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ZIPANG TOKIO 2020「日野ひなまつり紀行~昔と今、街を巡る、時を巡る~近江日野商人のお雛様とお屋敷(桟敷窓)拝観」

2018.02.24 17:35

昭和のはじめにタイムスリップしたような、どこか懐かしさを感じる日野の町並み。そんな街角や商家に、江戸時代から現代に至るまでのお雛様や創作人形などが飾られる。 華やかでほほえましい雛人形との出会い…。ゆったりとした時間 が流れる日野のまちを散策してみてください。

日野独特の風景である桟敷窓越しにひな人形を眺める。
桟敷窓とは、写真だけ見ると、窓の内側は直ぐに座敷があるように思ってしまいますが、外塀に窓を切り庭のベランダをほぼ窓の幅で塀まで接続したような感じ(或いは中廊下を塀まで伸ばしたもの)と思ってください。通常は、祭り見物など内から外を観るために造られたものであるが、ひな祭りの時などは、家に飾られたものを外の方たちに観ていただくための窓とし活用している。
(桟敷窓が切られている塀の瓦屋根と奥の住まいの瓦屋根の間の両側に松らしき立派な木が見えるのでその部分が庭であることが分かると思います。縁側風にまた昔よく屋根の上に造られた木製の物干し台風に造られているので、祭りを観ながら飲んだり食ったりと楽しむことのできる空間である。)
近江日野商人ならではの発想に違いない。

~昔と今、街を巡る、時を巡る~ひな祭り紀行の始まり


日野ひなまつり紀行~昔と今、街を巡る、時を巡る~

2月上旬~3月上旬、日野町の大窪から村井・西大路にかけての商店街や商人屋敷など、どこか懐かしさを感じる日野の町並み。そんな街角や商家に、さらに日野独特の風景である桟敷窓越しなどに、江戸時代から現代に至るまでのお雛様や創作人形が飾られている。

華やかでほほえましい雛人形との出会い、そしてゆったりとした時間の流れる日野のまちを、この機会にごゆっくり散策ください。歴史と文化の町、日野独特の穏やかなたたずまい。未知の日野、新しい発見があるかも。

近江日野商人館や近江日野商人ふるさと館をはじめ日野まちかど感応館、馬見岡綿向神社などを中心に、桟敷窓のある商家や個人宅・商店の店先など150ヶ所以上にお雛様や雛飾りがおこなわれる。

【住所】日野町大窪から村井・西大路一帯
【交通】JR近江八幡駅もしくは近江鉄道日野駅から北畑口行バス日野警察署前~向町(停)下車

歴史民俗資料館「近江日野商人館」(旧山中兵右衛門邸)

昭和56年に日野商人の一人である山中兵右衛門が自宅の豪邸を町へ寄贈された由緒ある建物です。この建物は昭和11年に新築されたもので、典型的な日野商人の本宅の特徴をそのまま今に残している。

「八幡表に日野裏」の言葉どおりに家の表側は富を誇示するような建て前ではなく厳格さとつつましい生活態度がよく表われている。

館内には行商品や道中具、家訓などが展示されており、400年におよぶ近江日野商人の歴史と商法を紹介している貴重な資料館である。

「八幡表に日野裏」とは

八幡商人(現近江八幡市)の本宅は、道路から見える「表」に、多くの資金をつぎ込むのに対して、近江日野商人の本宅は、道路から見えない所の奥まった「裏」、例えば奥座敷などに多くの資金をつぎ込む傾向がありました。また、この言葉は、それぞれの「あきない」の方法に関しても例えられてきた言葉である。

〔交  通〕 JR近江八幡駅叉は近江鉄道日野駅から北畑口行バス大窪(停)下車。徒歩5分。

「お問い合わせ先」
〒529-1603滋賀県蒲生郡日野町大窪1011番地
歴史民俗資料館「近江日野商人館」 電話:0748-52-0007 

日野まちかど感応館

江戸時代日野椀に代わって行商の有力商品となり、日野商人の発展を導くものに合薬がありました。その創始者が正野法眼玄三である。

玄三は18才の時、日野椀やお茶・布を持ち行商に出ましたが、母の病気で帰郷、当時京都の名医の診療で母の病気をなおすことができたことから医師を志し、医師になった後は医薬に恵まれない山間辺地の人や日野商人の長旅の道中薬として感応丸を作りました。

