城田実さんコラム 第25回 食料の輸入が持つ意味 (メルマガvol.51より転載)
インドネシアの経済を議論するある会合で、インドネシアの野菜と果物の輸入が急増しているという報告があった。報告者は、「この傾向が続くと国内から複雑な反応が出てくるかも知れない」とコメントしていた。
スハルト大統領を退陣に追い込むことになる激しい反政府運動と暴動が首都を揺るがせていた時、私はたまたまバリ島のデンパサール勤務だった。バリは首都の騒乱が他人事のように落ち着いていたが、それでも市内の大学キャンパスでは連日、抗議集会が行われていた。
その中で妙に記憶に残っているのが、スハルト政権による農業政策の失敗を追求する大学の若手教官らしい人物のアジ演説だ。彼は、「バンコク・パパイヤ」など外国の地名を冠した果物などをやり玉に挙げて、「こんな呼び名の野菜や果物が国内に広まっているにもかかわらず、恥ずかしいという感覚すらなくした大統領に祖国を任せるわけにはいかない」と声を張り上げていた。その時の情景までが一緒に蘇ってくる。
インドネシアの国民的な愛唱歌に(緑なす椰子の木)という美しい曲がある。この曲には、「我が祖国、肥沃な大地、豊かに栄えよ」という一節があって、麗しいこの国の景観にぴったりと溶け込んでいる。インドネシアの人たちは小学校に入るか入らないかという頃から、この曲を歌いながら先祖伝来の自然の恵みに感謝し、この土地に生を受けたことを誇りに思う心情を育んでいるのであろう。人工的な豊かさに慣れ過ぎてしまった人間にとっては、うらやましさすら感じるところだ。
ショッピングモールの登場が象徴するようにすっかり消費スタイルが変わってしまった今のインドネシアでは、いかに国内が混乱しようと、バンコク・パパイヤに目くじらを立てる人はもう現れることはないだろう。
しかし、かつては過酷な強制栽培制度でオランダの財政の3割以上を支えたとも言われたインドネシアの豊穣な大地である。祖国愛にあふれたインドネシア人にとっては、主食のコメや砂糖まで輸入せざるを得ない状況を見せつけられると、ため息だけではなく憤まんの声が上がるのも仕方ないかもしれない。 (了)