもっともだなと。
・幼少期がダメだった人は、その後の人生はNGなのか?
・親が手をかけてあげられない環境の人はダメなのか?
・一人親や経済的に難しい家庭の子はダメなのか?
いや、そういうわけではないと思います。
私は、自分自身、裕福な家庭では育っていませんし、社会人になって気づいて意識して変化させていったタイプです。
そして、実際には大学生になって、就職活動をする中で大きく成長する学生さんもいます。
いやその方が多いです。そのために私達は存在しています。
そして、ごきょうだいにしょうがいがあるなど、なにかしらの困難がある、一人親で奨学金をもらっているなど、そういう多くの学生さんは、しっかりされいるな、という印象です。
「必ず自分は社会に出てないといけない」
「親に負担をかけられない」と覚悟が決まっています。
勿論、私達も全力でフォローします。
そういう現実も認めつつ、一見、何も困難や家庭環境にも問題もないような学生さんだけに注力した場合、上記のような違いがあると感じてしまうのです。
学力だけじゃない!の本当の意味
冒頭の御三家の彼らは、学力が高いのは実証済みといってもいいでしょう。
そこは、ベースとして、それに加えて上記のような「主体性」など学業以外にも大いに発揮されいていることが多い印象です。
(勿論、全員が全員じゃないでしょうが)
それは、そのまま大学でも同じことを感じます。
学力と非認知能力の両輪が備わっている方が多いなと。
以前は、これは自分の育児に生かしていけさえすれば、いいのかな、と思っていました。
しかし、ある時、その「現場での話を多くの親御さんに話してもらえませんか?」という私の背中を押してくれる方がいました。
それが「たねまきめぶき」の代表、宮原聖子さんでした。
「たねまきめぶき」のHP貼り付けておきます。
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今週末(9/10)ガイアの夜明けで取り上げられたプロジェクトで活動中の大学生起業家に話が聞けます。
10:00〜小学生向け
11:00〜中高生、保護者向け