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m life

忘れてはいけないこと。

2017.08.12 19:11

この記事はshortnoteに書いたもの。

2016.8月に書きました。

これはどうしても忘れたくなかったから、ここに転載。

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あの事故のことは、覚えている。

1985年8月12日、月曜日。

わたしは4歳になったばかり。

この日は確か、叔父を迎えに両親と千歳空港へ行っていた。

子供だったわたしは、飛行機事故=叔父の乗ってる飛行機 という脳内変換していた記憶。でも、飛行機が墜落したらどうなるかなんてわかってたはずもない。

帰りの車の中のラジオを少し聞いていた記憶、祖母の家でニュースを見ていた記憶が断片的にある。

そして、その数日後、弟が生まれた。


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8月になると各メディアで報道もするから、やっぱりあの事故を思い出してしまう。

ブラックボックスの音声を聞いて、なんともいえない苦しさを感じた年もあった。


でも、今年の感じ方は全く違った。

事故に無関係といえばそれまでな感情。



日航機墜落 父の遺書から命学ぶ 札幌の教員、慰霊登山|毎日新聞2016年8月11日 21時50分(最終更新 8月12日 02時12分)

http://mainichi.jp/articles/20160812/k00/00m/040/086000c


↓↓↓↓↓ 以下、引用 ↓↓↓↓↓

事故から31年 命日の16年8月12日に

 520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故で、父親の村上良平さん(当時43歳)を失った札幌市の小学校教員、折田みきさん(44)は今年も命日の12日に墜落現場の「御巣鷹の尾根」(群馬県上野村)に登る。機内で父が残してくれたメッセージに応えるために。「今年もみんな元気で暮らしています」と−−。

 当時、折田さんは中学2年生。千葉県柏市の自宅でテレビを見ていると、搭乗者名簿に父親の名前があることが繰り返し報じられていた。それからはほとんど記憶がない。事故後、両親の実家がある札幌市に引っ越した。

 遺書の存在を知ったのは事故の約1カ月後。遺品を返却に来た群馬県警の警察官から教えられた。父が勤めていた会社のA4判の封筒。両面に黒と青のボールペンで走り書きされていた。「みんな元気でくらして下さい さようなら」。母と自分、弟、妹、家族全員の名前があった。

 最期まで家族のことを思ってくれた父。「明るく元気で生きることがお父さんの願いなんだ」。家族と話す時間が増え、進学や就職がうまくいくと「お父さんのおかげだね」と言葉を交わした。

 数年前、父の年齢に近づき遺書を改めて読み返した。震える字。エンジニアだった父らしく、時刻とその時の機内の様子が克明につづられていた。事故から30年を迎えた昨年、母須美子さん(69)から遺書を預かった。自分をずっと励まし支え続けてくれた宝物は、自宅のクローゼットに大切にしまってある。

 小学校では、父から託された命の大切さを折に触れて子どもたちに教えている。先月、1学期の終業式の日に担任を受け持つ4年生の児童に呼びかけた。「『行ってらっしゃい』と見送った相手に二度と会えないこともあるんだよ。家族が無事に生きているのは大事なこと。だからみんなも家族に心配をかけないように、事故やけがに気をつけて夏休みを過ごしてください」【鈴木敦子】


村上良平さんの遺書全文

機体が大きく左右にゆれている。

18:30 急に降下中

水平ヒコーしている。

−日本航空−

18:00大阪行事故

死ぬかもしれない

村上良平

みんな元気でくらして下さい。さようなら。

須美子、みき、恭子、賢太郎

18:45 機体は水平で安定してる。

酸素が少ない 気分が悪るい。

機内よりがんばろうの声がする

機体がどうなったのかわからない。

18:46 着陸が心配だ。スチュワーデスは冷せいだ。

↑↑↑↑↑ 以上、引用 ↑↑↑↑↑


この折田みきさんというのは、長男の担任。

ここに記されてる4年生とは、息子たちのクラスのこと。


3年の頃から、どこかサバサバとしたドライな面もあれば、熱い時もあり、丁寧に向き合う姿勢や、気さくさ…息子もわたしも大好きな先生です。

先生のお父さんは飛行機の事故で亡くなったんだってーって去年話してた息子。

真に受けなかったわたし。


そして、今年の終業式から帰宅した息子は、この記事に書かれてるように、先生から夏休み過ごしてねって言われたと話してくれました。


それから数週間後に、偶然見つけたこの記事。


先生はとても小柄だけど、たまに腕と足に重りをつけて授業をしていることがある。

山登りをする話を聞いたことがある。

飛行機の事故の話。

お父さんを亡くされたと聞いた話。

命の大切さをとても熱心に話されていたこと。

家族や友達を大切にすることをいつも話していたこと。

それ以上に自分を大切にすることを何度も話されてた。

全てが繋がった。


わたしよりちょうど10歳上の先生。

当時は多感な中学生。その時期に親を失うということ、それもこんな大きな事故で。

それでも。立派に先生になってる先生の家族の温かさとか、気持ちの強さとか、親を思う気持ち、感謝の気持ち。。


わたしも女であり、娘でもあり、子を持つ親でもあるから。

突然父親を失ったら…突然子供を遺して命が絶えてしまったら。どちらの立場の気持ち全部なんて理解はできないけれど。


息子は先生のお父様きっかけで、この事故のことを知りたいと言い出した。

ただの興味かもしれない。

でも。そこで先生がどんなに悲しい思いをしたのか、でもそのことだけではなく、しっかりと人生を歩んでることを、命と家族の大切さをちょっとでも学んでいるならと、涙目で本を読んだりネットの話を読む息子を見て思うのです。


家族や友達を大切にする。

当たり前のようで、当たり前にはできていない。

わたしも、息子にキツくあたることも、八つ当たりしちゃうこともある。

息子から、そして息子の担任の先生から学ばせてもらった気がする。


全くの余計なお世話だけど、この新聞記事を読んで、先生のことをぎゅーってしてあげたいって思ったわたしは、変でしょうか?

…変ですね。。



この施設に一度は連れて行ってみたい。

日本航空安全啓発センター

https://www.jal.com/ja/flight/safety/center/

基本的には社員研修施設だそうですが、予約をすれば個人でも見学できるようです。


最後に。

犠牲者の方々のご冥福を、お祈り申し上げます。