この合薬を日野商人が全国に持ち歩くうちに効き目が評判となり、地元日野でも薬を製造する人も増え、現在も地場産業として息づいている。

日野まちかど感応館(旧正野薬店)には、今もなお「万病感応丸」の大きな看板が掲げられ、日野の薬業や町並みのシンボルとして親しまれているほか、日野の観光案内の拠点・休憩スポットとなっている。

〔交  通〕 JR近江八幡駅叉は近江鉄道日野駅から北畑口行バス西の宮(停)下車。すぐ。

「お問い合わせ先」
〒529-1604滋賀県蒲生郡日野町村井1284番地
日野まちかど感応館 電話:0748-52-6577

 近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」

写真の邸宅は、富士宮(静岡県富士宮市)において酒造業を営んだ日野商人・山中正吉家の本宅であり、広大な敷地は、江戸時代に当地を治めた仁正寺藩主市橋氏から拝領したものである。

江戸時代末期に建てられた主屋は、湖東地方の農家住宅の形式を踏襲した重厚な造りをしている。

 近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」

一方、接客の場である座敷や新座敷は、当主の趣味や教養が盛り込まれた造りとなっており、新座敷には広い庭園が造られている。このほか、本格的な洋間、温水シャワー・ステンドグラスを備えた浴室、5口くどなどが残されており、歴史的意匠的に貴重であることから、平成27年3月31日、町の文化財に指定されました。日野商人の心が息づく邸宅をゆっくりとご見学ください。

また新座敷で庭園を眺めながら日野の伝統料理を召し上がりたい方は、ご利用はおおむね10名以上で事前のご予約があれば必要。詳しくはお電話にてお問い合わせください。

〔交 通〕JR近江八幡駅又は近江鉄道日野駅から北畑口行バス向町(停)下車。徒歩2分。

「お問い合わせ先」
〒529-1628滋賀県蒲生郡日野町西大路1264番地
近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」電話0748-52-0008

馬見岡綿向神社

馬見岡綿向神社は、日野町の最高峰である綿向山(標高1,110m)の頂上に鎮座の綿向大神(天穂日命)を、平安時代初期の延暦15年(西暦796年)に里宮として現在の地に遷し祀り、蒲生上郡の総社として信仰をあつめました。
その後、当地を支配し城下町を築いた蒲生家が氏神として庇護し、さらに江戸時代には日野商人が出世開運の神として崇敬しました。
壮大な境内には滋賀県指定文化財の本殿をはじめ、日野商人が寄進した立派な拝殿や絵馬殿・石灯籠・石橋などがあります。
毎年5月2・3日に行われる絢爛豪華な曳山車で賑わう湖東地方最大の日野祭(県指定無形民俗文化財)は、この神社の春の例祭です。(春の例祭は後日ご紹介いたします。)

【住所】日野町村井711
【交通】JR近江八幡駅または近江鉄道日野駅から北畑口行バス向町(停)下車。徒歩3分。


日野ってどんなまち?

「日野の千両店(だな) 近江日野商人」発祥の日野町

滋賀県の南東部、鈴鹿山系の西麓に位置する東西14.5km、南北12.3km、総面積117.63平方kmの町です。霊峰・綿向山を東に望む日野町は、町の花である「ほんしゃくなげ」が咲き誇る、無限の大地が育んだ自然環境に恵まれた町です。


日野町の四季

春 日枝神社(南山王祭)/ 谷平久芳氏

春 日野町別所付近 / 高村利和氏

春 滋賀農業公園ブルーメの丘 / 小城啓介氏

夏 しゃくなげ渓 / 中森敏樹氏

秋 西大路付近 / 上野紘一氏

冬 綿向山 / 家根昌二氏

冬 日野川ダム / 奥村和弘氏

(日野町写真コンクール入賞作品より)


