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【社長通信】現場の四季‥大寒のころ

2018.02.21 00:28

今年の冬は例年にない寒さだった。

降る雪の量も回数も半端ではなかった。山口のチベットともいわれる徳佐では観測史上最も低いマイナス16℃を記録した。仕事とはいえ、このような厳しい気象条件の下で業務に励むみなさんには頭が下がる。本当にご苦労さまです。

さて、立春を境に季節は春に入るが、私にはこの時季になると苦い記憶がよみがえる。

私のふる里、山形は雪国です。先日、観測史上2番目の4mを超える積雪を記録したと報じられた大蔵村肘折温泉は、山形県のほぼ真ん中にある湯治場です。

住民は「冬来たりなば 春遠からじ」と閉じ込められた雪の中で、祈るような気持ちで春を待つ。

私の実家のある庄内町は、米どころ庄内平野のど真ん中に位置する。冬は日本海からの季節風が激しく雪は横から、時には下から舞い上がって吹き付ける。人びとは吹雪のなか背中をまるめ、転ばぬように踏ん張ってがに股で歩く。

口を開けると雪が入ってくるので、閉じたまま話す、他所者には何をしゃべっているのかわからない。例えば「ご飯食べたか」との声に「食べた」と返す。これが「ままくたが」「くた」となる。庄内弁は難解だ。

 父が亡くなったのは50年前、私が23歳、節分の頃でした。お棺をのせたソリを先頭に親類縁者に近隣住民数十人の葬列が猛吹雪の中を黙々と、火葬場へと向かう。山口に住むようになって38年になるが、この時季によみがえる私のふる里の原風景です。若いころは苦い悲しみが入り混じっていたが、今はむしろ懐かしく思い出される。馬齢を重ねるということはこういうことなのかと、納得する。 


ところで、警備の仕事を始めて20有余年、いろんなことがあった。

特に、人手不足を補うために、またユーザーの要請に応えるために私もたびたび現場に出た。現場では一兵卒としてその役割を担ったが、現場ごとにいろんな苦楽があった。いまでは懐かしく思い出される。そんな中で印象に残った四季折々の現場体験を季節に応じて紹介する。 

先ずは大寒のころ。

萩は浜崎魚市場前から少し中に入ったところでの建柱工事。相方は中電工担当の責任者Sさん。重機の動く作業現場をSさんが担い、私は通行止めの三叉路で迂回指示。日本海からの北風をまともに受け、寒さに震えあがった。朝から晩まで昼の休憩を除いて立ち続けた。山口に来て20年、雪国育ちの寒さに強い体質が変わってしまったのか、骨の髄まで冷え切った。

しかし、これでもかと吹き付ける北風に雪国育ちのDNAが反応しはじめた。作業の終盤には全く気にならなくなっていた。心が寒さをしっかりと受け止めていた。 
人間には精神的にも、肉体的にもその能力には伸びしろがあるといわれる。どんなに苦しくとも、厳しくともこの程度では死ぬことはないという確信みたいなことが得られた時、辛さは吹っ飛んだ。

「一味同心」それぞれが持つ潜在能力、つまりのびしろの向上に努め、「やったあ」という達成感を積み重ねよう。これが働くことの喜びである。

代表取締役 加藤慶昭

(2018年2月17日記す)