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かな?かな?や

2024.06.03 10:05

かなかなやは「かな?かな?や」ともとれそうです。

https://ameblo.jp/toru-nishida/entry-12827907133.html?fbclid=IwAR1juGDn7Zxs3cFqtJY3oUsLj9d8-STqy97I4ca-LDZKlZdl78Ooj29YSw8 【唱えると人間関係、体調、運勢に不思議な好影響が現れる「慈悲の瞑想」】より

愛する魂の冒険者たちへイーグルズゲートがもっとも開いている今日から明日にかけて、

自分の本質(真我)と向き合う瞑想や祈りの時間、感謝の時間を意識的に取るとよさそうに感じます。

明日などもできるようなら、自然の中に入っていくのもいいですね。今朝、西田は、田宮さんといっしょに鎌倉の海辺へまいりましてアーシング、瞑想、お祈りの時間をすごしました。

「脳と瞑想」の話になりますがかなり研究が進んでいて、、、例えば、マサチューセッツ大学医学大学院教授のジョン・カバット・ジン博士の研究によると、マインドフルネス(瞑想)を8週間実践した人は「大脳皮質の厚さ」が増しました。

ハーバード大学准教授のサラ・ラザー博士らの研究では、瞑想の熟練者は、「前頭前皮質と島皮質」の体積が大きいという結果が出ています。

また、古代言語のサンスクリット語のマントラ(真言)を唱えていると、脳の灰白質(情報処理の中心となる部分)、海馬(記憶をつかさどる場所)が増大する傾向があると、スペインのバスク認知脳言語センターのジェームズ・ハーツェル博士が率いるチームが発表。

そのほかストレスに強くなったり、集中力、免疫力が向上することも明らかになりつつあります。脳や体の機能が高まる効果が、バッチリ得られると、科学も、認めているわけです。

こうしたこともあってか、瞑想・マインドフルネスは世界的な大企業や、海外の政府機関でも取り入れられたり、一流のアスリート、経営者、アーティストが実践していることも有名ですね。1日のうち、わずかな時間を瞑想にあてることで心と体が強くなり、人間関係が改善し、

インスピレーションがやって来る。仕事やお金の状況もよくなる。若返る。人相がよくなる。

よき人と出逢う。・・・というように、結果的に、実利も多々得られるのは、瞑想〜マインドフルネスの嬉しいところ。その根っこの目的は「本当の自分」とのつながりが太くなること。

「真我」(しんが)への気づきが起きるのですね。結果、ゆるぎない「自分軸」が確立されて、、、感謝が増えて、内と外に、美しい世界が現れて来るのが、すっごくステキなところだと思います。

楽しいし、エコで環境にいいし、もういらない力みが抜けていきます。

瞑想には悠久の歴史があります。瞑想の中でさまざまなインスピレーションを得て、文明が進歩してきたようなのです。

瞑想をすると、直感力が高まります。生命エネルギーが充電されます。本質の世界とのつながりが強化されるからです。瞑想のやり方はいろいろあります。

例えば、姿勢を整えて座り、

・呼吸を深くして、吐く息、吸う息を意識する  ・呼吸を数えていく

・言葉やマントラをただ唱える  ・ひたいのあたり(第三の目)に光をイメージする

・音の向こう側にある静けさを感じてみる  ・ろうそくの炎を見つめる

・感情や思考を観察するというように、じっとしてやる瞑想も、瞑想ならば、

・自分が今やっている動作を細部まで意識し観察する ・ピカピカに掃除する

・食事を徹底的に味わう ・仕事を誠心誠意、心を込めて行う

・目の前の人、目の前のことに、奉仕する ・大好きなことに没頭する

というような、動く瞑想もあります。

自分に向いているものがいくつかあると思います。

じっとしているより、なにか手を動かしたりして没頭する方が瞑想に入りやすいというかたもおられると思います。

僕が好きなのは、自然の中での瞑想です。自然はそれ自体、いつでも瞑想をしている感じがします。そのなかに入っていきます。

川べりに行って、水面を見つめる。海辺に行って、波を見つめる。水や風の感触を感じる。

流れる雲をただ見る。木漏れ日を見つめる。星の瞬きを感じる。自然の中を歩く。

などなど。瞑想が起きてきます。

リトリートなどでも瞑想&マインドフルネスの時間を設けるようにしております。

健康と運勢が好転する脳内ホルモンも出るそうですよ😀

〜〜〜

スペシャルなタイミングの今日は上座部仏教の「慈悲の瞑想」をあらためて載せさせていただきます。「慈悲の瞑想」は以前、オンラインサロンとセミナーで紹介したことがあるんですが

