デキる人は「瞑想」で自己肯定力を上げる
ttps://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180209-00024354-president-bus_all より
綿本彰『一瞬で自己肯定を上げる瞑想法』(KADOKAWA)
メンタルトレーニングの一環として、「瞑想」を取り入れるトップアスリートやビジネスパーソンが増えています。瞑想にはどんな効果があるのでしょうか。ヨガトレーナーの綿本彰氏は、「『自分の内面の声』を聞くことで、自己肯定力が上がり、心も体もラクになる」と説きます――。
※本稿は、綿本彰『一瞬で自己肯定を上げる瞑想法』(KADOKAWA)の第2章「自己肯定力を高める心のレッスン」を再編集したものです。
■ありのままの自分を認めると生きるのが楽になる
脳を休める上で、そして瞑想を深める上で最大のカギとなるのが「ありのままを肯定する」ということ。活字にするとシンプルでいかにも簡単そうですが、これがなかなか実践できず、だからこそいつも私たちは気持ちの切り替えがうまくいかず、過ぎ去ったことに悩み、まだ起こりもしないことを憂います。
そうやって目の前の物事に集中することができなくなって、それがまた脳の疲れに拍車をかけてしまう……。
そんな悪循環から抜け出すためのカギとなるのが、「ありのままの自分」を肯定すること、つまり自己肯定です。
自己肯定感を持てないでいると、自分の弱い部分や醜い部分を誰かに見透かされるのではと未来におびえ、なけなしの自尊心を傷つけられた過去にいつまでも傷つき、それが怒りへと変貌して「ありのまま」から程遠い状態に陥ります。
■死ぬまで自分自身と付き合いは続く
逆に自己肯定感が持てると、自分の弱い部分も醜い部分も認めることができて、それを含めて自分なのだという感覚が育まれ、日々を穏やかに過ごしやすくなります。自分の弱い部分を隠そうとせず、それを見透かされることにおびえる必要もなく、たとえ指摘されても傷跡は小さく、癒やしやすくなるのです。
傷つきにくくなり、だから誰かを恨みにくくなり、他者肯定への芽も育みやすくなります。つまり、ありのままの自分を肯定することができれば、ありのままの他者を肯定しやすくなり、ありのままのすべてを肯定しやすくなるのです。
それ以前に、そもそもこの世に生まれてきた時点で唯一確かなこと。
それは、死ぬまで自分自身との付き合いが続くということです。そんな自分といい付き合いができるようになれば、どれほど生きるということが楽になることでしょうか。そういった、生きる上でのあらゆるスタートラインになるのが、「ありのままの自分を認めてあげること」になるのです。
■まずは、自分が自分の味方になろう
自己肯定の第一歩は、今抱いている自分の「気持ち」に気づき、それを肯定することにあります。
クヨクヨしたり、イライラしたり、何かにおびえていたり、寂しかったり。過ぎたことや未来のことが頭から離れなくて、つらくて前に進めない状態……。
そんな状態から抜け出すには、まずそんな自分を責めないことが何よりも大切になります。無理に気持ちを切り替えようとせず、無理に前に進もうとしないことが自己肯定の第一歩なのです。
例えば、悲しい出来事があって、それを大切な人に打ち明けたとします。ところが、その人は自分の悲しいという気持ちにまったく共感してくれず、逆に「そんなことくらいでクヨクヨすんなよ」と言われたら、どんな気持ちになります? それこそが悲しい出来事ですよね?
「つらかったね」「大変だったね」と、まず自分の気持ちを認めてほしいですよね。正しいとか間違いとかではなく、まず自分の味方でいてほしいですよね?
■自分の感情を自分自身が受け止める
だからまず、自分が自分の味方でいてあげることが大切です。ネガティブな気持ちでいる自分を、自分自身が受け止めてあげることが大切なのです。
私は、今、悲しい。それでいいじゃないですか。その悲しみを消そうとする前に、他でもない自分が自分の味方でいてあげましょう。誰かに気持ちを伝えたら楽になるように、その気持ちを理解してくれる人がいたら救われるように、自分が今どういう気持ちであるか、他でもない自分自身が気づいてあげ、それを否定せず肯定してあげましょう。もしそれができたなら、それだけで不思議なほどに気持ちが楽になるのです。だからじっくりと時間をかけて、気が済むまで自分の気持ちを聞いてあげて、そして認めてあげましょう。
私は、今、悲しい。それでいい。悲しいときは、悲しくて当たり前。
そんな自分のまっすぐな気持ちを、まずはありのまま認めてあげましょう。
■ネガティブな感情の正体は身体感覚にあり
自分の気持ちを理解してあげる際、その身体感覚を肯定することがとても役に立ちます。
東洋には「心身一如」といって、「心と体はひとつながりのもの」という考え方があります。例えば、イライラしているときは眉間や肩、喉に力が入り、心臓がばくばくして頭に血が上っています。クヨクヨしているときは、呼吸がきゅっと緊張しておなかに力が入らず、何とも言えない脱力感が全身を包み込んでいます。
東洋では、その身体感覚こそが、イライラやクヨクヨの正体ですよ、と教えているのです。試しに、眉間を少しも緊張させることなく、喉や首や肩を完全にリラックスさせ、呼吸をゆったりしながらイライラしてみてください。
無理ですよね?
