月の食料
https://ameblo.jp/minamiyoko3734/theme-10108776674.html 【グルジェフの記事(254件)】
http://takapachi1962.seesaa.net/article/453461496.html 【CassWiki:月の食料】より
「月の食料」は、第4の道に出てくる概念の中でも、比較的厄介なものでありながら、説明されることも少ない。
第4の道の宇宙論では、創造は全宇宙の中心である絶対太陽から、外側に、下位次元へと向かって進められるとされる。創造は諸コスモスないしは諸世界として知られる多数のレベルで行われていき、やがて、地球が存在するレベルに到達する。特殊な宇宙環境に置かれていたせいで、地球上の有機生命体はこの創造エネルギーを吸収した上、別の形に変容させねばならなかった。それは「月」へと送られ、それが成長するための「食料」とされた。こうした自然プロセス全体を見ると、人間を含む地球上の有機生命たちが宇宙という生命体の内部で果たしている役割は、さながら人間の消化器系に棲むバクテリアが営んでいる機能のようである。
(※『ベルゼバブ』浅井訳486ページ
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というわけで、地球の3脳生物もわれわれと同様に、根源的で汎宇宙的なトリアマジカムノ(=3の法則)の3つの力がもっている質をすべて具えた、最も偉大なるトロゴオートエゴクラット(=至聖絶対太陽を維持する、汎宇宙的エネルギー変容システム、あるいは相互扶養システム)
が必要とする宇宙物質を変容するための装置であるばかりでなく、自らもさまざまな独立した生成物から成る3つの異なる源泉から変容に要する物質を吸収しているがゆえに、自分の生存を維持するに必要な物質とともに、彼らの高次存在体を形成し、完成させるための物質を備蓄する可能性もすべてもっているのだ。
というわけで、変容のために3つの源泉から彼らの身体に入る物質は、われわれにとってと同様、3種の食物ということになる。
まず最初の物質は、<アシャギプロトエハリー>から、つまり根源的なる聖ヘプタパラパーシノク(=7の法則)の最後のストッピンダーから、この上なく聖なるプロトコスモスに向かう進展の上昇過程を引き返す途上で、彼らの惑星の力を借りて、惑星上のそれ相応の高次の形成物に送りこまれ、そしてさらなる変容をとげるために彼らの体内に入るのだが、これが<第1存在食物>、すなわち彼らの通常の<食物>と<飲料>なのだ。
しかし第2の源泉からとられた物質は、彼らの太陽と、その太陽系の全惑星の変容から得られたもので、これがこの太陽系の全惑星の放射物を通してこの惑星の太陽圏に入り、それが再び、ちょうどわれわれの体内に入るように、さらなる進展に向かう変容のために<第2存在食物>として彼らの体内に入るが、これを彼らは<空気>と呼び。これを呼吸している。そしてこの空気に含まれた種々の物質は、彼らの<第2存在体>(=後出の「ケスジャン体」)の形成とその維持のために働いているのだ。。。
しかしおもしろいことに、ずっと昔、つまりおまえの惑星に生息する3脳生物の中で器官クンダバファーの機能が完全に停止した直後に、彼らも今話した2つの高次存在食物に気づき、自覚的な意図をもってこれらを用いはじめた。そして、アトランティス大陸の最後の時代の生物であった者たちは、これらの高次存在食物を吸収するプロセスこそ彼らの生存の主要な目的であると考えるようになったのだ。
当時のアトランティス大陸の人間たちは第2存在食物を<アマルロース>と呼んだが、これは<月を助けるもの>という意味だ。。。
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人類が集合的に、宇宙の様々な目的を果たすために、特定の「振動」ないし「エネルギー」を生み出すよう求められているという事実は、ゲオルギイ・グルジェフの『ベルゼバブの孫への話』の到る所で強調されている。いわゆる惑星の影響のせいで、人類は戦争を行い、災厄に耐える定めであり、そうすることで一定量のエネルギーが放出されそれを「月が食べる」のである。
この月が具体的に何を表しているかについてはあまり詳しく述べられていない。問題の食料は、例えば非業の死のような強烈な人生経験によって生み出される振動だと述べられている。食料になることが避けられない一方で、人間は自分達の経験によって振動数を変えることで、宇宙の要求に応えるという貢献を行っているのだろう。人間がこうした使命を徐々に意識しなくなった結果、自然は質の低下を量で補うしかないと気付き、人間の人口を爆発的に増加させては、天災や戦争を頻繁に起こしているのだ。
