反省してます
ここ1週間くらいの間、「死と誕生」のワークショップや、6ヶ月のグループコンサル2つ(そのうち一つは最終回)など、その人が生きる本質の願いにつながるお手伝いを全力でやらせていただきました。
そして何人もの人が、その人の真実の姿を表してくれて、ほんとうの願いや使命のようなものに出会って表現してくれて、そのたびにどうしようもなくハートが震えたり涙が流れたりしたのね。
その場所に本気で立つ時、人は本当に美しいし、とてつもない愛を放射する。
そういう放射に何度も晒された1週間だったわけです。
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そうなんだけれど、正直に言うと。
そのいのちの輝きに本人をいざない、そこに立った姿になんども感動してきた一方で、僕は自分自身が全然そこに立てていないことを突きつけられ続けてもいました。
そうなんですよ。
僕らは油断すると、いろいろな理由ですぐにそこからおりてしまう。
全然できていない自分に絶望して。
人からどうみられるのかを気にして。
自分にはふさわしくないと遠慮して。
それで食べていけるのかが不安になって。
願いへの届かなさの痛みに耐えられなくなって。
いろいろな理由をつけて、自分が何者であるかを忘れてしまったり、ごまかして生きてしまう。
それも無自覚のうちにやってしまう。
東京にいた1週間ちょっとの間に、僕自身がまさにいまそうであることに気づかされました。
僕が全然できていないじゃないか。
そのことにショックを受けて、そして冷静になってからは反省しておりました。
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僕がたましいから望んでいることは、地球上のすべての命が救われること。
いや、この言い方だとごまかしてるな。
地球上のすべての命を救うように、人を導く。
それが僕がすること。自分でも詳細はすぐに言語化できないんだけれど、そうなんだよね。パートナーシップのことも、祖国・一族の土地のことも、そのためにやってる。それ以外のためになんて、やるつもりはない。
でもしょっちゅうブレてる。くやしい。
僕の場合1番の理由は、ずっとやってきたけれども結果が出ないことへの絶望。その痛み。
大型肉食獣の個体数が世界中で回復してきました、みたいなニュースはなくて、ずっと地球上のすべての生き物の危機が進行し続けています、ということがはっきりわかる。そのことに絶望する。
その痛みが大きすぎて、無自覚なうちに心を閉じて感じないようにして、気づいたら自分の願いの場所から降りちゃっている。
でもそれじゃあ、ダメなんだ。
そんなふうに生きていたいわけじゃない。
なんども思い出して、なんども立ち上がるしかない。
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今計画している、パートナーシップのエッセンスを伝える人を養成するプログラムもね、こういうところに立つ人をこそ育てるんじゃなきゃ意味ないし、そこに立ち続けられるようなコミュニティを作っていくことにこそ意味があるよね、と、今日の打ち合わせで志を同じくする 後藤 志果ちゃんと握り合ったところ。
そしてエネルギーが戻ってきた。
その前の時間にパートナーの Keikoちゃんとも本気トークしていて、彼女の本質に触れてからの打ち合わせだったからね。
あらゆる流れにはほんとうに僕が守られ、後押しされているのを思い出させてくれます。
これからも何度でも、ここに立ち返ってすすんでゆこう。僕がそこに立たなくてどうするのだ。
と思った本日の打ち合わせでした。
もう少ししたらプログラムのことも発表するから、ここに震えるものがある人は是非参加してくださいね。