7. 『聖歌』と『讃美歌』って、どう違うのですか? 【礼拝プログラム解説】
福井中央キリスト教会の礼拝では『聖歌』という賛美歌集を用いて、主をほめたたえています。日本には他にも『讃美歌』という有名な歌集があります。『新聖歌』、『教会福音讃美歌』、『ミクタムプレイズ&ワーッシップ』など多くの賛美歌集が発行され、歌われています。
徳川幕府の長年に渡るキリシタン禁制が、明治6(1873)年に解禁され、その翌年には長崎、大阪、神戸それに横浜で、日本で初めての賛美歌集が作られました。各地域で伝道した米国の宣教師たちの出身教派が違っていたため、教派ごとに先駆的(せんくてき)な歌集が作られました。そして明治33(1900)年、当時のプロテスタントの主な教派が、共通の讃美歌を編纂(へんさん)する委員会を発足させ、3年後、『讃美歌』が発行されました。昭和6年と29年に大改訂されて現在の『讃美歌』(日本基督(きりすと)教団出版局発行)となりました。
『讃美歌』が委員会で話し合って制定されているのに対し、『聖歌』はきわめて個人的編集に貫(つらぬ)かれています。編者は中田(なかだ)羽後(うご)師(牧師、音楽伝道者、作詞・作曲家、指揮者等)です。彼の父は中田重治牧師で、後のホーリネス(聖め派)教会の創設者です。中田羽後師は、音楽の才能に恵まれ、米国でキリスト教音楽を学んだ成果を『聖歌』の編集に注ぎました。大正10年に編集し出版した『リヷイヷル聖歌』をもとにして、昭和33年に『聖歌』を発行しました。
彼は、聖歌の理念4か条をこう記しています。
- 言文一致(話し言葉に近い口語体)であること
- メロディーとことばのアクセントが一致すること
- 曲は「その歌詞」のために特に作曲されたものであること
- 歌詞は聖書的であり、かつ情熱的であるべきこと
現在、福音的な多くの教会で『聖歌』が用いられています。
この『聖歌』と『讃美歌』には、次のような違いがあります。
- 音の高さの違い
朝早い時間に始まる礼拝に出ておられる方から、こう指摘されました「あの聖歌の音は高過ぎて、朝早く歌うのは、ちょっときついですよ…。」奏楽者によっては、曲によって、音を低くして伴奏してくださっていたりします。
『讃美歌』を編集された方たちは、西欧の原曲のままでは日本人にはとても 歌えないので、音を2度から3度低くしたという記録が残っています。その後『聖歌』が出版される際、編集者の判断で、熱心に歌うために、原曲に近い高めの音で、という方針が採用されました。
- 訳詞の違い
『讃美歌』は、格調高い文語体の日本語で訳され、神様が創造された花鳥風月の恵みが多く歌われています。それに対して『聖歌』は、分かりやすい口語体で、神様の愛や、キリストの再臨と新しい天地への期待、また私たちの信仰や聖化を多く歌っていることが特徴的です。原曲は同じでも、訳詞が違う1つの賛美を比べてみましょう。黒人奴隷制度の悲惨な現状を告発した歴史的名著『アンクル・トムの小屋』を書いたストウ夫人が作詞し、メンデルスゾーン作曲のメロディが用いられている賛美です。
『讃美歌』30番
1.朝風静かにふきて、小鳥も目覚(めさ)むるとき、
清けき朝より清く、 浮かぶは神のおもい。
2.ゆかしき神のおもいに とけゆく我が心は、
つゆけき朝の息吹に 息づく野べの花か
3.輝く常世(とこよ)の朝(あした)、我が魂(たま)目覚(めさ)むるとき、
この世の朝より清く 仰ぎ見ん神の御顔。 アーメン
『聖歌』100番
1.静かに神と交わる朝(あした)の我がひと時
新たに朝日のごとき 心を我もたまし
2.夜(よ)の幕ややに消えゆき 日陰は地に漂(ただよ)う
主の他 我ただひとり 御声をいざ聞かまし
3.悔いなき 聖きひと日とならせよ いま一度(ひとたび)
今宵(こよい)も汝(な)がそばにある 心地に我休みえん
4.かくてぞ ついに常世(とこよ)の朝に目覚むる時
朝日を遙かに越ゆる 栄えの主に会うを得ん