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「教える」ということ

2022.09.20 22:02

高校生の時、卒業した中学校の吹奏楽部の練習に行くことが多かった印象があります。

部活指導者のアシスタント的存在だったこともその理由ではありますが、なんというか僕が「教えたがり屋」だったことのほうが大きいかもしれません。


もう30年も前のことなのでうろ覚えなところも多いですが、頼まれてもいないのにパート指導とかしていたと思います。ウザい卒業生ですね。


その後、受験などもあってあまり顔を出すことはなくなったのですが、音大を卒業して演奏活動をするようになった時、当時の僕のような教えたがり屋さんに出会ったり、そうした人の話を耳にすることが度々ありましたが、自分が頼んでもいないのにやたら教えてきてくださっることがこんなにもウザいのか、と思う経験があった反面、何気ない一言にハッとさせられ、自分の演奏や練習に影響を与えてくださることもあって、その人との関係性や信頼度、自分のその時のモチベーションなどいろいろなことが関係し合って「教える/教わる」は成り立っているのだな、と思えるようになりました。


現在毎朝7:30にTwitter(荻原個人アカウント)とfacebook(ラッパの吹き方)に「#今朝の一言_ラッパの吹き方」というタグでいろんな内容を投稿していますが、先日はそんな「教える/教わる」について書いてみました。


結構共感してくださる方もいらっしゃり、教えたがり屋さんは結構多いのだなと実感しました。


一方で、こんな引用リツイートをしてくださった方もいらっしゃいます。

なるほどです。確かに、教えて欲しいけれどそれを行動に出すことが苦手な方や、経験則ですが、「ヒントが欲しいんだけどどうやって質問すればいいかわからない」とか、「まだ教わるほど上手になっていない」という謎な発想を持つ方がいらっしゃることも事実で、発信側がそれらを見抜くことができれば良いのですが、これはとても難しいです。


だからこそ、やはり信頼関係の構築が先に必要なんですよね。

僕自身も、もう一度自覚し直しておきたいと思います。



荻原明(おぎわらあきら)