【MINDFULNESS】他者の幸せは苦い味?
6月に入って間もない頃
日本に居る知人から突然メールが届きました。
正確には知人というよりも
一時期同じ職場で働いていた先輩の女性です。
この方にメールアドレスをお渡しした記憶がなく
SNS等でも特に連絡を取り合っていた訳ではなかった為
(プライベートでは現在SNSを使用していません)
最初は少し驚きましたが、すぐにメールを拝見しました。
メールの内容はとても短いもので
ご自身の近況が簡単に書かれてあるだけでした。
そして、私に対する「いまは日本かトルコ
どちらにいますか?」との問い掛けで括られていました。
仕事や環境に慣れず右往左往していたとき
何度も助け舟を出してくれたお優しい方ですし
退職する際には可愛いプレゼントも頂戴しました。
短い期間ではあったものの恩義を感じている方であり
「早々にお返事を返さなければ!」と気合が入って
イスタンブールに戻って来てからの経緯と
近況報告のようなものを綴ってお返事しました。
総括すると『公私共に充実していて
イスタンブールで幸せな日々を過ごしています』
という内容をお送りしました。
私を気に掛けて下さっているような締め括りでしたので
「喜んでくれるはず」と考えましたし
すぐにまた返信が来ると密かに期待もしていました。
ですがその後、一向に何の音沙汰もない状態です。
「ちょっとガッカリ」との気持ちがあるのと同時に
「ああ、やっぱり」という納得も感じています。
私が納得を感じた理由は「いまは日本かトルコ
どちらにいますか?」の問い掛けです。
この一文を目にした瞬間、恐らくこの方は
私が日本に居ることを望んでいるのではと直感しました。
「イスタンブールでの生活が上手くいかず
日本へ戻って来ています」という風な答えが欲しかった。
つまり、私の不幸な回答を待っていたように思います。
にも関わらず、私からの返信を目にして
当てが外れたようになられたのかもしれません。
こちらも恐らくですが、この方はいま
あまり満たされた状態ではないかもとも感じました。
自分自身が真に満たされてはいない状態であれば
誰かの幸せを心から喜ぶことは非常に難しいからです。
実際に以前の私は
誰かの幸せが怖くて怖くて仕方がありませんでした。
表面上では「良かったね、おめでとう!」と言えても
心の中には大きなザワザワ感が渦巻いていました。
ところが、不幸慣れの思い込みが改善するに従って
他者の幸せが自分の幸せへと大きく変化していきました。
傍から見ると、ただのお節介おばちゃんなのですが
面識のない方の幸せも自分の喜びになっています。
貴女にとって他者の幸せは甘い味ですか?
それとも、何だか苦い味がするでしょうか?
例え後者であった場合でも
決してご自身のことを責めたりなさらないで下さい。
そこに隠されている理由を探していきましょう。
ちなみに・・『公私共に充実していて
イスタンブールで幸せな日々を過ごしています』ですが
勿論、いつもいつもということでは全くありません。
普通に生活している以上、ネガティブな現象は起きますし
常に満たされた状態をキープするのは不可能です。
それでも、無いものに対して不満や不安を募らせるよりも
いま在るものに感謝することを心掛けています。
そうすると、とても不思議ではありますが
小さな幸せをたくさん発見できるようになりました。