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(浅井訳674ページ)
「というわけでだな、かわいいハセインよ。聖なる物質アブルストドニス(=ヘルクドニスとともに、3脳生物のケスジャン体(=パートクドルグ義務(=意識的努力と意図的苦悩。人間の体内に高次存在体を形成するのに必要な宇宙物質を同化吸収する唯一可能な手段)の遂行を通して、人間の体内に生まれる第2の体。肉体より高次ではあるが、第3の身体である魂体あるいは高次存在体よりも低次で、肉体が消滅すると、その惑星の大気圏内に上昇するが、一定の時間が経つとそこで解体する。現代人はこれをアストラル体と呼んでいる。ペルシア語で<魂の器>の意)と魂体を形成し、完成させる聖なる物質 ― 浅井氏邦訳書「用語集」の解説より)
とヘルクドニスを彼らの体内に取り入れ、これを変容させることによって聖アスコキン(=月とアヌリオスを維持するために、地球上に存在する生物が死ぬ時に生み出すよう自然が定めた振動)
を解放し、こうして月とアヌリオス(=地球に生じた最初の大異変の際に、月とともに地球から分離した2つの塊の1つ。現代の人間には知られていない。アトランティス大陸の最後の時代の人間たちはこれを、<安眠を絶対に許さないもの>という意味である<キメスパイ>と呼んだ)
を維持することができるようになるためには、意識的努力と意図的苦悩が必要だという本能的配慮がおまえのお気に入りたち(=地球の3脳生物)の精神から完全に消え失せたと見るや、大自然は別の何らかの方法でこの聖なる物質を抽出する措置をとらざるをえなくなった。そしてまさしくそれが周期的に起こる恐るべき相互破壊のプロセスだったのだ」
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第43章「人間が周期的に起こす相互破壊のプロセスに関するベルゼバブの概説、あるいは戦争についてのベルゼバブの見解」より
人間が他の何者かの食料だと唱えているのはグルジェフだけではない。以下では、この問題に取り組んでいる他の様々なソースをざっと見て行くとしよう。
古代キリスト教のトマス福音書には、以下の記述がある:
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(第60節)ひとりのサマリヤ人が小羊を連れてユダヤに向かっているのを彼らは見た。彼は彼の弟子たちに言われた。”この男は小羊をどうしようとしているのか”。彼らは彼に言った。”彼はそれを殺して食べようとしているのです”。彼は彼らに言われた。”それが生きている間は、彼はそれを食べないであろう。しかし、彼がそれを殺し、それが屍になるときにのみ”。彼らは彼に言った。”彼はそうするほかありません”。彼は彼らに言われた。”あなたがたは、屍となって食べられることがないように、自分自身のために休息の場所を捜し出せ”。
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出所:http://muso.to/h-to-masu.htm
これは、良き羊飼いのテーマと幾分一致しない。
(※ヨハネによる福音書/ 10章 01節
「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。
2:門から入る者が羊飼いである。
3:門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。
4:自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。
5:しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」
6:イエスは、このたとえをファリサイ派の人々に話されたが、彼らはその話が何のことか分からなかった。
7:イエスはまた言われた。「はっきり言っておく。わたしは羊の門である。
8:わたしより前に来た者は皆、盗人であり、強盗である。しかし、羊は彼らの言うことを聞かなかった。
9:わたしは門である。わたしを通って入る者は救われる。その人は、門を出入りして牧草を見つける。
10:盗人が来るのは、盗んだり、屠ったり、滅ぼしたりするためにほかならない。わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。
11:わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。
12:羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――
13:彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。
14:わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。
15:それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。
16:わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。
17:わたしは命を、再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。
18:だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これは、わたしが父から受けた掟である。」 ※※)
しかしこれについては、ナグ・ハマディ写本が聖書の他の部分のような数世紀に亘る編纂過程を経ていないことを考えれば、理解できよう。そうだとしても、上に引いた部分の寓話的な意味合いの解釈は無数にあるだろう。問題の核心は、「死んで」いる限りにおいて人間は食料である、ということであり、これは機械的な、意識を持たない状態だと解釈できよう。
カルロス・カスタネダは遺作となった『無限の本質』の中で、人間を食料とする宇宙の捕食者について述べている:人間は意識の光る上着を着ているのだが、これを捕食者が食べるため、この「意識の上着」は、人間の肉体がかろうじて生きつづけられる程度しか残らない。捕食者はたえずトラブルや危機をお膳立てして人間の「汁を吸い」、無意味な問題を与えて意識の炎を燃え上がらせては、エネルギーの炎を餌として食べるのである。上に引いた「休息の場所を捜し出せ」というトマス書の一節が意味するのは、捕食者に食べられないように「魂」を無駄にするな、ということである。つまり、どんな運命が振りかかろうとも、機械的に反応してはいけないのであり、さらに言い方を変えれば、「自己想起せよ」ということだ。
ボリス・ムラヴィエフはグルジェフ及び、おそらくは東方正教会修道院の伝承を参考にしつつ、以下のように述べている:
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これは何とも過重な務めである。人間社会とそれを取り囲む動植物界の営みによって月に送られるエネルギーの量は、通常の平和状態では十分に足りていないのだ。この結果、デュートロコスモス(第2宇宙、太陽、太陽系、世界12。『奇蹟を求めて』浅井訳321ページ)
による介入が必要となり、それがトリトコスモス(第3宇宙、人間。前掲書)の癇癪を惹き起こすこととなった。後者の狙いは、宇宙の胎児、すなわち、テッサラコスモス(第4宇宙、ミクロコスモス、原子)
に十分な栄養が与えられ成長が確保されるよう、同レベルでのエネルギーを拡大/増加させることだからだ。デュートロコスモスによる介入というのは、例えば、人類を苦しめるような、宇宙に起因する戦争や革命、疫病、その他のあらゆる大規模な災厄のことである。。。この結果、エソテリックな次元に住む外的な人間(exterior man on the esoteric plane)
http://www.geocities.jp/swedenborgjsa/key.html#005
が十分な貢献を為したとされるためには、相当量の意識的努力が必要になったのである。というのも、人間は自分たちが進化することによって、諸宇宙のシステムの進化と調和を保たねばならないからだ。
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ムラヴィエフの影響の下で思索を練ったと思われるグノーシス主義者たちは、地球や物質宇宙全般が、「闇の統治者たち」ないし「空の軍勢の君主たち」の首領である、邪悪なデミウルゴスの創造したものだと主張する。ムラヴィエフはこの存在ないし原理を絶対IIIと呼び、グノーシス主義者たちと同様、彼もまた間接的ながらその正体が旧約聖書のヤハウェであるとした。この絶対IIIは様々な悪霊を通じて、人間同士がチェスの駒のように敵対し合うよう仕向け、その結果、「月の食料」となる振動を発生させた。
現代の様々なチャネリング・ソースも、人間が様々な存在にとっての霊的食料源だと述べている。これらのソースが言うには、こうした存在はまるで物質であるパンを食べるようにして、人間から食料を得ているというのだ。一例として、バーバラ・マーシニアックの『プレアデス+ かく語りき』(原題:夜明けをもたらす者たち)を取り上げてみたい:
