死と再生
2018.02.20 04:56
死と再生
中学生の頃 私は「生きる意味ばかり」を求めるニヒリストでした。
授業は 興味が持てなくなると 読みたい本を読み 教室から追い出され クラス担任が担当教師に 平謝りすることが何度かありました。
休憩中は職員室に入り浸りで 教師相手に「生きる意味」を問い続けました。ある理科の教師は「命なんて リトマス反応のようなものだよ」と言ってのけました。その時は大ショックでしたが 命はニュートラルなエネルギー現象であり 人生の意味は個別であり 魂が選んで決めること、そして魂の選択によってエネルギー現象が変化することを 実感するようになりました。
ある国語教師は「死ねる自由がある者と 無い者とでは どちらが幸せかと私に尋ねました。
私が「行き着く先が墓場だから 好きなことをして、切羽詰れば死ねばよい」と断言し
自分を満たしてくれるものを求め始めたからです。「幸せの青い鳥探し」を始めたのかもしれません。
生きる意味も、自分を満たしてくれるものも 外に求め続ける限りは決して 掴み得ないものでした。喉の乾きを潤すために塩水を飲み ますます乾きに苦しみ 喘ぎ続けた思春期でした。
しかし死の自由とはなにでしょう?
私たちは日々新しい存在です。
新陳代謝を観るだけでよく分ります。
私たちは体に宿った時から死と再生を 繰り返し 成長します。
胎児に死に乳児に生まれ 幼児に死に小学生となり 子どもに死に大人に生まれ………
死と再生はセットといえます。