リバウンドでやり残すこと
リバウンドはいけないと言いますが、リバウンドするということは、やり残したことがあるということですよね。
何をやり残したのか?
やり残したことがあるのならそれをとことんまでやる以外、リバウンドを止める方法はありません。
リバウンドは肉体の問題ではなく精神が未熟なことで起こります。
しっかりリバウンドして肉体も精神も鍛え直す必要があるのだろうと思います。
大事なことは方法論だけを変えても駄目だということです。
自分自身で腑に落とすところまで徹底的にやって感じる以外に方法はないと思います。
考え過ぎるとリバウンドを怖がりすぎてリバウンドの罠に嵌まってしまいます。
それは食だけでなく薬の依存も全く同じでしょう。
きっと頭でっかちになって考えてしまうからですよね。
これは良い。
あれは駄目。
痩せなきゃいけない。
いつまでも健康で長寿であるべきだとかね。
頭で考えるんじゃなく感じることをもっと大事にして欲しいなと思います。
今日は良い。
今は良い。
今は必要ない。
とかね。
感じると1分後にどうなるかわからない。
感じるというのは「今」なんですよね。
10秒後は違っても今はそう感じる。
それを自分自身の身体と心が納得するまでやる。
そのためには頭で考えちゃ駄目なんですよね。
食に対する知識はちょっと調べれば色んな説があるのに気づきます。
結局何を信じて良いのかわからない。
頭で理解しただけだから必ずリバウンドします。
今どうなのか?
それを知るには感じるしか方法はありません。
食事制限ってある意味そんな覚悟が必要なんじゃないかと思います。
食事って肉体に直結してますからね。
その肉体は精神とイコールです。
親が亡くなって酒に溺れる人もいます。
酒が悪いんじゃなく、親と自分との関係を正せなかったのが一番の問題ですよね。
だから酒を飲まなくなってもそこが変わらないとまた酒に溺れる。
そんなの誰が治せますか?
自分で気づく以外に方法はないと思う訳です。
薬の依存も全く同じ構造ですよね。
アル中と薬依存って根本的な精神的構造は変わりないと思います。
アル中ならお酒を断つことは医師も世間もすすめます。
しかし、薬依存の場合は医師がすすめる訳ですから更に問題がわかりにくくなってしまいます。
スィーツ男子という言葉も社会にかけられた一種の呪文のようなものです。
キャンペーンのようなものです。
誰が考えたんでしょうね。
最初その言葉を聞いた時、「気持ちわる~」って思いました。
次に思ったことは、誰が考えたん?
考えた人って天才~って思いました。
魔法の言葉ですよね。
それをテレビという媒体を通して民衆の潜在意識の中に入れる訳です。
おぇ~ってきます。
甘い物を徹底的に排除するのも精神構造は全く同じコインの両面ですね。
同時期に真逆の言葉の糖質制限という言葉が世間に知られるようになりました。
もちろん昔からある言葉かもわかりませんが、世に出てきたのは、同じ時期だと言えます。
それが呪文だと気づかないと甘い物をやめようと思っても絶対にやめられません。
ちょっとした言葉が魔法の呪文となって人の頭の中でグルグル回っています。
だから社会的現象を起こす訳ですし、そうなるようにテレビ番組つくります。
だから止められない。
だから気づけない。
一種の暗示なんですよね。
なんかニンジン目の前にぶら下げられて走っている馬みたいなふうに感じるのは私だけ?
ある意味生きるって命をかけた戦いです。
戦争だけじゃありませんよ。
平和な時代に一番大きなものは、もしかすると食にかけられた暗示かもわかりません。
本当は感じて食べるものなのに頭で食べてたりします。
私も断食をしていた若い時はそうだったと思います。
あの時を思い出すんですよね。
気持ち悪くなる。
他の動物との違いは思考(過去と未来)の戦いがあるということです。
明確に言葉で伝え合うことができる動物だからこそ苦しむ。
これは他の動物にはない特色です。
食をコントロールすることで管理しやすい社会を作ってきたんじゃないかと思います。
それはマトリックスの世界です。
罠に嵌まらないように感じて楽しんで食事はして欲しいなと思います。
本当に今自分が必要としている食べ物って何なのか?
感じて補食する。