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(大内訳45ページ)
意識は振動しており、振動していない場合には、一定の電磁気周波数を与えることによって振動させることができます。意識の電磁気エネルギーに働きかけることによって、ある特定の振動数で振動させ、食べ物の源泉を作ることができます。林檎をいろいろに料理して、いろいろなかたちで食べることができるのと同じように、意識もまたさまざまなかたちに料理して、摂取することができるのです。
創造神のなかに、進化をとげていく過程で、生命体を創造し、意識体の周波数を調節することにより意識を物に吹き込むことによって、自らを利することができることを発見した者がいました。そうすれば創造したものをつねに支配下に置いておくこともできるのでした。根本創造主も、このようにして自らに滋養を与えているのだということに彼らは気付きはじめたのです。根本創造主は他の存在たちを送り出して意識の電磁気振動数を作らせ、それを自らの食料源としているのです。地球の新たな所有者たちの食欲と好みは、前の所有者のそれとは異なっていました。彼らは、混乱と恐怖を滋養としました。混乱と恐怖が彼らを太らせ、彼らを刺激し、彼らに安定した支配の座を与えてくれたのです。約30万年前にやってきた新たな地球の所有者こそ、聖書のなかで語られている偉大な存在たちです。バビロニアやシュメリアの文字板、世界中のさまざまな文書のなかに語られている存在です。彼らは地球にやってきて、そこに住んでいた人間を組み替えたのです。彼らはあなた方のDNAを組み替えて、あなた方が一定のかぎられた周波数のなかにおいてしか行動できないようにしました。この周波数は、彼らに滋養をもたらすものであり、彼らの支配の継続を可能にするものであったのです。
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述べられている考え方は決して新しいものではないが、イエスやグノーシス主義者、グルジェフ、ムラヴィエフ、そして、カスタネダすらもが幾分慎重な言い方をする必要があると感じていた内容を、マーシニアックはかなり単刀直入に述べている。
こんにち的な問題としては、UFO現象もある。アブダクション現象の意味を理解する上では、それが(エイリアンによる)科学的調査だと主張するのは適切ではないだろう。これはむしろ、システマチックな搾取ないし繁殖プログラムであるにように思われる。この現象は部分的には物質的なようだが、全体がそうである訳ではない。ジャック・ヴァレーは述べている:
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UFO現象は確かに存在する。それは歴史を通して、我々と共に存在してきた。それは本質的に物理的なものだが、現代科学の観点からは依然解明されていない。この現象が示しているのは、我々には未だ理解できない意識のレベルが存在するということであり、そのようなレベルの意識には、我々の理解する時空を超えた次元を操作できるということなのだ。
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人間が霊的な、そして時には物質的な食料であるという考え方に関して、読者はアブダクション現象について読まれるのもいいだろう。しかし、この現象についての報告は極めて混乱しているのが実情である。それも偶然ではないということは言えるだろう。
様々な神々に対して生贄を捧げる慣行は、いつの時代にも存在していた。生贄を捧げるという現象は、当初、宗教的な色彩を帯びた肉食の許容だったものが、複雑かつ厳格な儀式を伴った人身御供へと変貌を遂げた。後者の範疇に属するものとして、アステカでの慣行が示唆に富む。論文「アステカの戦争と西洋の戦争」で、
http://www.anthroglobe.org/docs/koenigsbergr_aztec_061022.html
リチャード・ケーニヒスベルクは、アステカ文明では太陽神に捧げる生贄を手に入れることが戦争の目的と宣言されていたことを立証した。第1次大戦を戦った西欧諸国の権力者たちは、ずっと偽善的なやり方ではあったが、これと全く同じ事をした。若者の血が国の偉大さの糧となるよう、各国は競って多くの若者を犠牲にしたのだと著者は論じる。神と称される者の名前は変わっても、考え方は一緒なのだ。第1次大戦における塹壕戦は、軍事的に極めて非効率だったし、死傷者も多かった。各国が血を流しているとき、月は常に恩恵にあずかるのだ。アステカが独特だった点は、このことが公然と認められていたために、血に飢えた神に捧げ物をしようと、人々が進んで従軍したことだった。