以下の言葉を唱えていくのです。

「慈悲の瞑想」の内容をちょっと編集したものを、載せさせていただきますね。

「慈悲の瞑想」

『私が幸せでありますように』

『私の悩みや苦しみがなくなりますように』

『私の願いが叶いますように』

『私に悟りの光が現れますように』

『私の大切な生命が幸せでありますように』

『私の大切な生命の悩みや苦しみがなくなりますように』

『私の大切な生命の願いが叶いますように』

『私の大切な生命に悟りの光が現れますように』

『私の嫌いな生命が幸せでありますように』

『私の嫌いな生命の悩みや苦しみがなくなりますように』

『私の嫌いな生命の願いが叶いますように』

『私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように』

『私のことを嫌っている生命が幸せでありますように』

『私のことを嫌っている生命の悩みや苦しみがなくなりますように』

『私のことを嫌っている生命の願いが叶いますように』

『私のことを嫌っている生命に悟りの光が現れますように』

『生きとし生けるものが幸せでありますように』

『生きとし生けるものの悩みや苦しみがなくなりますように』

『生きとし生けるものの願いが叶いますように』

『生きとし生けるものに悟りの光が現れますように』

この慈悲の瞑想は、仏教が大切にしている慈悲の精神を端的に表したものとされていますが、、、試しに、この言葉を静かに唱えるだけで、不思議な感動と感謝、そして、

真実に触れたという感覚が湧き上がってくる言葉だという気がします。

この瞑想を続けると、心が穏やかになり、うつ症状や、頭痛や肩など体の痛みが消えていくという研究もあるようです。

他者への共感性が高まることから、人間関係にもよい変化が現れる効果がのぞめるようですよ。めちゃ波動が高いのできっと開運効果も期待できることでしょう。

ピンときたら試してみてくださいね。それでは快適な夜を、そして素晴らしい朝をおむかえください。 

今日も命にありがとうございます。  西田普 にしだあまね

https://j-theravada.com/world/metta/ 【慈悲の瞑想】より

仏教を実践するうえで土台となる心を育てる

慈しみヴィパッサナー瞑想の実践に入る前に、まず心を落ち着かせるために「慈悲の瞑想」を行います。基本的に「慈悲の念」「慈しみの心」があると、実践の土台として大変役立つのです。

人間というものは、自分は個別の「存在」だと思っています。「私は、私です」 と思っているのです。「私は…」と思った瞬間で、私たちはこの世界の全体的な生命のエネルギーから自分を別なものだと、ある個体的な存在だと思ってしまい、自分と他とを区別します。

区別することによって、自分がとても小さなものになってしまい、いろいろな問題が生じてきます。人間が人生で出会うさまざまな苦悩は、この「私」というその個体があるんだ…と思ったところから生まれてくるのです。

簡単に言えば、この「私」という実感さえなければ、問題は何もないのです。しかし、これはなかなか消えるものではないのです。誰かが体に触ったら「私に触りました」と感じるし、冷たい空気が体に触れたら「私は寒い」というように、簡単に「私」という主語は出てきますが、しかしそのことは大問題なのです。「私」がいるから「他人」がいて、だから人間関係が悪くなったりする。「私」がいるから、他の人間と競争するためにいろんな才能を身につけなくてはならなくなる。例えばこのように、問題が生じてきます。

そこで、なぜ「慈しみの心」が必要かというと、いくら「私が私が…」と言っていても、実際には、ここに私が生きていられるのは他の生命があるからなのです。私達が生きるために必要な栄養素にしても、他の生命を経由して体内に採り入れるものが大部分ですし、例えば鉄分が必要だといっても、鉄の塊をガリガリとかじるわけにはいかないのです。

また、私達の体内には無数の微生物が住んでいて、なにかしら有用な活動をしています。それらの生命に「これは私の体ですから、出て行ってください」と言って追い出してしまったら、「私」も死んでしまいます。ひとつの体の中にも、多くの生命体が入り込み、お互い助け合って共存しているのです。

ですから、「私」を発見する以前に、生命に対する「やさしい心」というのは大変必要な条件になります。

どんな宗教でも共通して説いているのは、この「やさしさ」ということで、生命はお互いに助け合って生きている…ということは重要なポイントなのです。「慈悲の心」を育て上げられれば、自分は諸々の宗教に共通している真髄を実践しているのだと理解しても過言ではありません。

慈悲の瞑想の実践方法

次に実践ですが、ここでは「すべての行動は心に基づく」という法則を用いています。人間が行動する前には、必ず先立って「こう行動しよう」という心の働きがあるのです。

「慈しみ」を実践するのにもっとも簡単で早い方法は、心そのものを「慈しみの心」にしてしまうことです。

道徳やきびしい戒律を守ったり、困っている人を助けたりといった行動をしていても、もしも心が清らかでなかったらそれほど意味がないし、あとで疲れたり、嫌になる可能性さえあります。でも心が「慈悲の心」になってさえいれば、そこから先の行動は、どんなことでも素晴らしいものに変わるのです。

