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味噌

2018.03.31 07:28

フェースブック 清水 節夫さん投稿記事より

放射能に砂糖は厳禁なのだということ1916 年~2005 年。長崎市万才町生まれ。

当時の浦上第一病院医長。'52 年に聖フランシスコ病院医長、'86 年顧問。

爆心地から1.4km で被爆、医師として被爆者の治療に当る一方、永年に渡り被爆者の証言の収集を行った。

吉川英治文化賞、ローマ法王庁の聖シルベステル勲章、他。著書に長崎原爆記、死の同心円。

(プロフィールと写真・図表は長崎放送HP より)

(以下秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)

秋月医師は昭和20年、長崎原爆で病院勤務中被爆した。

その病院がたまたまミソとショウユとワカメが大量に保存してあった。食糧不足のおり毎日ワカメの味噌汁を飲んでいたためか、患者と医師、従業員に原爆症が出なかったことが評判となり、たちまち近隣諸国に広まった。

チェルノブイリ原発事故前後のミソの輸出量の比較をすると明らかに、ベルギ-・ドイツ・オランダ・イギリス・フランスなど欧州で増加。特にベルギ-は39トンから150トンと輸出量が増加している。

秋月博士は長崎市の聖フランシス医院の内科部長であった。1945 年8月、長崎に原爆が投下されたとき、同病院は爆心地からほぼ1キロ半余り離れたところにあった。

同病院のほとんどの患者は、原子爆弾の第一撃からは生き残ったが、まもなく爆弾から飛散した放射性物質による放射能疾患に取りつかれてしまったのである。

このような状況において、秋月博士の行った処置は、患者ならびに医療スタッフに、玄米ご飯、味噌汁、醤油汁、ワカメなどの海草、食塩などの食事を厳格に守ることを命じた。

このような食事を患者と病院スタッフに守らせ、そして砂糖の禁止と、甘いお菓子を絶対食べないように命じたのである。

このような措置のおかげで、他では被爆者が放射能被曝障害で次々と死亡したが、同博士のところの患者とスタッフは、一人として被曝による犠牲者を出さずにすんだのである。

◎秋月博士の指示「塩分を多くし、甘いものはやめなさい」

同博士は、次のように命じた。

「私が、炊事に携わる人々と医療スタッフに厳しく命じたことは、塩を少しまぶした玄米のお握りと、それに味噌を多めにいれた濃い味噌汁でした。砂糖は一切使わないよう指示しました」

また、同博士は

「この指示に従わない者は、砂糖は血液を駄目にするので砂糖はやめなさいと、情け容赦なくしかりつけました」という。

秋月博士は、このような指示の結果を、次のように明らかにしている。

「このような食事によって、わたし自身、放射能障害をまぬがれ、医者としてきつい仕事をこなすことができたのです」

「放射能は致命的な量でなかったかもしれないが、岩永修道士、野口牧師、村井看護婦婦長もそうですが、その他の病院スタッフ、入院患者とわたしを含めて、みな大変危険な放射能塵の中で生きながらえたのも、このような食事法によってなのです。

疲労や原爆症を克服して、毎日無事に働くことができたのも、また放射能障害を免れたのも、この様な食事のおかげです」

◎秋月博士の被爆体験

1945 年8 月9 日、長崎に原爆が投下された。

その爆心地から、たった1.8kmのところで、当時聖フランシスコ病院医長であった秋月辰一郎博士と病院関係者は全員被爆した。

健康ストア健友館

(中略)

さらに博士は、次のように職員に命令したという。

「爆弾をうけた人には塩がいい。玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からい味噌汁をつくって毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」

(秋月辰一郎著「死の同心円-長崎被爆医師の記録」講談社刊・絶版)

「放射線宿酔」と呼ばれる。

レントゲンを受けたあとに起こることがある全身の倦怠や筒宇などの症状には、体験上、生理食塩水より少し多めの塩分を含んだ水を飲むとよいということをとっさに思い出し、原爆の放射能から体をガードするには、塩が有効であることを推理したのだ。

