3/1~15早朝 東大寺お水取り・二月堂修二会・十一面観世音菩薩悔過法要・The Shuni-e Ceremony…
修二会(しゅにえ)・お水取り(おみずとり)とは:
旧暦(太陽太陰暦)二月、3/1から2週間に渡って勤められるので修二会と称す。南都東大寺最大の会式で、二月堂が舞台である(修正会は正月堂の大佛殿・三月は三月堂の法華堂・四月は四月堂の普賢三昧堂)。俗にお水取りと呼ばれるのは3/12の深夜(13日午前2時頃)閼伽井屋(あかいや・若狭井)へ行列を仕立て(境内の電灯は全て消され奉楽が鳴り渡る中、「咒師(しゅし)」と5人の練行衆・童子が随伴し、「堂童子(どうどうじ)」・「庄駈士(しょうくし)」・白丁の講社社員が南階段から下堂して「上記」の三人が屋へ入り三往汲み上げる)閼伽汲み神事(秘儀)の修二会の一場面の事。この閼伽水は「お香水」として若狭国遠敷明神(わかさこくおにゅうみょうじん)が鵜乃瀬より送られて来ると言い、観音様に一年献ぜられる。民は一滴の香水(甘露かんろ)授与を受けようと正面局部屋に殺到したものであった。なぜ東大寺修二会が「お水取り」と俗称されたかは、江戸期の松尾芭蕉「水とりや氷の僧の沓の音」の名句(貞享2[1685]年)以後の話。正式には、「東大寺二月堂十一面観世音菩薩悔過法要(六時の行法)」と謂う。3/15日の早朝の結願(けちがん)(達陀帽頂かせ:子供達に練行衆の火天・水天の帽子を被せて貰うと智成闊達に育つと言う)と共に関西(大和)に春が訪れるのである。
悔過(けか)とは:国家・萬民の悔過に相応しい大勢の僧侶集団によって、二月堂の本尊十一面観自在菩薩の御寶前で萬民に代わって全ての罪過(つみとが:さまざまな過ち)を懺悔(さんげ)し、世界平和と生きとし生けるものの (天災・疫病を取り除いて鎮護国家・天下泰安・風雨順時・五穀豊穣・萬民快楽など)幸福を祈るのである✤。媒介者の現在11人から成る僧集団の事を「練行衆(れんぎょうしゅう)」と呼び、それぞれ役割分担がある。一同に戒を授ける(授戒者)「和上(わじょう)」、趣旨や祈願文唱え、行法全体の先導役「大導師(だいどうし)」、印を結び陀羅尼の咒を唱え道場を結界する(密教・神道作法)「咒師(しゅし)」、堂内の荘厳・行法の進行監督兼内外の雑務を総括する「堂司(どうつかさ)」の上位を四職(ししき)と呼び、残り7人は総じて「平衆(ひらしゅう)」と言う(「中灯(ちゅうとう)」は記録係)。その他補佐する三役堂童子・童子(どうじ)・世話役など30数名に及ぶ。行事の象徴「お松明(たいまつ)」(長さ6m・重さ40㎏)は、毎夜参籠所からの上堂時(19時頃)に点火された大きな松明が登廊を昇る練行衆の足元を照らし、堂入り後に童子によって欄干から打ち振られ火の粉を散らし萬民を沸かせる(平日10本・12日は11本・13日は尻付松明と称し10本が次々にあがる。平衆の一人「処世界」は先に堂で準備を整え始まりの鐘を打っている為、平日は行列に加わらない。民は無病息災に火の粉を浴びようとし、燃え殻は火除けとして持ち帰ったものだが近頃はそうした信仰も廃れた)。夜の法会の始まりである。
✤佛教の教えでは、人の本性的に持っている貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・愚痴(ぐち)の三毒による様々な罪過を犯していて、穢れとなって蓄積され正しくことが見えなくなり、病気になると考えられている。そこで罪障を懺悔し清浄な心身を得て、犯した悪業に対する報いである禍いや災難を取り除くと幸を招くと言う。往古以来、天災や疫病・反乱は国家の病気と考えられ、病気を取り除いて天下萬民の幸福を願う儀式とされる。
