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「飲酒とは恥部の見せ合いである」=禁酒約3ヶ月の後「ソーシャル“お酒”ポリシー」を策定いたしました。

2018.02.24 04:12

最近とんと聞かなくなりました、ソーシャルメディアポリシーへのオマージュとして。基本僕にとって「お酒とはソーシャルである」と思うに至ったので、これを定めたいと思います。


昨年から禁酒生活をはじめ、約3ヶ月が経過しました。元々禁酒のモチベーションは「なんとなく」とそこまで高いものではなかったのですが、


①最近酔っ払う、割りとはっちゃける、記憶を失う事が増えてきた(危険!)

②翌日に「酔い」が残るようになった(歳!不快!)

③仕事が忙しく時間を有効活用したい!

④もっと速くなりたい、強くなりたい(ランナー的に)

タバコがダメなのに、お酒がダメでない理由が見つからなかったので、スモーカーの「酒も人に迷惑欠けるじゃないか!」という論法に対抗できなかったため(いっそ辞めてみる)


あえて挙げてみるのであれば、このあたりが主な理由でした。実際辞めてみるにあたって、禁酒した時と同じくアレン・カーの禁酒セラピーを読み、ほぼ苦労することなく禁酒に成功。すでに必要性をあんまり感じていません。


辞めてみた気付きとしては、


酔っ払っている状態は、ラリっている状態とほぼ一緒である。攻撃的になったり、人様に迷惑をかけたり、時には犯罪を犯したり、およそ正気の沙汰ではない。おまけに臭い。

周囲への迷惑具合で言うと、タバコと同等。タバコが見えない害なのに対して、お酒は見える害、というくらいの違い。どちらも迷惑極まりない。

③お酒は特段うまいものではない。お酒以外にも美味しいものはたくさんある。できればそういうものを、ラリってない状態で頂きたい。

④慣れれば飲み会でもさして問題ない。周囲が酔っ払っている様を観察するのは滑稽であるし、テンション自体は合わせられなくもない。「自分は関根勤なんだ」と思ってやり過ごす。

⑤二次会に行くモチベーションは一切沸かないので、すぐ帰る。時間にゆとりができる


このあたりが発見、再認識したところである。僕は元ヘビースモーカーの嫌煙家、だけれども、やはりお酒とタバコの迷惑の度合いは近しいと思う。タバコは臭いが、酔っぱらいも臭い。あわせ技=酔っぱらいのスモーカーは更に臭い。タバコは副流煙で健全な周囲の人々を不健康にし、時に殺すかもしれないが、酔っぱらいも周囲に暴力を振るうこともあるし、殺すこともある(「俺はそんな酔っ払わない!」という方もいると思うが、世の中の泥酔犯罪の加害者はみんな同じことを言っていたでしょう)。


ということで、この百年くらいの間に両方共死滅したほうが生命としては健全(長く平和に生きるという意味で)だと思うのだけれども、人間というのは豊かになってくるとこういう「苦しむための手法」に手を染めるものだということは歴史が証明している(よく歴史は知らないけど)。たぶん、感情の安定に対する「飽き」が発生するため、感情を乱高下させてくれる、酒、麻薬、タバコに手を染めるんだと思う。(ちなみに「大麻がダメでタバコが良い」という偏った法律に対する説明としては、「タバコ産業のほうが先にできたから」という説明が一番的を得ていると思っている。タバコと麻薬はほぼ害悪は変わらないというか、タバコの方が害悪が強そうだ。)


ということで、あまり僕の人生におけるタバコ(禁煙6年)、お酒(禁酒3ヶ月)、大麻(そもそもやったことない)などの必要性はやはりないな、と結論づいたんだけれども、ただ1点だけお酒には意味があるな、と思う発見もありました。


それは「人間は恥部を見せ合うと仲良くなる」という習性であり、それは犬がお腹見せて服従する姿を見た人間の充足感に似ているかもしれない。人間はお互いの「恥部(酔っ払ってどうしようもない様)」をみて、「あいつはほんとしょーがねーな」と言いながら仲良くなる生物なんだな、と改めて認識しました。日本人だけかもしれないけども。


とあるお偉い人が「男がキャバクラに行く理由」を説明していて、それは「お客さんとどうしようもない欲求、つまり「オンナ」という恥ずかしいところでつながっておくと、一気に仲が深まる。キャバクラは企業戦士にとって必要悪なんだ」みたいなしょうもない話をしていたんだけど、ある種的を得ている。完全無敵のイケメン超人はいけ好かないが、午前三時までどうしようもない話をしながら付き合ってくれるだけで、このイケメン超人の評価はガラリと変わってくる。知らんけど。


タバコにはこの効用はない。あったとしても小さく、マイナス要素がでかいため、タバコを再開することはやはり僕の人生ではあり得ない。僕が「人に嫌われ、不健康に生きよう」という意思決定をしない限りは、喫煙することはない。これは完全に個人の意見だけれども、絶対にない。


一方で、僕は特に専門的な能力が高いわけではないし、人との関わりの中で生きて行くし、仕事していく。その中で「どうしようもない渡邊大介」の必要性を、この三ヶ月くらいでちょっとだけ感じることがあった(笑)。「あ、これは飲んだほうがいいな」と思うシーンが幾つかあったのである。元々の性格がこんなめんどくさそうな文章を書くやつなので、禁酒禁煙をつな抜きすぎると、A型完全主義っぽくなってきてしまうのである(O型なのに)。それが悪いというわけではないが、僕のセルフイメージとの乖離が強すぎる。


ということで、以下のルールのもと、3月から飲酒を一部解禁したいと思います。


酒は「蓄積毒」と言われていますし、やはり迷惑の源。お酒がなくなれば世の中の犯罪はかなり減少すると思います。そういう意味では、あまり積極的な「飲酒解禁」ではないので、基本は月に3回も飲まないと思いますが、「どうしても飲まない堅物」にもなりたくないな、という思いでの飲酒解禁です。


引き続き、渡邊大介をよろしくお願いいたします。