みそ汁の具は、カボチャであった。

のちにわかめのみそ汁も多くとったらしい。

砂糖を禁じたのは、砂糖は造血細胞に対する毒素であり、塩のナトリウムイオンは造血細胞に活力を与えるという、彼自身の食養医学によってである。

すると、どうであろう。

そのとき患者の救助にあたったスタッフらに、原爆症の症状が出なかったのである。

ふつうなら、しだいに原爆症の症状が出て、進行してしまうところなのに、彼らはそれからのち、ずっと現実に生き延びているのである。

このことは、私にとって大きなショックであった。

食というものによる、見かけからはなかなかわからない「体質的な強さ」というものの重い価値を知り驚嘆した。

ちょっとした体質のガードが、明らかに生と死を分けているからである。

博士は人間の体質にとって、みそが実に大切であることを説き、のちにこう語っている。

「この一部の防禦が人間の生死の境において極めて重要なのである」

(秋月辰一郎著「体質と食物」クリエー出版部刊より引用)

※上記記載の塩は、伝統的製法で作られたものです。(いわゆる自然塩)

感謝

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

内容紹介

・浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)医師のヒューマニズムに貫かれた稀有な被爆の証言記録。

【本書の注目される点】

1. 爆心地から1.8キロの病院で医療活動を続けながら、その食生活により、患者・スタッフが後遺症にならなかった実体験が記されている本書。いま、秋月式治療法が再び注目されています。

2. 本書は英訳されてヨーロッパ・ロシアでも広く紹介され、チェルノブイリ原発事故の際に、多くの方に読まれました。

3. 福島原発事故による放射性物質の身体に及ぼす影響について予断を許さない状況が続く中、さまざまなブログ上でも紹介されています。

【目 次】

まえがき

第一章 八月九日の長崎

広島に新型爆弾投下/八月九日の長崎/時間のない日/地獄図絵/母は無事だった/苦悶と呻きのなかで

第二章 医療活動の開始

 薬があった/診療開始/瓦礫にて/負傷者押し寄せる

第三章 紫黒色の死

本原救護病院開設/亜鉛華油とヨードチンキ/紫黒色の死/遅すぎた敗戦

第四章 死の同心円

原爆症あらわる/秋月式治療法/死体を焼く/医療の手だてなし/果てしなき犠牲/死の同心円

第五章 救いの雨

米軍医の診察/豪雨来る/流れ去った放射能/神風・枕崎台風

第六章 永井先生との再会

帰ってきた人/焼跡の槌音/プルダン神父の決意/生命の箱/永井隆先生との再会/診療所完成

第七章 原子野にたたかう

クリスマス・イブ/瓦礫の無医地帯にて/二つの死亡診断書/アルカンタラ病棟/静かなる日

(付)永井隆先生と私

ねずみ星を知らず――永井隆


内容紹介

大豆の発酵食品であるみそは、 放射線、乳がん、肺がん、胃がん、肝がん、大腸がん、前立腺がん、脳卒中、高血圧、糖尿病…… などから体を守ってくれる。 専門家による長年の実験に裏付けられた話がいっぱい。 チェルノブイリ事故のあとヨーロッパではみその輸入が急増し、昨年も注目された。 家族が心配なお母さん、1日2杯の味噌汁を飲んで健康な体になろう!

内容(「BOOK」データベースより)

放射線、がん、高血圧、肥満…二十数年の実験・研究でわかった味噌の予防・治療的効果。

著者について

1940年福岡県生まれ。熊本大学理学部卒、九州大学大学院博士課程理学研究科修了。理学博士、医学博士。

1973年広島大学原爆放射線医科学研究所で助手、助教授を経て1996年教授。その間アメリカ ウイスコンシン大学、イギリス パターソン研究所で主に放射線生物学の研究を重ね、2004年退官後も名誉教授として日々研究を続けている。

専門は実験病理学と放射線生物学で、幹細胞に興味を持ち、長年にわたり、がんがどのように生まれ進展するか、どうすれば予防できるかの研究を続けている。一方で1980年から、味噌の有効性について動物実験に基づく研究を本格的に始める。どちらのテーマについても論文、講演での発表は多い。