#57 東京展監督ブログ『「AWAY」の日』
2018.02.27 23:06
選手の皆さん、お疲れ様です〜🥇🎖🏅
おめでたい出来事ばかりでハッピーな4号です( ◠‿◠ )
本日は「AWAY」と「たからものばこ」の2本立て上映です!!
1日に2本も観ることができるなんてハッピーですね!
「AWAY」の監督も「たからものばこ」の監督も
いっぱい書いてくれて内容が濃いのでブログも分けて紹介します。
まず今回は、「AWAY」監督のタケウチくんからです!どうぞ🔻
🚅『AWAY』のタケウチ監督🚄
Making “Ex”cuse タケウチユーイチ
みなさんこんにちは。僕の事を知らない人は初めまして。
映画学科制作コースのタケウチといいます。
この四年間大学で、或いはそこから遠く離れた場所で、沢山の方達といろんな渦中にいました。
【画像1 FUGAの撮影現場にて。寝癖。】
これを書いているのは2月の23日。
一回目の卒展(京都展)が終わって、明日から東京展というタイミングで、「ブログに載せるから、何か好きに書いて」と言われて、これを書いています。
まず、京都展の振り返りをするにあたって、迷惑をかけてしまった沢山の友達、そして上映を支え応援してくれたすべての方々に、”ごめんなさい”と”ありがとう”を強く言わせてください。この四年間―とりわけここ数か月は―ただひたすら自分の頼りなさと放漫さを感じ続けた期間でもありました。これから書く2つの作品は、周囲のサポート無しには日の目を見なかった事をここでも―繰り返しになりますが―強調しておきます。
最近よく、「なんで監督名が(本名の竹内祐一じゃなく)”タケウチユーイチ”表記なの?」と聞かれます。その度に「カッコつけたいから」とか「特に意味は無いよ」とか、なんとなくデタラメばかり言ってやり過ごしてきましたが、今の感情に準じていえば、『自分以外の自分に会いたい』というのがひとつの答えなのかもしれません。
自分が監督した作品を改めて見ると、自分が考えたアイデアなくせに発見があったり、作品間で図らずとも関連性があったり、とにかく自分というものに対して不思議な蜃気楼を見るような感覚に陥ることがあります。”それ”は間違いなく自分からのメッセージであり、時には他者への本音や戒めでもあったりするのですが、そのいずれも発信元とはちょっとした距離を感じてしまうのです。そのズレを個人的にも楽しみにしたくて、また周囲とも客観的に共有したくて、わざと《自分では無いジブン》という意味でこの表記にしています。まぁ、そう言い訳している時点で前の二つの理由もあながち間違いでは無いのかもしれませんが。
語り尽くせない冒険―自主制作特撮ドラマFUGA-フーガ-
【画像2 自主制作特撮ドラマFUGA メインキャストの仲間達】
そんな中でも 「FUGA」は自分の学生生活最大の作品であり、最高の冒険でした。今やその全てを語り尽くすのは不可能に近いですが、自分のやりたかった事をありったけぶち込んで、そしてそれを確認する創作活動としては最高に有意義なものでした。
企画の時点で気を付けた事はたった1つ―これは映画を作るんじゃない、ということ。ただそれだけ。
計5本のお話を複数の監督と脚本とカメラマンで撮って、(単なるオムニバスという意味ではなく)1つの活劇を作り上げていく。それも「特撮」というジャンルで。
最初は30分×複数本撮ることすら「大丈夫なの?」と心配され、その不信感は完成して上映する直前まで常にどこかしらに漂っていました。確かに完成するには時間をかけ過ぎましたが、それでも、(長編)映画の現場では決して生まれ得ない大切なものを制作過程の中で何度も見ました。
悲しいかな、ウチの大学では特撮というジャンルに関心を持つ大人が少なく、そういう環境もそれ程恵まれていなかったので、企画を具体化させていくだけでもそこそこのカロリーを費やしました。「総監督」っていうあまり聞きなれないポストを背負ったのも、この企画の立ち位置をスタッフやキャストと常に共有する必要があると考えたからなんです。
