人生という長丁場を通じて誰かひとりを愛し続けること
村上春樹の短編で最も好きなものに、「かえるくん、東京を救う」がある。
僕の中で「パン屋再襲撃」「象の消滅」と並んでトップスリー。
「かえるくん」が収録されている短編集の最後に、なんというか独特のテイストの短編「蜂蜜パイ」という作品がありまして、初めて読んだ時にも不思議と染み入る感じがあったんだけれど、今日また読んだら僕の人生が進んだ分、ますます染み入っちゃったんですよね。今日はその話。
「彼にはたしかに正しい友だちをみつける才覚があった。でもそれだけでは十分ではなかった。人生という長丁場を通じて誰かひとりを愛し続けることは、良い友だちをみつけるのとはまた別の話なのだ。彼は目を閉じ、自分の中を通り過ぎていった長い時間について考えた。それが意味のない消耗だったとは思いたくなかった。」
ということをめぐる短編。
主人公は最愛の女性に告白する勇気を持たず、その人は親友(高槻くん)と結婚した。
もともとその女性を含めた三人で親友みたいなものだったし、結婚後も子供ができても親友のままだったんだけれど、高槻夫婦はやがて離婚する。
僕はこの主人公のようであり、その親友の「高槻」のようでもある。
この自立がよしとされる時代にあって、「人生という長丁場を通じて誰か一人を愛し続ける」ことに、すこぶる自信がなかった。
今になって思えば、ですよ。自信がなかったというか、そんなことがほんとうに可能なのだ、というイメージをいだけないできた気がします。
なんども「ずっと愛し続けよう」という意思を持って、挑戦して来た。
人生の中で、なんどもなんども。
そしてなんども別れを告げたり告げられたりして来たのでした。
なんどもなんども。
そのたびにね、大きな痛みがあるわけです。
そして絶望して、一人で生きていこうと思うこともなんどもあった。
でもこの歳になってやっと、「人生という長丁場を通じて誰か一人を愛し続ける」ことが、きっとできる、と思えるようになったのでした。
なんというか、依存しあうのではないのに、誰か一人を愛し続ける、誰か一人と愛を育み続ける、その道がやっと見えてきた。
そんなことを思いながら、しみじみと読んでおりました。
#本当の結婚の復活