本を読む場所
今日は作業所はお休みなので、祝日も合わせて4連休である。
この頃、殆ど本が読めていないので連休中は沢山読もう!と昨日ダイアリーに書いた通り、図書館へ行ってきた。図書館に行くのは半年ぶりくらい。
平日ということもあり、図書館の利用者は疎ら。
目当ての本を探して館内をうろつきながら、面白そうな本を探す。
結局、ラカンと千葉雅也の本はなかったので、以下の6冊を借りてきた。
ラカンは別の図書館から取り寄せ、千葉雅也の『デッドライン』は買うことに。
借りてきた本は小説は一冊だけで、あとはエッセイやら哲学書。
家に帰って来て、早速池田晶子の『41歳からの哲学』を読んだ。週刊誌に連載されたものをまとめたエッセイなので、内容は当時の時事ネタが多い。
池田晶子といえば『14歳からの哲学』がとても有名で、私も気になっているのだけれど、生憎地元の図書館にはない模様。そのうち買おうかな、と思っている。
彼女の考え方は癖があるので(今ふうに言えば癖が強い)初めて彼女の著作を読んだ時は上から目線に感じて苛ついたけれど、今回読んだ本は素直に共感できる部分が多かった(それでも、少年犯罪の原因をテレビやゲーム、漫画に求めるのはちょっと違うのでは、と思ったが)。大宅壮一氏の「一億総白痴化」の言を引用しながら、テレビは害悪だと断言する姿勢はいっそ清々しくはある。
テレビ、私もあんまりみないけど(テレビより本を読んでいたいだけで、別にテレビが害悪だとは思っていない。念のため)。
思い返せば、中島義道の本を初めて読んだ時も「随分偏屈だなあ」と感じた。哲学者は偏屈だったり、捻くれてないと務まらないのかもしれない。
たまには自分とは全く違う考え方をしている人の本を読むのは面白い。
池田晶子、はまりそうな気がする。
さて、話題はタイトルへと戻る。
本を読む場所。
皆さんは、何処ですか?
通勤通学の電車の中、学校、職場の食堂、自宅のお風呂、トイレ、寝室、カフェ、病院の待合室、公園、図書館……etc.
今日せっかく図書館へ行ったので、一冊くらいはその場で読んで帰ろうと思ったのに、借りたらさっさと家に帰ってしまった。
Twitterでお洒落なカフェで読書をしている方をよく見かけるけれど、私には何故かそれができないでいる。珈琲を飲みながら、ひとりでのんびり読書に耽る……憧れのシチュエーションなのに。何となく、カフェは飲食する場所で、あまり長居をしては迷惑かも、と思ってしまうのだ。それに、自宅の方が落ち着いて本が読めるというのもある。
私が読書をする場所は大半が自宅で(寝そべって読んでいる)、他は電車に乗る時か病院の待合室だ。
実家暮らしの時は、お風呂に本を持ち込んで湯船に漬かりながら本を読んでいた。あまりにも風呂から上がらないものだから、ある時家族が「溺れてるのかと思った」と言ったこともあった。私は溺れたりはしませんよ……寧ろ溺れたのは本の方だ。うっかりお湯の中に本を落としてしまったのだ。忘れもしない、有栖川有栖の『月光ゲーム』を(本がよれよれになってしまったので、後日買い直した)。
これからの季節、秋には公園での読書も気持ちが良さそうだ。銀杏が舞い散る秋風に吹かれながらフランス文学を読む。なかなかロマンチックなシチュエーションだ。フランス文学でもサドやバタイユだったらそのミスマッチさにちょっと笑ってしまうけれど。でもまたそれも一興。あ、今度お天気のいい日に公園で『悪徳の栄え』でも読もうかしら。