タイトルに「自主制作特撮」という表現をしてしまっているせいで一部の方に誤解を与えてしまっているのですが、「特撮」といってもいろんな解釈があります。とりわけ他大学やその手の業界を覗くと、クオリティの高い自主制作特撮(怪獣)映画はたくさん作られており、今日現在、僕らは検索さえすればその多くを見れる豊かな環境にあるといっていいでしょう。でも、「FUGA」だけはそういう群の一部にはしたくなかった。もっともっと追及できる部分があると思っていたし、それ以前に、僕らだからこそこだわれる大切な要素を企画当初から見出していました。
その核たる部分はキャストの皆さんにありました。
巨大怪獣や魅力的なスーパーヒーローよりも(もちろんそのどちらも登場させていますが)、ずっと魅力的な俳優が勢ぞろいしているのに、それを活かさないのはキャスティングの時点から既にあり得ない手だったのです。だから「特撮」と一口にいっても、ハードで人間的で、でもバラエティーとエンタメに富んだ”SFドラマ”を目指すことにしたのでした。その決断は一瞬でした。
ですから、リアルな巨大生物とか、地球最後の日とか、そういう類のものを期待していた人は本当にごめんなさい。でもそういう素晴らしい作品が既にたくさんある中で、「FUGAみたいなのはちょっと他に見つからないな」というのを目指したかったんです。「言葉の壁」や「異星人との共存」というテーマにはじまり、回を追うごとに(或いは回を跨いで)展開される強いメッセージの数々を、地球人目線で見て、感じて、考えてもらいたかったんです。
かく言う僕自身も、それを常に考えて現場に立っていましたし、各監督や脚本家、そして俳優とは、このことについてたくさんのクリエティブな時間を共にしました。
【画像3 FUGA。本当に多くの素晴らしいスタッフ・キャストに助けられました】
撮了から完パケまでに、結果大きなタイムラグが生じてしまっただけに、先に書いたような《自分とジブンとの乖離》を余計に感じた仕上げ作業でしたが、自主制作という粋においてウチの大学では最大規模、そしてトータル尺にすると歴代最長という超大作になったこの「FUGA」を生み出せたことは、僕にとって間違いなくこの四年間で一番の誇りです。
この作品がこれからも色んな方面に影響を与えていければいいなと思っていますし、もっとたくさんの人にみてもらいたいなという願いは強くなっていく一方です。
RIFAのみんな、そしてこの無謀と言われたプロジェクトに愛情を込めて携わってくれたすべての人に、改めて、ありがとうと言わせてください。
“卒制”とは何だったのか―卒業制作「AWAY」-
【画像4 AWAYのワンシーン】
誤解や反発を恐れず単刀直入に言うと、『役者は監督するな』というのが僕の考えるポリシーの1つなんですが、卒業制作「AWAY」は皮肉にもその考えを裏切ることは無くスタートしていきました。
撮影前も、その途中も、そしてその後も、とにかく、いろんな事がありました。はっきり言ってこんなに苦しく、こんなに愛を感じない現場ははじめてでした。
「企画者が抜けて監督がいなくなって、タケウチが監督に代わって~」という経緯を説明するたびにため息を漏らす人がいますが、少なくとも今の僕にとっては、このことこそがこの作品にとって一番重要な出来事だと考えています。
先日の合評でも、これから出版される卒展の図録にも、隠さず堂々とそのことを語ってきました。その度に「見る側には関係ないんだからそういう説明は余計」とか「大変でしたアピールはやめて欲しい」という声が出ましたが、最近ではなおさらこういった現実が、僕にとって卒業制作というものに対する考えを見つめるきっかけになっているのです。