以上、様々な文化や時代を大急ぎでおさらいしただけでも、人間が食料であるというテーマの存在が浮かび上がってきた。実際、一度注目したら、見逃すことは出来ないだろう。しかしこれは最も忌み嫌われ拒絶されるテーマであり、物質主義的な人々はこれを無知な過去の蛮行ないしごく一部の人々による過激思想だとして顧みない。
現代の大衆文化において、このテーマは装いも新たに演じられている。中でも典型的なのが、映画『マトリックス』シリーズだろう。これには二重の効果がある:一方でこの映画は本項のテーマと、厄介な何かを取り扱う伝統的な方法であるSFの領域とを、自然に結び付けている。他方でこの映画は、この問題の少なくとも正確な概要の一部を留めつつ、この古代的なテーマを現代風にアレンジしているのだ。かくして、伝説一般と同様これらの作品は、様々なレベルで様々な聴衆に語りかけた。無知と否定を力づくで解消するのは無理なので、このような情報が役に立つと思った人々にはある程度の探究精神があったに違いない。この衝動は概して有益なものであるが、1つの物語やヒーローという形で具体化され過ぎてしまうと、それもまた注意を逸らすことになる。
FOTCMの理解では、グルジェフの時代には、寓話に頼る必要があった/しかなかったのであり、いわゆるエイリアンや第4密度STS生命体が、一種の天然資源として人類を利用し、飼育し、収穫した上、我々自身が自分達の運命について永久に無知なままで居させようとしたなどと、率直に語ることはできなかったのである。だが、ウスペンスキーの『奇蹟を求めて』に出てくる「邪悪な魔術師」の寓話
http://bccweb.bai.ne.jp/~arlf4501/Gurdjieff-2.htm
は、かなりはっきりと真相に近いことを述べている。こんにちの大衆文化の産物である映画『マトリックス』シリーズも、同じテーマを扱った寓話として良く知られている。
それでは、この問題にどう対処すべきだろうか?グルジェフは『ベルゼバブの孫への話』で、先に引いた1章を割いて、戦争の惨禍を政治的に解決することは不可能だと述べている。今日に至る歴史は、彼のゾッとするような観方が正しかったことを証している。人間は目覚め、変わらなくてはならない。カスタネダも言っていたように、人間は自分たちを捕食者に縛り付けるような契約をもはや受け入れるべきではないのである。だが、グルジェフの神話に出てくる「器官クンダバファー」のように、捕食者は自分たちの内に居る。(「クンダリーニ」の項を参照のこと。)このような革命は当初は内心におけるものだが、政治的な平和主義等のような「何々主義」の形をとる必要は必ずしもない。グノーシス主義者は人間の置かれた状態を糾弾したが、そのせいで彼らが払った代償は大きい。グルジェフは歴史の教訓を重く受け留めたらしく、邪悪なデミウルゴスや血に飢えた出しゃばりのエイリアンを彼の宇宙論に登場させることは控えた。というのもそうする結果一方では、彼に対する敵意が増大するという結果を招くだろうし、また一方で、人間の進化というこの問題の中心的な面から人々の注意を逸らすことにもなるからだ。人類が置かれた状況は、「落下」に対する道徳的な処罰とは思えない。それは、生のあり方の当然な結果であり、ウサギが時としてキツネに食べられるのと同じ自然のままの成り行きと見ることができる。自由は垂直軸にのみ存在するのであり、そこでこそ人間は進化した「存在」となって、他のやり方では避けられない法則から逃れられるのだ。霊的生態系のニッチの1つから脱却するための、すなわち、トマスによる福音書の寓話で言われるように「屍」とならないための方策について論じるべきだろう。
人類全体がこの運命から逃れることはできないが、このような状況に気付いた人々から成るグループが脱出法を見出すことは可能だろう。これは極めて稀なことであり、FOTCMの理解では、このような脱出は「第4密度への卒業」ないし、錬金術師による「偉業」達成を意味するものである。
主観的で自己中心的な人間の傾向のせいで、こにような状況は変わらず維持されている。
グルジェフもカシオペアンも、初期の段階で人類は道具として役立てられるために、現実に対して無感覚となるよう、向こうの勢力によって故意に改造されたのだと主張する。Gとシーズの物語では、具体的な細部は異なっているが、共通のテーマは人間の主観性とウィッシュフルシンキングであり、これらが当初は遺伝子的に、やがては文化を通じて強制された、外からの押しつけだということである。