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紫藤会

5/11「経営学と歴史」『ArayZ』2022年5月号

2022.05.11 09:24

 グローバル化が進み、高度情報化社会が到来した21世紀。私たちの社会はより豊かになると多くの人が考えていたことでしょう。

 しかし昨今の世界情勢に目を向けると、私たちが想定していたものと乖離するように、暗雲の立ち込める混沌とした世界へと移行しつつあります。イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは、20世紀は人類を飢餓から解放した一方で、人類史上もっとも悲惨な大量殺戮が行われた世界大戦に特徴づけられる「極端な時代(age of extremes)」と表現しました。大変悲しいことに、1世紀も経たぬ間に私たちは再び、同じ悲劇を繰り返しています。

 未来は過去の延長線上にはありませんし、過去の歴史がそのまま繰り返されるわけではありません。しかし、アメリカ・リアリズム文学を代表する小説家マーク・トウェインが言うように「歴史はそのままは繰り返さない。しかし、歴史は韻を踏む(The past does not repeat itself, but it rhymes)」のです。歴史を学ぶことは、過去を知るためのものではなく、未来を創造するために「現在」の認識を改めることです。未来を創造するのは「いま・ここ」における私たち一人ひとりの行動であり、心の働きです。歴史を知っていることと、歴史的に考え、行動することは異なります。「過去」についての解釈を再検討し「現在」の認識に変革を加えることで、「いま・ここ」において、より善い「未来」を創造するための行動へと結びつけることが大切だと感じます。

 歴史を創り出してきたのは他でもない人間です。一人ひとりには、それぞれの立場や考え方、そして価値観があります。つまり、歴史とは主体性をもった個によって創り出されていると言えるでしょう。そうであれば、それぞれの立場を知ろうとする姿勢、他者の苦しみや悲しみに共感するための人間力を醸成しなくてはなりません。「分かる」ということは、それによって自らが「変わる」ということでもあります。哲学者のサルトルの言うように、私たちは主体的に社会に関わることで、歴史をより善い方向へと発展させることができるのです。

 社会の存在目的は人々が善く生きるためであり、企業経営が社会のなかで行われる実践である以上、ここから逸脱することがあってはなりません。経営に関わる多くの著作を世に残した山本安次郎先生はかつて、「経営学を根本的に理解するものは哲学的でなければならない」と述べています。佐々木吉郎先生も「企業経営は個別資本の論理からだけでは考えてはいけない。経営理念によって裏付けられない経営技術は有害である」と述べ、「個別資本の論理は、貫かれなければならない。けれどもそれは、人間の論理に背反してはならない。いまやこのことが反省されるにいたっているのである」ということを50年以上も前に指摘しています。こうした日本を代表する経営学者の指摘は、今もなお不変的なものと言えます。

 かつて西田幾多郎先生は、「善」とは「一言でいえば、人格の実現である」と述べました。こうした哲学的な問いに向き合い続けることもまた、経営学を学ぶものに課せられた重要な使命の一つなのです。


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