この地に人が住み始めたのは古く、今から約1万2千年前と言われています。旧石器時代の終わりから縄文時代の始めころ狩猟や採集生活を、さらに弥生時代には稲作も始められていた記録があり、飛鳥時代には百済の文化が持ち込まれました。

やがて、室町時代、蒲生氏の城下町となって大きく変貌を遂げ、歴史の表舞台に登場してきました。町の繁栄の基礎を築いた蒲生氏は400年以上この地を治め、商工業の保護・育成に努力し、鉄砲や鞍などを特産品として生み出してきました。

江戸時代に入って、漆器や薬売りの行商から発展した日野の商人は近江商人の基礎を確立し、その中心の町として繁栄、全国各地に商圏を伸ばす近江日野商人として名をとどろかせていきました。


近江日野商人ゆかりの地


滋賀県の東部、湖東地方の各地から江戸時代より排出した商人を近江商人と言っている。

天秤棒一本の行商から始めて財をなし、千両の富を得てもなお天秤棒を肩に行商に出たことから近江の千両天秤と呼ぶようになりました。

近江商人の中でも、日野地方出身の商人を日野商人と呼び、他の近江商人と比べ出店数においては群を抜いていました。

しかし大店といわれるものが少なく、千両もたまれば新しい店を出すといわれるくらい小型店の拡張が多く、このことから日野の千両店という名称が生まれました。
現在で言うところのチェーンストアの魁をなしたのが日野商人であった。


商いの道

近江商人の行商は郷里や上方の産物を地方へ持ち下り、また地方の産物を仕入れて上方で売りさばくという方法をとりました。これが近江商人ののこぎり商法であえう。
行商の往復とともに商品の販売と仕入れを行うという無駄のない商業活動でした。そして行商によって一定の販路と資本をつくると、さらに持ち下り地の中心に出店を開いていきました。
出店の分布が各地に広がると出店相互間の商品を需給と価格差に応じて回転が行われ、いわゆる産物廻しの方法がとられました。
この形態こそいまの総合商社のはじまりといえる。


萬病感応丸


日野商人の特徴の一つには日野で造られた漢方医薬の販売があり、これが大きな利益を上げる一つになりました。
正徳四年(1714)に正野玄三が造り出した萬病感応丸は日野を代表する薬となって全国に広められました。
これらの薬の製造する業者も200軒を越え、日野は製薬の町になりました。商品の荷が軽く、持ち歩きに便利でしかも利益が大きい。このため萬病感応丸を取り扱う日野商人の出店も必然的に増えていきました。
各所の出店では萬病感応丸という看板を通りの目に付きやすい所に揚げて商っていました。


日野大当番仲間


江戸時代になると日野商人と呼ばれる商人は相当の多人数となりました。このため商人相互間の扶助と幕府の保護を得るため、日野大当番仲間を組織しました。
この大当番の最大の特色は、幕府の庇護のもとに売掛金の徴収が滞まった場合にはその領主に訴えて幕府の威光によって徴収できる権限を持ったことです。
また、大当番仲間で東海道や中山道の各宿場に現在の指定旅館ともいえる日野商人定宿を設けて旅の便宜を図りました。関東への行き帰りに利用され、明和7年(1770)には181軒もの定宿数になりました。


倹約・勤勉・先祖崇敬…

「近江泥棒に伊勢乞食」と言われ、近江商人はがめつい商法の代表のような印象ですが、実は天秤棒による行商の精神を忘れず、勤勉・倹約・正直・堅実を信条に富をなしたのでした。
(余談ですが実は、元々は「近江殿御に伊勢っ子正直」と言われていたそうですよ。近江商人の通った後は、ぺんぺん草も生えないほどにがめつく稼ぐが、支払いはきれいである。また、伊勢の人に物を上げると素直に受け取る。因みに、昔の話ですが、名古屋人は喉から手が出るほど欲しいと思っていても相手が何回も薦ないと受け取らない等々、しかし、これらはあくまでもそれぞれの土地での生活体験を通じ見聞きして感じた個人的な見解でしかありませんが・・・、地理的な条件や歴史的な背景、地域の風習などが微妙に絡み合っているように思われる。)