二月堂十一面観世音菩薩悔過法要のあらまし:開山良弁(ろうべん)僧正(そうじょう)の高弟実忠(じっちゅう)和上(わしょう)によって天平勝寶4[752]年創始され、二度の大伽藍が灰塵(治承4[1180]・永禄10[1567]年)に期した時、先の大戦の昭和20(1945)年3月「大阪大空襲」時ですら「不退の行法」として一度も途絶えることなく、今年で1266回続く我が国最大の伝統行事である。良弁忌(12/16)に練行衆(れんぎょうしゅう:こもりの僧)が選ばれ、2/20より戒壇院別火坊に入り、前行の試別火に始まり、私語や土の上に降りる事も許されない総別火3/26(27)~を行い普段の生活を断ち、心身を浄め本行に備える(清浄な火を使うことから別火と呼ぶ)。1ケ月に及ぶ大法会で童子や世話役等が行う準備には3ケ月を要す。別火では着る紙衣の紙を絞り、山内の諸堂社参・試みの湯(行に臨む意志を確かめる)や須弥壇を荘厳する南天・椿造花の花ごしらえ・花付け・灯心揃え・経声明稽古・法螺吹合せ・油量り・壇供支度等々の行事がある(全て非公開)。28(29)日にOBの娑婆古練が出迎える二月堂下参籠宿所に移り、夜の大中臣祓(おおなかとみのはらえ・天狗寄せ)・翌朝の受戒と共に本行が始まる。
本行は前半の上(じょう)七日(しちにち)と後半の下(げ)七日、堂内内陣では一日6回[日中(にっちゅう)・日没(にちもつ)・初夜・半夜・後夜・晨朝(じんじょう)]の「六時行法」が厳修される。諸々の悔過・祈り・修法が繰り返されるが中でも、玄奘(げんじょう)が訳した『十一面神咒心経』の抜粋や東大寺過去帳・延喜式神名帳の奉読が長短・遅速の変化に富んだ佛教音楽の声明と「差懸」(履物)の音と相まって心地よく響き渡る。また、練行衆達が袈裟や衣をたくし上げ内陣を走り廻る「走り行道」、八つの神「八天」となって萬民の煩悩を焼き尽くす、削花も美しい達陀松明を打ち振る「達陀(だったん)」と呼ばれる炎の行法(終幕を飾り火と水が鬩ぎ合う)、青衣女人の登場の「過去帳奉読」、一徳火・小観音(生身の観音)後入・牛玉札刷り・五体投地等々幻想的行事が毎深夜まで繰り広げられ、戸帳に写る影越しに聴聞者を千有余年の世界に誘う(東西南北の局部屋から格子越しに拝観可能・正面礼堂は許可の男性のみ)。上堂下堂・食堂作法(一汁二菜の正食)・生飯(さば)投げなどは遠目に拝観可(私語電子音・録音写真動画撮影一切不可)。日程を別紙に複写し、昨年今年の最終配役を記して記録とする。
1265回(平成29年)配役:【四職(役職者)】和上:筒井寛昭別当(龍松院住職)・大導師:橋村公英(正観院住職)・咒師:上司永照(持寶院住職)・堂司:森本公穣(清涼院住職)【平衆】北座衆之一:上野周真(真言院住職)・南座衆之一:尾上徳峰(福岡県祥明寺住職)・北座衆之二:池田圭誠(奈良県金龍寺副住職)・南座衆之二:佐保山暁祥(寶珠院住職)・中灯:筒井英賢(新禅院住職)・権処世界:中田定慧(奈良県隔夜寺住職)・処世界:北河原公慈(中性院徒弟)。
1266回(平成30年)配役:【四職(役職者)】和上:平岡昇修別当(上之坊住職)・大導師:上司永照(持寶院住職)・咒師:鷲尾隆元(地蔵院住職)・堂司:森本公穣(清涼院住職)【平衆】北座衆之一:上野周真(真言院住職)・南座衆之一:尾上徳峰(福岡県祥明寺住職)・北座衆之二:池田圭誠(奈良県金龍寺住職)・南座衆之二:佐保山暁祥(寶珠院住職)・中灯:中田定慧(奈良県隔夜寺住職)・権処世界:平岡慎紹(金珠院住職)・処世界:清水公仁(公仁坊徒弟)。以上
(freelance鵤書林3 いっこう記)