9月11日 主日礼拝
9月11日 主日礼拝
礼拝説教
伊藤大輔牧師
マタイによる福音書 16章5ー12節
大事なものを持っていない。
弟子たちは生きるのに必要なパンを持ってこなかった。
生きるに必要なもの。
私たちはまだ揃っていない。
持っていないと思っている。
主イエスは弟子たちに告げる。
ファリサイ派とサドカイ派のパン種に注意しろ。
彼らは「しるし」を求めるもの。
天の国。
その「しるし」を求める。
「しるし」とは何か。
幸せの「しるし」としての富。
力の「しるし」としての地位。
しるしは目的と分かち難く結びついているもの。
しるしは目的を象徴するもの。
だがそれは本当か。
富が不幸を招くこともある。
地位がなんの力も発揮できない場面もある。
「しるし」は目的と結びついているのは現実ではなんの確証もない。
それなのに何故、人は「しるし」を欲しがるのか。
信じていないから。
「幸せ」「力」「天の国」
それを信じられないから、私の納得のいくものが欲しくなる。
信じられない私のために「しるし」は必要になる。
しるしとは何か。
私が設えた、私が納得のいく私のためのもの。
しるしとは偶像。
五つのパンを五千人に配り、彼らが満腹をした後にパン屑は12の籠にあふれていた。
7つのパンを四千人に配り、彼らが満腹をした後にパン屑は7つの籠にあふれていた。
弟子たちは群衆を満足させるためにはこれに見合ったパンを購入する富が必要だと考えた。
群衆の満足の「しるし」それは富であると。
だが主イエスは「しるし」に立ち寄らず、今、ここにあるものを投げ出せと命じる。
群衆に見合う大量のパン、それを入手する富
それは偶像だとする。
現実にあるパンを投げ出す。
パンは尽きることなく、人々の手に入っていく。
その結果、余るほどのパンが集められた。
現実を作るのは「しるし」にすがることではない。
今、ここにあるもの。
それが本当の世界を作る。
大事なものを私は何も持っていない。
大事なもの。
「しるし」と言われるもの。
アダムとエバにとっての幸福な未来の「しるし」は善悪の知識の木の実。
それを食べても彼らは望むものを手に入れられなかった。
大事なものなどいらない。
大事なものなど持っていなくていい。
信じる力。
しるしに支配されない心を作る。
その心が現実を作っていく。
本多記念教会
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