夢の男性遍歴
モテる女、、、。なんと美しい響きを持つ言葉であろうか。
しかし私の周りには、このテの女性がゴロゴロしている。その中でも恋の猛者の第一人者はなんといってもMちゃんであろう。
Mちゃんはきちんとした教育と躾を受けた女性の古風さを華やかな世界にいても持ち続けている女性だ。
退屈するのを何よりも嫌い、いつも心と体をうきうきと動かさずにはいられない性の私たちはすぐに仲良くなった。都会という水槽を熱帯魚のようにひらひらと泳ぎ、時代の先端の空気に触れる楽しさをたんと味わい、酔っている。
出会ってまだ間もない頃に、私はまあまあなホラを吹いた。
「あのさ、この頃結構モテるような気がするんだけど、それがどうしたっていう感じ」私は深いため息をつく。
そしたらMちゃんは、さもありなんという感じで悠然と構える。この反応に私は感動した。Mちゃんは真性「恋愛の上流階級」だと確信した瞬間だ。
そこへいくと普通の女性ではこうはいかない。自分たちと同じレベル、あるいはそれ以下で常にちやほやされるのは許せないと潔癖な心に燃える。
Mちゃんのモテ方というのは、昔から尋常ではなく、私はいくつかの現場を見てきたものだ。
先日、超インテリ学者の男性に宴席に誘われた。学識豊かで要職についているが、やたら気むずかしいし、見た目がちょっと地味。つまりうんと手ごわい相手だということだ。
「本当は夜遊びしないんだけど、特別よ」などと私は言うものの、生まれつきお調子者ときている。こういうオファーをお断りしたことがない。それどころか身を入れ過ぎてしまうところまでだ。
私はさっそくMちゃんに連絡した「インテリの方に宴席に誘われているんだけど、一緒にいってくれないかしら」
「あら、楽しそうね」当日仕事の都合で少し遅れるとのことであったが、Mちゃんはこころよく諾してくれた。
格調高いレストランには、「出来るだけ美形を」という私の注文通り、なかなかのレベルの男性たちがいた。
もちろん女性としての私には全く興味をお示しにならず、強力な味方であるMちゃんが到着するまで、私は自分の話を面白おかしく話して、にぎやかしに徹した。情けないが、この場を乗り切るにはそれしかない。
遅れることMちゃんがやって来た。「おお!」皆のため息。
パレットに赤色と黄色の絵具を出して混ぜ合わせたような柑子色のワンピース。その美しさ、みずみずしさといったらない。細かくグラデーションなどを作って細部にわたって作り込んだ濃いめのメイクも、今日のファッションと場にかなっている。もともと華やかな女性であったが、今日のMちゃんはひときわゴージャスに照り輝いていて、すべてにおいて堂々としていた。
それに比べて、私は出先であった空気が美味しいのどかな町から直行したので、なんといおうか、カントリーのにおいをひきずっていたような気がする。
サナトリウムにいる人間が、健康な人に憧れるように、地味な男性ほど、華やかな女性に対する憧憬は人一倍だ。インテリ男性からそういうまなざしで見てもらえて、これほど期待を持たせる装いがあるであろうか。自分らしさを維持させながら、相手の好みを把握し、それに従って自分をこしらえて、女性として市場に出ていける人はそうはいない。これはもうマナーというより、女性としての才能であろう。
女性の私でもうっとり見惚れてしまったのだ。男の人たちはもっとすごかっただろう。先程まで気さくに冗談を言う男の人たちがややぎこちない。
その時、私はわかったのである。大きな真実をだ。
モテる女というのは、他人の気持ちを読み取ることがうまいのだ。となれば、エリートと恋愛したいと願う女性が、エリートたちのメンタリティーを考察して、それに従って自分を変えようと研鑚するのは、全く悪いことではないはずだ。むしろ、いい意味でのしたたかさだと私は讃えたい。
たとえお金が目当てだってわかっていても、男性はやっぱりそれが嬉しいのだ。それが男の度量の大きさのように考えたり、愚かにもなれる自分が嬉しかったりする。ある種の男の人にとって、真心とか誠意なんていうよりも、女性の狡さの方がずっと心をかきたてられることがあるのだ。私は男性ではないが、こういう時の男性の心理はなぜかわかる。
知らない人ばかりで大丈夫だろうかと心配していたのだが、いつのまにか、Mちゃんを中心に座が盛り上がっていた。どっと起こる歓声と拍手。まるで花火が上がるような騒ぎだ。
Mちゃんは節度を保ちながら親密な雰囲気を伝えようとしていた。率直で聡明な女性でなければできない、かなり高等テクニックだ。彼女と飲みたい男性が列をつくるわけだ。
ツヤツヤのデコルテというのは、女性の大切なパーツ。キャンドルの炎に照らされたMちゃんのデコルテはまさに目から入る快楽である。Mちゃんの白く透きとおった美しいデコルテは男たちに何かを語りかけていた。意思でもない。何かもっと違う何かだ。
こういう女性と愛し愛される、というのはそれこそものすごい幸福だ。特権といってもよいだろう。そう、Mちゃんは「恋愛の上流階級」どころか真性「恋愛の特権階級」なのだ。私は一生この人についていこうと思った。
そしてこの異常なまでの宴席好きというのが、私の人生にどれほど多くの楽しみと恥を与えてくれたことであろうか。
ひときわ大きな輪ができ、Mちゃんをわっと取り巻いている人たちの様子を少し離れたところから見て、私は目を細めたりしていた。が、お店の方からは強引にやってきたひとクセある女の人だと見られたらしく、ほとんど手付かずの料理を取り皿に取り分けて、私の前だけに差し出したのである。
私は恥ずかしさのあまり身がすくんだ。が、お店の方の厚意をしみじみと感じながら、まるで呼吸するかのように食べた。そしてゴクリと喉を鳴らす。こうなったら、お店の方もムキになる。次々と料理を取り分けてリズミカルに私の前に差し出す。私もそのテンポに合わせてスルスルと喉の奥に流し込む。まるでわんこそばスタイルだ。あ、いけない。話がそれてしまった。
Mちゃんは確かに野心的な女性であったが、それ以上に自由を愛する女性であった。男性に決してとらわれない女性。相手がこちらに夢中になり、自分の心を欲して泣く。けれどもそれに動かされない女性。男性より優位に立てる女性。普通の女性はそうした女性にとても憧れるけれども、多くの場合は、その反対のことをしてしまう。
若さしか価値を見いだせないカスカスの青春をおくった女性には、とうてい構築できない豊饒な生き方であろう。