なかでも江戸時代中期の日野の豪商といわれた中井源左衛門が法然上人の一枚起請文をならい、子孫のために金持商人一枚起請文を書き残しました。
「倹約と勤勉と先祖崇敬こそが商いを志す者の道である」と説き、近江商人の精神を総合的にまとめたものとして称されている。
また近江商人は余財を社会に還元し多くの公共施設などを寄付したのであった。

『日野商人の最大の特徴は「心学」の修得と実践であると言われている。
江戸中期、石田梅岩が提唱した 「心学」の教えこそが、 日野商人の「真髄」として家訓の背景に脈々と流れている・・・』

[石田梅岩遺品]  梅岩が日常生活で使用した品々です。机・灯台・湯呑・香炉・線香箱・線香などです。  湯呑は塾内で使用したと伝えられ、線香は講義の時間を計る目安となりました。線香1本を香炉に立てて燃えつきるのが一回の講義の時間であった。 (京都明倫舎蔵)

「日野ひなまつり紀行」まち歩きツアー 参加者募集

「日野ひなまつり紀行」をボランティアガイドの案内で巡るツア ーを現在募集中。 どこか懐かしさを感じる日野の街角や商家に飾られたお雛様。ゆ ったりとした時間が流れる日野のまちを楽しんでください。

【実施日】 2月24日(土)・3月3日(土)・3月10日(土)
【集 合】 JR近江八幡駅9時10分(日野までは路線バス利用となります。)
【定 員】 各日20名(先着順)
【参加費】 大人4,800円

〈お問い合わせ・お申込みは〉
日野観光協会事務局
(電話0748-52-6577 FAX0748-52-6017)
〒529-1604滋賀県蒲生郡日野町村井1284番地


第2回「日野祭囃子 共演会」開催

850年の歴史を持つ日野祭。
その祭本番を再現する祭囃子のステージをお届けします。
日野祭の曳山を所有する全町内が出演。「国の重要無形民俗文化財」の指定に向け共演会を開催します。

【日 時】 平成30年3月11日(日)午後1時30分~
【場 所】 日野町町民会館「わたむきホール虹」大ホール(日野町松尾1661)
【入場料】 無料(入場整理券が必要です。)
 ※整理券配布場所:わたむきホール虹・日野まちかど感応館(日野観光協会)

主催:日野曳山保存会
共催:日野町文化振興事業団・日野祭曳山囃子方交流会
後援:日野町・日野町教育委員会・日野観光協会・日野町商工会・日野町文化協会 


交通アクセス

【電車・バス】

・JR近江八幡駅から近江バスで40分
・JR米原駅から近江鉄道で90分
・JR貴生川駅から近江鉄道で20分 


遠い昔の記憶

今回の企画で昭和40年代に幾度か訪ねた時の事を思い出してみた。 今も変わることのない桟敷窓(良い名前を付けられたものだと感心いたしました)の町並み、当時あまり気にしていなかったが(失礼)日野町に独特の風情を醸し出していることがやっと分かったような気がした。

日野町に行くためには、今のように竜王に東名高速道路のインターチェンジはなく、八日市で降り下の道を竜王まで、竜王から方向を変え甲西町方面にひた走り、土山町の坂上田村麻呂公を祀った田村神社を横目に見て日野町を目指したものでした。現在は高速道路1区間だけでも時間の短縮ができ、気分も楽である。

土山町の坂上田村麻呂公を祀った田村神社(途中近くを通るのでお詣りを)

名古屋・関東方面から車で日野町を目指す方は、雪の降る時期には関ケ原、米原間が渋滞や通行止めになることもあり、できれば東名阪高速道路をお勧めしたい。 東名阪高速道路を伊賀の手前の甲賀辺りで降り(この辺りは比較的雪は少ないので通行止めになった経験はなかった)滋賀県側の鈴鹿峠の入り口「水口町」を抜け土山町へ(焼き物の好きな方は甲賀から水口へ向かう途中で左折し、山の中の坂道を上ると信楽焼の里・信楽へ行くこともできる。左折地点から信楽へは車で約1時間位だったように記憶している)土山町から目的地の日野町は目と鼻の先である・・・