確かに、監督交代なんて完成した作品単体にとっては関係ない話です。ちゃんと作品を見て下さっている人にとっては、その情報の有無で作品の評価が大きく変わることはないでしょう。でも、話の次元が「作品」ではなく「卒業制作」になった場合、撮影のウラにあった混沌としていた事情は、説明しない訳にはいかないのです。監督として。一人のスタッフとして。
別に被害者面をするつもりは全くありません。個人的に悔しいのは、監督という立場として、そういった事態からの打開が、完璧に果たせなかった事です。きっとそういう事情は他の部署の人達も個々に感じているでしょう。そういった後悔や自責全て含めた上で、今回の「卒業制作」だと僕は強く感じているのです。
ですからああいう批判が物語っているように万人に分かる解説では無いとしても、この事実は組にいる僕らの中でちゃんと記して残していく価値があるものだと信じています。この後悔を忘れないために。これからに向けての宣誓みたいなものです。
【画像5 撮影中のヒトコマ。あくまでもイメージです】
「作品」の話をしましょう。これは偶然にも、主人公の名前が僕と同じユーイチ(字は本名と違って雄一)だったので、キャラクター設定のからくりとして、自分をたくさん反映させたりしました。虫嫌いなところとか、アッケラカンとしていい加減なところとか……。皆さんが雄一を見て感じた事の殆どは、僕に由来しているといってもきっと過言ではないです(ホントかな???)。
そういう演出をする際にも感じたのは、やっぱり《自分との乖離》でした。この際《雄一とユーイチと祐一》という三人の人物が出てきて話がややこしくなりそうなので詳細は割愛しますが(笑)、監督として、架空の雄一という人物と向き合えたことは個人的にもちょっと面白い経験でした。
シナリオに関しては、プロットがあらかじめしっかり決められていたため大きい人物の動きは変えられなかったものの、大体は割と好きに書かせてもらいました。その時原作には無かったキャラクター、アリサをヒロインとして加えたことも、作品にとっては大きなスパイスになったと思います。出番こそ少ないものの、「ごめんな」と謝る雄一に対してアリサが「”また”なんて無いから!」と叫ぶシーンで、二度と来ない4回生の夏の制作現場にいる自分に対しても言われたような、そんなムズムズした感覚がするのは果たして最初から意図したねらいだったのかどうかは、今ではこの僕でも思い出せません。
「街は人を変える」というセリフは、かつてそういう気持ちに翻弄された人たちへのメッセージでだけでなく、これから大学を出てどこか別の街へ行ってしまうであろうこれからの僕たちの状況も指しています。「AWAY」という英単語には逃げるという意味がありますが、他の熟語との組み合わせによっては、何かを「失って」「超越していく」意味にも変えることができます。卒業した我々が、今後何と組み合わされるかはまだまだ未知数ですが、このタイトルにシンパシーを感じた人はきっと少なくないはずです。映画の結末はここでは触れないでおきますが、走って走っていろんなものを追いかけた、その直後の雄一達の表情に、きっとこの作品が語るべき全てがあるのだと思います。
【画像6 AWAYのロケ現場にて】
ネガティブな事情が重なったこともあって、僕自身、これまでこの作品に対して多くを語ってきませんでしたが、制作から完成、そして上映に至るまで全てが価値ある体験でしたし、今では作品に対する愛情もたくさん感じています。それは最後まで一緒になってやってくれたスタッフやキャストに恵まれたおかげであり、みんなは未熟で頼りないが過ぎる僕に、これから目指すべき監督とは何かを明確に示してくれました。
この作品「AWAY」は早速京都を飛び出して、東京で上映されます。2月28日。2月はその体感速度からよく「に(2)げる月」と比喩されますが、そんな早すぎる2月の終わりに、いろんな意味で逃げる形を描いたこの作品と向き合ってみませんか。 僕もその日、東京へ行きたいと思います。
そして作品は「未完成」へ
