南北戦争12-人民による人民のための政治
2022.09.21 11:27
ゲティスバーグの戦いの2カ月後の1863年11月19日、リンカーンは「人民の人民による人民のための政治」という言葉で知られるゲティスバーグ演説を行った。実にこれは戦死者の追悼演説である。彼はこの演説でこの戦いが内戦ではなく、自由のための普遍的な戦いと意義づけた。以来アメリカの戦争演説のモデルとなる。
戦況といえば、南部連合の封鎖「アナコンダ作戦」が完成し、南部は綿花を輸出できなくなった。それでも南部は封鎖突破船で島まで行こうとした。突破船が成功すると多額の儲けが入り、「風と共に去りぬ」のバトラー船長は、この成り上がりである。
リンカーンには64年の選挙を控えている。62年の中間選挙は、戦況悪化で共和党は議席を減らした。ここで南部と講和するという選択肢はなかった。リンカーンは、3月9日、西部戦線で戦果をあげていたグラント将軍を総司令官に据える。その理由は戦績もあるが、政治的野心がなかったことだという。
グラントは、5月から多方向より南部全体に進攻する「オーバーランド作戦」を策図した。南部は敵を迎え撃つために、各地に塹壕を展開しており、進攻は容易なことではなかった。しかし北部は豊富な戦争産業が確立しており、志願兵も豊富だった。南部は1戦で負けてもすぐ立て直す物量作戦を目にすることになる。