散歩する、素晴らしき哉、おいしい生活 vol.2<umihayato>
うたたね、うつくしいもの。
この曲を初めて聴いたのはいつだろう。 横浜の地下のライブハウスだろうか。それより前のあの無人島でのフェスの時だろうか。笹塚の小さいお店でだろうか。初めて聴いた記憶が曖昧になる程、自分の中に初めからあるような曲だった。それでいて新鮮で、なにかを思い出させてくれるような曲だった。それがみんなが薄々感じているであろうこの曲の魅力だと思う。
カメラを持っていない時にしっかりライブを見た時にこの曲を聴いて「これでMVを作ろう」と、はっきり言ったと思う。その時期、長年入退院を繰り返す祖父がもうそろそろという時だった。イントロを聴いた時に、いつの記憶だかわからないが、夕日がさす祖母の部屋のベッドの上に二人が座りながら手を繋いでいた光景が浮かんだ。
映像や写真を仕事にしてはいるが、それは仕事で自我を出すものでもないし、表現なんてしないと決めていたが、この曲はやろうと決めた。特に悲劇的でも特別なこともあったわけではないが、祖父との思い出は僕を作るうえで欠かせないものだったが、出てくるのはまだ物心覚束ない幼少期の頃のものばかりであった。祖父の死が迫っている今忘れないうちに人間にとって「子供の頃」とは何なのかをまとめておきたかったし、祖父に向けて何かを作りたかった。
自然以外には何もない田舎っていうのは何回行ってもいいなぁと撮影しているときに思う。住めって言われたらどうかわからないけど( 笑)
物を食べるために物を作って、子供にも食べさせて、寝る。あたりまえのことをあたりまえにしっかりやらないと生きていけない場所なんだなぁと、ああいうとこに行くと、思う。
出来上がったMVに沢山の感想を聞いた。「なつかしかった」という言葉も多く聞いたように思う。僕の実家は横浜の奥。都会ではないが、あの映像の景色のようなところはない。ただ家があり坂があり公園がある。住宅地って感じだ。それでも僕もあの映像に懐かしさを覚えた。あのような景色を持っていない僕もそれを持ち物として感じると言うのはとても不思議な体験であった。
最近改めて見直してみた。意識していたわけではないのにカメラの位置が低い。目線が低い。あの頃に見ていた世界の高さ。目線の近くにある、または見上げる草木。雨の弾ける地面、草についた朝露。皺くちゃのおばあちゃんの手。そうだった。あの頃はあれくらい世界を興味深く見ていた。
なにかの映画などで見たような景色が懐かしさを想起させるのではなく、あの覗くかのような視線が「子供の頃」の特権であるだろう。それは都会だろうが田舎だろうが昔でも今でも、子供の目は変わらないということだと思う。
イタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニは、自身の青年期を描いた映画「アマルコルド」の最後にこう言う詩を残しました。
「世界が美しきもので満たされ、町々が喜びに湧こうとも、果たして君は我らと遠く離れて生き得るや。」
その町のマドンナが嫁に行くときに労働者詩人が送った詩ですが、これは恐らくフェリーニの青年期が今のフェリーニに言った言葉でしょう。僕達は「子供の頃」の思い出とそこでもらった愛なくして生き得はしないのです。
うつくしいものの撮影前に祖父は亡くなってしまったので、完成した映像を見せることは出来なかったですが、納棺の際に昔の結婚写真とともに、元気な時の最後の初詣で僕が頼んで撮らせてもらった祖母祖父だけでの写真を、祖母がそっと入れてくれました。「この写真は入れようねと二人で話していた」とのことで、僕の人生で初めて写真を撮ってよかったなと思えた出来事でした。同時にこの「うつくしいもの」のMVも撮ってよかったなと思えたランキング堂々二 位に入るものです(笑)なので、まだ見てない人いたら見てくださいね。僕の意見を全面的に受け入れて作らせてくれたうたたねにも、ありがとう。
しっかり伝わったのかわからない自己満足の雑記ですが、今日はこのへんでお開きということで。
次回はこの書き物のタイトル 「散歩する、素晴らしき哉、おいしい生活」 について。 そろそろ映画のコラムを書きはじめます。でわ。
文:umihayato