上沼優二郎(FOOLA)の 感受性、応答セヨ! vol.2<上沼優二郎>
アレは二〇〇二年十二月三十一日のことだ。当時のワタシは東京は東村山の八坂にあるあら川」という焼肉店で働いていた。そのお店は歴史も長く、地元の人の人気も高い上に度々雑誌にも紹介されたりで金土日は予約しないとかなり難しいくらい忙しかった。
だけどワタシが入ってすぐに社員が二人辞め、一年後くらいにはまた一人辞め。全てが手作りだったその店は、仕込みの量も半端じゃないのだ。それを店長が一人でやっていて見かねて、「教えてくれよ!手伝うよ!」何て言っちゃったもんだから色々やるようになって、定休日以外は出勤だった。それまで料理なんてした事が無かったので楽しくて仕方が無かったのでそれはいいんだけど。
終わるのも23時くらいだったので休みの日以外はお金を使う暇もなかった。だから毎週定休日の日はCDをどっさり三万円分くらい買ったりしていた。まだ聴けてないCDがあるっていうのに。
で、冒頭の十五年前の大晦日だ。お店は毎年三十日まで営業で、終わった後はお疲れさま&忘年会で。しゃぶしゃぶとすき焼き( 通常一人前五千円) が食べ放題かつ飲み放題というお店側の粋な計らいを経て朝まで飲み明かした。
昼くらいにのんびり起きて当時の彼女にどこに行きたい?と聞いたら、
「普段休みが無いんだからゆうちゃんが行きたい所に行こうよ!」
なんて言うもんだからかわいいやつだなまったくもう!と思いつつすかさず
「タワレコ!」
と答えた。その時に一瞬、えっ!ていう顔をされた気もするけど気のせいということにしよう。思い出は美化されるものだ。
ボーナスももらっていたワタシはほくほくな気分で吉祥寺のタワレコに入った。ワクワクしているワタシの眼前に真っ先に飛び込んで来たのはこれだ。
「十二月二十二日、ジョーストラマー急死」
冗談じゃなく本当にその場で泣き崩れてしまった。当時はSNSどころかパソコンも全然普及していなかったから、海外の情報は主に音楽雑誌やラジオで仕入れるしか無かった。リアルタイムで知れることなんて本当に少なかったんだ。当然その後は何も買う気にもならずさっさと店を出て、地元に帰ってしょんぼりしたまま年越しをした。
ジョーストラマーの言葉でこういうのがある。
「月に手をのばせっていうのが俺の信条なんだ。たとえ届かなくてもね。そのほうがよっぽどマシだよ。」
この言葉が大好きでそういう気持ちでもう何年も生きてる。届かない事ばっかりだけど夢みたいな事に届いた時もいくつかある。精一杯、千切れるくらい手を伸ばさなきゃ掴めない事はたくさんある。竹原ピストルはこう歌う。
「カウント10 だけは諦めが数えるものだ」
どうにもシンドイ時、頑張らなきゃいけない時はこの二つの言葉を支えにしてる。
そんなこんなで大晦日が来るとカウントダウンの喧騒もよそにワタシは少し悲しくなってしまう。ジョーの本当の命日は二十二日だけど自分にとっては三十一日が命日みたいなものだから。
ワタシは生きているので今年も色んな事に手を伸ばしていたいし、知らない事を知りたい。知らない音楽をたくさん聴きたい。いい曲を作って、いろんな人の前やいろんな場所でライブがしたい。いろんな人と乾杯をしたい。たくさんムスコくんの笑顔が見たい。
今年一年、みんなにもたくさんの笑顔がありますように。
文:上沼優二郎