星のシナリオ

人生があと1日だったら何をする?

2022.09.16 22:38


もう…8年くらい前のこと。


ある人から、タイトルのような問いをもらったことがある。

きっと後からその問いに想い巡らせると、それはどういう意味か?

もっと詳しく聞きたくなるのだけれど…


例えば、自分だけ病気かなにかで最後の日を迎えるのか?

それとも、みんなも最後の日なのか?

それによっても応えが違ってくるかもなってこと。


それでもその問いに、

「舞台を観にいくかな」

私はそんなシーンを最後に選んでた、反射的に。


「ずいぶん具体的な応えだね」

ある人のその言葉がずっと私の中に残っていて、

だから今でもこうして時々そのことを思い出す。



その頃の私は星読みをお供に、

自分の人生どうなってるんだ⁈

人生という旅の謎解きをしていた感じだった。


それはそれでとてもエキサイティングで心惹かれるもので、

だけれどその問いへの応えが教えてくれたことは、


それが人生の真の目的ではないってことだった。


真の目的って?

なんて問い出すと、また長くなりそうなのでここでは流すけれど、

なんとなく、感覚的に…なんていうか、


それでは人生を終われない、みたいな感覚。


お空に還ってしまったらきっと思い出す。

すべての謎を。


というか、そんなことさえ還ったらどうでも良いことなのかもしれないな。


この地上に来た理由。

この肉体で生きてる理由。


その、シンプルに確かな理由の一つは、

この地上で、この肉体で体験できることをする。

この肉体の感覚すべてで味わうこと。



私が、大学の専攻にまで選んだ舞台芸術。

生きていく中で、人間社会できっと、絶対必要とは言えない類のもの。


それに携わり続けること、それに触れ続けることも、

そこにはやっぱり現実的な余裕も必要だし、

加えて心の…余裕というのか、心の動きに素直に反応している、

なにかこう…人間社会に囚われきれていない、空白のような!

そんな心もちがきっと必要で。


でもほんとうは、そう在れることが、

真に自分を生きる歓びという存在状態にも繋がっている気がして。


だから、最後の日。


この地球を、この肉体を、堪能し切った!

そう確認するには、このうえない体験だと、


8年前のあの日の私は、きっと、無意識に知っていたのかもしれない。


8年くらいたぶん経つのだけれど、このことに想い巡らせる度、

とてもシンプルに自分の心の動きを再確認することができる。



そう、その問いのシーンの翌年になると思う。


探求していくうちに見つけた私の真実…


私たちは、宇宙にいる時、

みんなおんなじで完璧な存在で。


でもそれはちょっと退屈だったから!

ここに、手分けをして遊びに来てる。



だから。

今日という一日いちにちを、

自分の感覚総動員して肉体と共に体感していく。


そんな歓びに生きられたなら、

きっと人生は大成功なんだと思う。





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