Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

毎日ボーナスタイム vol.2<みうらかな>

2018.02.28 11:00

 十六歳、冬休みのこと。自分の中のあまのじゃくがずっとストップをかけていた「あの頃を思い出す」という作業を、せっかくだからこのコラムを通して実行してみようと思う。七年も前のことだなんて未だに信じられないのだけれど、たしかにあの時、東日本大震災の時、私は福島県いわき市の高校一年生だった。幼いころから絵を描くことやものづくりが好きで、必然的に高校も芸術に特化しているところを選んだ。将来は美術に携わる仕事につくのだと思っていたし、それ以外の未来は想像できなかったと思う。

 単位制の学校だったので時間割は自分で組み、国語と数学と英語以外はすべて実用的な、というか、頭を使わなくてもいいものばかりを選んだ( 服を作ったり着付けをしたりダンスを踊ったりして卒業した、今思うと結構やばい)。

 音楽の授業はたしかひとつも取らなかった。興味がないのではなく、その時の自分にとってはそこまで必要ではないと考えていたのだと思う。

 三月十一日は冬休みだった。テニス部に所属していた私は、引退してしまう先輩たちを送る会で外に出ていた。昼ご飯を食べた後、カラオケの部屋が空くのを待ち、ロビーでおしゃべりをしていたら、あの地震が起こったのだ。

 ずいぶんと大きな、立っていられないほどの揺れに驚き、とっさにみんなで建物の外に出たら、地面がメキメキと割れている。信号が消えてしまったため、車は動くことができない。とんでもないものを見た気がした。

 しばらくしてから駅前に移動すると、大勢の人だかりが。と、同時に空から雪が降ってきた。ちょっとドラマみたいだな、なんて現実味のない私はぼーっとその光景を見つめる。その間に大津波や原発の事故が起こっているだなんて、これっぽっちも想像できなかった。

 免許を取ったばかりの先輩に車で送ってもらいその日のうちに家に帰れた私は、家族全員無事でいたことにほっとしたのもつかの間、テレビのニュースを見てあの瞬間起こったことの重大さを叩きつけられたのだった。

 それからのことは早送りのように過ぎていったので、正直そこまで覚えていない。幸いにも私の住んでいる場所は海から離れていたし、避難区域でもなかったので、休校中に家から離れることはなかった。部屋で読書をしてテレビを見てご飯を食べて寝る毎日の繰り返しは想像を絶する大変さで、頭がおかしくなる人がいても不思議じゃないなと思ったけれど、しっかり者の両親のおかげで三浦家は終始平和に暮らせた。二人の勇敢さを心の底から尊敬しているし、とてつもなく感謝している。

 同年夏、これからの進路について考えたときに、大学進学という選択肢はなかった。母の仕事場が流されてしまったということもあり、お金がかかることはなるべく控えたかったのだ。美術の仕事は諦めて地元で働こう、誰にも言わなかったけど、私はこっそりそう決めていた。そんな中、知り合いから「近くの自動車整備工場で福島出身のアーティストが復興支援ライブをするらしい。一緒に行かないか」との誘いがきた。面白そうだったのでついていくと、音楽ファンのみならず小さい子供やお年寄りまでライブに行ったことがなさそうな人も多々集まっていた。夕方、ライブが始まるとその場の空気が一気に熱くなり、出演者は

皆おもいおもいの言葉や歌で観客を魅了した。中でも一番印象的だったのは、あるバンドのMC中の言葉。

「今どれだけ苦しくてもどれだけ悲しくても、明日は絶対にくるし努力は必ず身を結ぶ。ここは終わりの場所ではなく、始まりの場所なんだ。諦めてはいけない、もっと踏ん張ろう!生きているかぎり、踏ん張ろう!」

 いつの間にか降っていた雨の中、泣きながら唾を飛ばして吐き出したその人の思いは、自分が生きてきた中で最も心に突き刺さり、涙が止まらなかった。こんな人に出会えたことが何より幸せだと、こんな人のそばにいられたらと。

 その日から私の夢は「情熱を持ったアーティストのそばで仕事をすること」に変わった。これまで学んできた芸術という括りは一緒でも、自分にとっては今までと180度全く違う新しいスタートだった。そしてこの夢は今日までずっとブレなかったから、間違っていなかったんだと思う。

 両親はもちろん驚いていた。あんた音楽好きだっけ?と何回も聞かれたので、私も何回も説明した。そして二人は一度も反対しなかった。やりたいことをやりなさいと言ってくれた。

 震災のことがあったので専門学校の学費も免除となり、お金の面でも大きな負担をかけなくて済んだ。良いのか悪いのか、ともあれ私はとても恵まれていると思う。本当に。長くなってしまったのでこの後のことはまた別の機会に話すとして。ありきたりな被災話にしたくなかったので今までこうして言葉で残さなかったけれど、勇気を出して書いたことでやっと心の整理がついた気がする。この場を与えてくれた小野さんに感謝し、また次号。


文:みうらかな