ですから、幸福になるためには、人生で成功するためには、平和で無事で争いがなく、堂々と美しく生きていくためには、ただ「やさしい心」さえ作ればいいのです。

それには、人を見たら自分とみる、相手を「他人」と見ずに「自分」としてプロジェクション(投影)してみることです。それができた瞬間に、問題はハッキリ明確に見えてきます。例えば、何か問題にぶつかっている人を励ましたい場合は、もし自分が相手の立場だったら、どのようにしてもらったら元気が出て、問題を解決できる力が湧いてくるだろうか……というように、相手の立場を自己に投影してみるのです。

それを上手くやるためには、やはり「慈悲」というものを育てなければなりません。「慈悲の心」を育てるためには、自分の心にず~っと反復して言い聞かせてやればよいのです。そうして「念じる」ことは、大変効果的なトレーニングになります。

この「慈悲の瞑想」は、「ヴィパッサナー」とは違い、伝統的なごく普通の瞑想法ですから、ある意味では入っていきやすい実践だとも言えます。しかし、この慈悲を念じる実践は、決してヴィパッサナーの準備段階ということだけにとどまらず、すべての仏道修行において基礎になるもので、日常的にいつも念じているのが望ましいのです。

まず最初に、自分自身に対して慈悲の心を作ります。どんな生命にとっても、いちばん大事で最優先されるのは自分であるというのは、ごく当たり前のことですから、まずそこのところは正直な心で「私は幸せでありますように」と念じます。「幸せ」とはなんですか?と考える必要はありません。幸せとは少なくとも良いことでしょう……というふうに大雑把に理解しておけばいいのです。

次に「私の悩み苦しみがなくなりますように」「私の願いごとが叶えられますように」、そして私達はいちおう仏教の実践をしていますから「私に悟りの光が現れますように」と念じます。もし「悟り」という言葉が解かりにくければ「知恵が現れますように」でもかまいません。

二番目には、さきほど出てきましたプロジェクションということでもありますが、自分の「親しい生命」、いちばん幸福になって欲しいと感じる生命がいますから、その生命(自分の子供や両親、友人、身近な生命、動物、鳥、魚、昆虫、その他‥)のことを同様に念じます。

そして三番目に、やはりすべての生命が幸福であったほうがいちばんありがたいことだと思って、それから努力して「生きとし生けるもの」の幸福を念じます。

この三段階で、あらかじめ決めておいた言葉を唱えて「念じ」ていきます。言葉は、静かに心にしみこんでいくように、丁寧に丹念に念じます。(何人かで一緒に実践するときは声を出して唱えることもありますが、一人で実践するときは、声を出さなくてかまいません)姿勢は背筋と頭をまっすぐにして、目を閉じてください。

『慈悲の瞑想』の言葉

私は幸せでありますように

私の悩み苦しみがなくなりますように

私の願いごとが叶えられますように

私に悟りの光が現れますように

私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように

私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の親しい生命の願いごとが叶えられますように

私の親しい生命に悟りの光が現れますように

私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように

生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように

生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように

生きとし生けるものに悟りの光が現れますように

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

*2016年秋より、これまで「人々」としていた言葉を「生命」に置き換えて慈悲の瞑想をいたします。

これまでがワンセットですが、さらに続きがあります。 次は、自分が嫌いな生命、苦手な生命のことを思い浮かべます。嫌いな生命のいない人はまずいないはずですから、それらの生命を心に思い浮かべて、 それらの生命のために「慈悲の瞑想」を実践します。 さらに続けて、自分のことを嫌っていると思われる生命のことを思い浮かべて、それらの生命にも「慈悲の瞑想」を実践します。

私の嫌いな生命が幸せでありますように

私の嫌いな生命の悩み苦しみがなくなりますように

私の嫌いな生命の願いごとが叶えられますように

私の嫌いな生命に悟りの光が現れますように

私を嫌っている生命が幸せでありますように

私を嫌っている生命の悩み苦しみがなくなりますように

私を嫌っている生命の願いごとが叶えられますように

私を嫌っている生命に悟りの光が現れますように

そして最後にもう一度、

生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

皆さん、どうか毎日、日常の生活の中で時間を見つけては、この「生きとし生けるものは幸せでありますように」という言葉を、絶えず持続して念じてください。 そうすれば、必ず短い間に自分の心が変わっていくことに気づきます。 特にこれは持続して実践するということがいちばん大切なことです。持続していけば、やがてさまざまな禅定を作っていくことも可能になっていくのです。

回向の文

仏法僧の三宝に礼拝、帰依し、戒をまもり、慈悲の瞑想と、ヴィパッサナー修行によって積まれたこの功徳を、神々、先祖、祖父母、両親、親族、恩師をはじめとし、一切の生きとし生けるものに、回向いたします。

この功徳によって、すべての生きとし生けるものが幸福に暮らせますように。

そして、解脱が得られますように。

ご自分でなさる時、慈悲の瞑想を一通りしてから、ヴィパッサナー実践を行い、終わって時間があればもう一度簡単に慈悲の瞑想をして、最後にこの回向の文を唱えます。やはり、唱えるならば静かに一句一句に心を込めて、そのつもりになってとなえてみてください。