今は、当時と比べ交通アクセスは便利になったようなので、是非皆さんもお出かけください。土山町から日野町まで(記憶では車で約20分位)の途中の景色もきっと当時と変わらずのどかで癒されるに違いありません。


百段雛まつり

「百段雛まつり~近江・美濃・飛騨 ひな紀行~」

正野家御殿雛展示

「正野玄三家の御殿雛」
万病感応丸の創始者「正野玄三家」の御殿雛が、1月19日(金)より3月11日(日)までホテル雅叙園東京の東京都指定有形文化財「百段階段」にて展示されている。

井伊家・砂千代姫の古今雛/長浜市長浜城歴史博物館 大通寺(所蔵) 

【日 時】平成30年1月19日(金)~3月11日(日)10 :00~17:00
【場 所】ホテル雅叙園東京(東京都目黒区下目黒1-8-1)
【入場料】当日1,500円

みどころ

毎年異なった地域から歴史あるお雛さまの名品が集う「百段雛まつり」。 今年は「近江・美濃・飛騨」をテーマに、 大名家の姫君の婚礼調度や近江商人として栄えた旧家に伝わる逸品、 圧巻の御殿飾りから指先ほどの小さな郷土玩具まで、 岐阜と滋賀の町々に息づく百花繚乱のお雛さまたちが文化財「百段階段」に初お目見えです。

<滋 賀>

正野玄三家の御殿飾り/正野家(所蔵)[日野]

古今雛/近江八幡


◆彦根藩主、井伊家・砂千代姫の雛人形と雛道具 - [長浜市長浜城歴史博物館、大通寺]
◆近江の麻をまとった「清湖雛」 - 東近江
◆八幡商人の旧家伝来の古今雛 - 近江八幡
◆近江日野商人、正野玄三家のお雛さま - 日野

<岐 阜>

板葺御殿飾り/井戸家(所蔵)[岐阜]

日下部家の御殿飾り/日下部民藝館[飛騨高山]

源氏枠御殿飾り/美濃

雛道具/本陣平野屋 花兆庵[飛騨高山]


◆飛騨高山の老舗旅館と旧家のお雛さま - [本陣平野屋花兆庵][日下部民藝館][土野家]
◆“うだつの上がる町”の旧和紙問屋に伝わる御殿飾り - 美濃
◆大集合、郷土玩具と土雛の世界ー[日本土鈴館]
◆はいからさんも憧れたハイカラびな - [日本大正村]


【補足資料】

鬼室神社


近江朝廷が大津に都を定めた頃、現在の韓国、時の百済(くだら)国から我国へ渡来をした多数の渡来人の中の優れた文化人であった鬼室集斯(きしつしゅうし)という高官の墓が、この神社の本殿裏の石祠に祀られているところからこの社名がつけられました。

古くは不動堂と言い小野村の西の宮として江戸期まで崇拝された社であり、小野の宮座である室徒株(むろとかぶ)によって護持されてきました。

また今日では鬼室集斯の父、福信(ふくしん)将軍が大韓民国忠清南道扶餘郡恩山面(ちゅうせいなんどうぷよぐんうんざんめん)の恩山別神堂にお祀りされているところから、姉妹都市としての交流が盛んに行われている。

【住所】日野町小野
【交通】近江鉄道桜川駅~原行バス約25分。小野(停)下車すぐ(原行き日・祝運休)


鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


協力(順不同・敬称略)

日野町観光協会 〒529-1604 滋賀県蒲生郡日野町村井1284番地(日野まちかど感応館内)
TEL:0748-52-6577

公益社団法人びわこビジターズビューロー
〒520-0806 滋賀県大津市打出浜2番1号「コラボしが21」6階 TEL: 077-511-1530