2022年9月26日
「あなたの家系には因縁がある」と言われて(聞いて)、あなたならどう思いますか。
そんなものはない、気のせいと否定しますか。
それとも、あるかもしれないと肯定しますか。
更には、それをそのまま「仕方がない」と見過ごしますか。
それとも「どうにかしなければならない」と方法や判る人を探しますか。
何かがおかしい、という思いを抱く人はよくいます。
その中の一部の方が私の元を訪れます。
そして多くの方が口にするのが「なぜ私なのですか」という言葉です。
要するに、他の兄弟や親戚も同じ家系なのに、なぜ自分ばかりが不幸な目に遭ったり、不都合が続くのか、因縁を一人で背負い込んでいるのか、と不思議であり、また歯がゆく思うのです。
しかし、よくよく考えてみると、他の兄弟や親戚も、似たような出来事に出会っているのです。
もちろん、中には一族の不幸を一手に引き受けているような方もいらっしゃいます。
要は、気付いた自分があるのなら、それが転機だというのです。
気付かない者に、あれこれと言ってみたとしても、気付いていないのですから、因縁なんて言ってお金を取るつもりだろう、ぐらいにしか受け取ってもらえないのです。
因縁は「悪しきものから良きものへ変わるためのきっかけ」なのです。
あなたの中にある魂が「因縁があるよ」と知らせてくれているのです。
それ故に、因縁があると気付いた時から救われる道があると知らなければならないのです。
先に書いたように、一族の不幸を一手に引き受けているような方の場合は、魂の救いたいという思いが他の人よりも強いと考えられるのです。
この場合、気付けばいいのですが、気付かなければ、これこそ悲惨な人生を送る事があるのです。
理解し難い話かもしれませんが、何かに気付いた方には、納得できるものがあるのではないでしょうか。