第10回 タイトルは作品の顔
タイトルは作品の顔
童話塾最後の自由課題は、ようやく立原えりか先生による添削でした。これまでの課題作品は大して指摘されなかったためか、油断していた私は、やってはいけないミスをしでかしてしまったのです。
「ぼくは右ぎっちょ」(原文)
サブちゃんは左ききだ。工作の時間に好きなものをつくるときも(A)さぶちゃんだけがハサミを使うのに時間がかかっている。
「どうしたサウスポー、そのうちにあしたになっちゃうよ」
ぼくがそう(B)ひやかすとみんなはクスクス笑った。それでも(C)サブちゃんは気にもかけないで、やりづらそうにゆっくりとハサミをうごかしているだけだった。
主人公の「ぼく」が左ききのサブちゃんをからかったことで、翌朝から左右があべこべになってしまう内容でした。朝、起きると、「ぼく」はパジャマのボタンがはずしづらくなってしまいます。朝ごはんも左手でハシをもちなさい! と父さんから叱られます。
駅の自動改札機の投入口も左側にあり、学校でのインフルエンザの予防接種は右のうでに打たれます。ヒリヒリ痛みがとれないまま休み時間のドッジボールはさんざんな目にあわされるのでした。
仲間はずれになった「ぼく」は、しょんぼりと家に帰りながら(これからは毎日、左手を使わないといけないのか……)となげいていると、向こうの道をサブちゃんが歩いています。「ぼく」はサブちゃんを追いかけながら(ごめんよ、サブちゃん)と心の中でつぶやきました。すると翌日にはうでの痛みがとれていて、もとの生活に戻れることができた……というもの。
「面白い発想ですが文章にリズムをつくるともっと生き生きしてくると思います……」というコメントがありました。Aの「も」は「つくるときには」と直され、BC「そう」「それでも」の接続詞はなるべく使わないほうがこの文章には合いますと削除の朱を入れられました。「『右ぎっちょ』という日本語はありません」というコメントに私はぼう然となりました。私自身が左ききで、こんな思いつきになりましたが、子どもの頃から「ぎっちょ」という言葉が耳になじんでいて、おかしな造語をつくってしまったわけです。「ぎっちょ」は今や差別用語のようなグレーゾーンに位置するようです。「サブちゃんごめんね」とタイトルを改めました。タイトルは作品の顔であることを心して下さい。
その後、立原先生のコミュニティ・カレッジに入会することになってからの経緯は著書である『童話は甘いかしょっぱいか』にくわしく記してあります。
浜尾