四季咲きの桔梗
故郷の実家、玄関の壁には、とても小さな油彩画が飾ってあります。
生前、私の母が習い始めた油絵教室で描いた習作の一つ。
たぶんキャンパス1号Pサイズ(220x140)←1番小さい0号の次くらい。
「俺はタケちゃんのこの絵が一番好きなんだな」
そう言いながら父は、タケちゃんが他界してから玄関内の壁に打ち付けたので、以来私は『(母の)四季咲きの桔梗』と呼んでいます。
作品の出来はともかく、どの季節に帰郷しても笑んでいる母の桔梗。
父が選んだ額縁に収められて、いつでも笑んでいる花の絵に、私は『遺影』を重ねていました。
そして、他界してから年数が経つほどに、遺影よりも愛着を感じて眺めるようになっていたことに気がついたのです。
この小さい小さい油彩画の中に、タケちゃんが描かれている感じ。
なんだか…遺影を見ているよりも愛しさが込み上げてくるのです。
私自身絵画好きだし、自分でもたくさん絵を描いてきたけれど、小手先の器用さに任せただけの絵しか描けていないように思わされた感。
(それぞれの画には、依頼されたコンセプトやテーマがあるので、用途により違いはあるとしても)
有ちゃんはこの9月で(この世でいうところの)二十歳になるので、振袖姿を描いてあげたいなーなんて思っていたものですが、なにか違ってきているのです。
生きて居る有ちゃんの、私が最後に見た姿…表情…あれを思い出しながら描き出した時の感覚、鉛筆画であれ『近影』を出したときに感じたものがとても恋しいのです。
苦しかったけれど、それを求めている自分がいるのです。
なんだかとても不器用になったようにも感じます。
全然すらすら絵が描けない現在。
母の『四季咲きの桔梗』を、今年のお盆帰省時にスマホで撮り、眺め続けていたのですが、涙が流れてきて、しょうがないのです。
でもこの不器用にも感じる状態が… 母への想いを顧み、悼むことへ繋がった?
重度の認知症で誤嚥性肺炎を繰り返し、半年間お世話になった施設で眠るように息を引き取ったとはいえ、まだまだ天寿を全うしたとは思えず、本当はもっと悼み悲しむ死であったはずなのに、ずっと泣けませんでした。
2017年1月に、娘の他界。
2020年1月に、母の他界。
我が子を自死で先立たせてしまった逆縁の喪失による悲しみとショックの方が、とてつもなく、それどころではなかった。
いや、“それどころ”?…… この言い方も酷いものです。
母と過ごしてきた年数、娘 有ちゃんと過ごしてきた年数、はるかに前者の方が長いのに。
泣くこともできなかった。
悼むこともできなかった。
想い偲ぶまでに至れるはずもなく、三回忌がとっくに過ぎてからやっと、母と過ごしてきた日々の重み、たくさん愛してもらった記憶を思い出せるようになり、泣けてしょうがないのです。
過去ログ『優しい死別』で、私は母に「ありがとうの気持ちしかない」というようなことを書いていましたが、ここへきて「ごめんなさい」が勢いよく噴出しています。
一番必要としているときに介護してあげられなかったね。
とてもかわいがっていた孫を先に旅立たせてしまったね…
私の肺疾患、長期入院で、心労が絶えない人生にさせてしまったね…
うーん、此処には書ききれないけれど、まだまだあるね…
9月は、他界した大切な人たち、母、親友、有ちゃんの誕生月でもあるけれど、今年は、母のことをふいに思い出すときが多いのです。
タケちゃんの死を、ちゃんと悼む状態になれた。
与えてくれた愛や恩は、この世では返しきれなかったけれど、今生きて居る家族や仲間、これから出会うかもしれない仲間に、少しずつでも送って生きます。
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