もともと映画が作りたくて、映画が好きで飛び込んだこの環境下で、ただひたすら走ってもがいて(たまには遊んだりもしながら、いやしょっちゅうか?)、いま、こうして足跡を顧みてみると、……やっぱり自分が好きなのは映画じゃなかったんだな、というのが正直な感想です。確かに今でも映画は自分を滾らせるものの1つだし、これからもそういう世界でしか息が出来ない人になっていくんだろうと思うし、そういう人でありたいとも思うのですが、それよりも重要なのは、この四年間で映画よりも大切で愛すべきものをたくさん見つけることが出来たことだと、少なくとも今はそう思えるのです。表現者をやってきたくせにまともに説明できないのがなんとももどかしいですが、きっと本当に面白い事とか、本当に素晴らしいものって、言葉で伝える事は(もしかしたらどんな上手い映画でも)、不可能なんです。言い切っちゃいましたが。
【画像7 FUGAのセットで。真ん中にいるのはスターレイザー。僕の子供の頃からの落書きに、命が吹き込まれました】
大学に入ってすぐ、僕らは先生にこう教えられました。「映画は観客に見てもらって完成する」と。はじめはなるほどなと思って疑いもしませんでしたが、今ではちょっと間違っているんじゃないかと考えるようになりました。
小学生でも分かるレベルの話ですが、上映された僕の作品に対する周りの評価はいつもどれも人それぞれ、多種多様です。面白いといってくださる方もいれば、「幼稚すぎる」といって一蹴する人もいます。それは当たり前の現象です。そうあるべきです。
ただそれらの反応が自分の意図や目的、期待していた反応ではなかった時(そのギャップが大きいと大きいほど)、「作品」にとってはひとつの役目を果たしたのだろうけど、作者である自分にとっては、完成したというより、「誤解された」という気持ちの方が大きくなってしまって、どうも歯がゆい、やるせない気分になるのです。万人受けするなんてあり得ないと最初から分かっていたはずなのに、伝えた文字が間違ったまま連鎖していく伝言ゲームのように、なにやら取り返しのつかない罪悪感さえ覚えてしまうのです。毎回。
そういうプロセス全体をひっくるめて、《完成》なんだ。と言われれば―なんとも聞こえは芸術的なので―なんとなく納得はできそうなのですが、果たしてどうでしょう。上映後余計な話を”トークショー”と題して喋りこんだり、先生や観客の反応を伺って、挙句の果てには「合評版」だの「卒展版」だのと尺や編集を変えて作品を矯正していく。これって、作品に対して一体何が起きてるのでしょう?そして監督をはじめとする作者たちはどう捉えてるのでしょう捉えるべきなんでしょう?
もしかしたら作品を「完成させよう」と頑張る姿勢が間違っているのかもしれないし、それは結果的に未完成と表裏一体の関係にあるべきなのかもしれません。
そんなことをぼーっと考えてるうちに、気づけばここもそろそろ出ないといけない季節になりました。
そもそも映画なんて学校で学ぶものではなかったはずなので、こういう事をしっかり考える機会と時間が自分に与えられていたという事を考えると、やはり贅沢で恵まれた四年間だったんだな、とつくづく思います。
……長く語りすぎました。ここまで読んでくれた人は果たしているのでしょうか?長々と、どうも失礼しました 。そういえば先日の合評のアンケートに、とある先生に「竹内喋りすぎ!!!」って書かれちゃいました(笑)。多分、おしゃべりなのはタケウチの方だと思うのですが、これってひょっとして単なる願望に過ぎませんか? ―まぁ、今となってはそんなのどっちでも同じ事なんですけどね。
ありがとうございました。
タケウチユーイチ
上映スケジュール
◯渋谷 ユーロスペースにて
2018年2月24日(土)〜3月2日(金)
※映画学科の上映は2月26日(月)からです。
他の作品の予約はこちらから→http://www.eurospace.co.jp/