体をトータルにリラックスさせながら、イライラすることはできません。クヨクヨすることはできません。ネガティブ感情のみならず、感情や気分の正体は、身体的な変化、そしてその身体感覚そのものなのです。だから、その変化や感覚を消し去れば、イライラやクヨクヨを継続できなくなるのです。
■「体の叫び声」を否定すると萎縮する
そして、その感覚を消すためには、まずその感覚を肯定してあげることが大切です。身体感覚とは体の叫び声。脳に何かを聞いてほしくて、気づいてほしくて発する体の叫びなのです。それをピシャリと一喝し、「いなくなれ! 」と否定したら、それだけで体は硬く委縮します。
だからまず、体のそこにその感覚があることを認めてあげましょう。その感覚を、邪魔物だと頭ごなしに否定しないであげましょう。
それができたらあら不思議。本気で本音でそう思えたら、その感覚はすーっと消えていくのです。「ありがとう。聞いてほしかっただけなの」。幽霊が成仏していくイメージです。体からその状態、その感覚がすーっと消えていくのです。
気持ちは体で作られる。だからしっかり体の気持ちを聞いてあげましょう。
■本当の癒やしは内側から起きる
さまざまなものを否定すると、心も体も硬くなって石化してしまう。そんな石化から自分を救うには、どうすれば良いのでしょうか。
少々強引な方法を使うとすれば、石化した部位を一度緊張させてから緩めることによって、ある程度ですが元の状態に戻してあげることができます。
硬くなったあたり一帯を、緊張させることで虚血状態にしておいて、それを一気に解くことでこわばりを解消し、血流を促して石化を溶かすのです。
即効性があり、とてもおすすめです。
が、この方法では芯までは凝りがほぐれないのです。石化とは、単なる筋肉レベルの緊張ではなく、否定の痕跡ともいえるメンタルなもの。まさに怨念です。
■自分の中の抑圧を聞き、認める大切さ
そんな恨みを晴らすには、やはり聞いてあげること、そして聞いたことを肯定してあげることに尽きるのです。だから、肯定すると消えるというわけです。
抑圧していたことに気づいてあげること。そこがそうであることを認めてあげること。「ごめんね」とつぶやきながら、「つらかったね」と心の中で抱きしめてあげること。それが本当にできれば、石化の呪いが溶けて、心も体も本来の状態、動き、流れ、色を取り戻します。
嫌な感覚は体からいなくなってしまえ。だから一度筋肉を緊張させてしまえ。力ずくで問題は消し去ってやる。だってあなたは邪魔物だから。……そんなやり方で本当に問題が解決できると思いますか? 石化が解消できると思いますか?
本当の癒やしは内側から湧き起こるもの。
本当に体の気持ちに歩み寄ってあげ、自分の気持ちに寄り添ってあげ、ただ聞いてあげる。「そうだね」とただ理解者でいてあげる。そして……その次はなく、ただそれだけでいいのです。
聞いてあげれば石化は消える。疲れにしても、貪り(むさぼり)にしても、すべては同じ。ありのままを感じてあげることで、癒やしは内側から起きるものなのです。
■向き合わないほうがいいこともある
これまで、自己肯定の大切さと、その方法について大切なトピックスをご紹介してきました。心にも体にも、幼少から引き起こした無数の抑圧があること。それに気づき、肯定してあげることで消えるということ。ネガティブ感情も、疲れも貪りもすべて同じ。今そこにそれがあることを認めてあげることで、自己肯定が起こり、楽になれるというお話をしてきました。
でも、頭でそれが分かっていても、心ではなかなか肯定することができなかったり、最初のうちはできていたのに、いつの間にかまた元通り否定づくしになっていたり、あるいは自分と向き合うと余計につらくなって、ネガティブが倍増してしまったり……。
どんな分野でも、理想と現実との間にはギャップはつきものです。
そんなときは、心ではなく、身体感覚とだけ向き合うこと。
そしてさらに加えるならば、もし自分と向き合うのがどうしてもつらい場合は、「今向き合う必要のないこともある」ということを覚えておいてください。
未熟な私たちには、今すぐには手に負えないものがたくさんあるのです。肯定力が育っていないと、まだまだ肯定しきれないことがたくさんあるのです。
でも、少しずつ自分の気持ちや身体感覚を肯定することが上手になり、肯定力が高まってきたら、いつの日かそんな等身大の自分と真正面から向き合い、そのまま肯定してあげられるときが来ます。必ず来ます。