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まだ語られていない物語は何ですか

まだ語られていない物語は何ですか

2018.03.08 11:00

私はまちづくりや市民活動系の会議などの進行を仰せつかることが多いのですが、同じパターンの違和感が続きました。言葉にすればこんな感じです。

 

今ここで本当に語られるべきことが、語られていない気がする。


そんな思いでモヤモヤとしていたのですが、それが起こる場にいくつかのパターンがあることがわかりました。ひとつはこれです。


言葉にビックリマークがついている。


たとえば、「理想の未来について考えよう!」「あなたもまちづくりの主役になろう!」「ビジョン!ミッションをつくろう!」「価値を探求しよう!」


なにかニオうんですよね。

言葉そのものがダメわけじゃないんです。

その言葉の言われ方の問題ですね。


たとえば「まちづくり!!!」は、私が大切にしたい意味とは異なる意味で使われていることがあります。包摂ではなく、排除の論理で語られているとか。ああ、結局、“勝ち組”の人たち、一部のキラキラした人たちだけが主役の場なのね、みたいな。


なんか私のウジウジのこじらせがはんぱねえ感じ

になってきましたが、


私自身、参加者として、ビックリマーク付きの言葉ばかりが聴かれる場では、危険を感じてしまい本当に話したいことが奥に引っ込んでしまうことがあるんです。「ここでは本音を話せないな」。


もしかすると、そのような思いをする人が、私が進行する場の中にいるのだと、私はどこかで察知することがあり、それが違和感の原因のようです。


ああ、やだなあ。



その違和感から逆に考えてみると、私がつくりたい場のイメージが浮かび上がってきそうです。


私は、どんな人が、本当に語りたいことを語れる場をつくりたいのだろう。


考えてみました。それは、

「実は、繊細で傷つきやすい人」です。


わかりやすく傷ついてはいないのだけれど、心のモヤモヤはある。

でも、飲み込めてしまうんです。テレビに映る、すごく大変な思いをしている人と比べれば、まだ自分はマシだと思えるし、

目の前の現実を、なんとかしのいで生きていて、だから自分の理想や未来について本音を語れるほどヒマじゃないんです。

だって今週は納期ギリギリなのにトラブル続きだし、めんどうな上司を構わなくてはいけないし、帰れば家庭内の問題だってあるんです。



うん、「実は、繊細で傷つきやすい人」


私によると「実は」というのがミソで、

そういう人たちって、「押し付けがましくない、優しい物語」が描ける人だと、思うんです。


そういう物語は、喜悲劇みたいにドラマチックなものではないんです。


繰り返される少しけだるい日常の中にあって。


秦基博の「やわらかな午後に遅い朝食を」という詩での描写を借りれば、


自分が変われないでいたことを、崩れがちだった空のせいにしたり、


飲みかけのままのコーヒーを飲んで、その後味の中に自分の臆病さを感じたりするのですが


テーブルに落ちた午後の日差しは、手のひらでそっとふれると、あたたかくて 
冷めてしまった 僕の情熱を温めるには
それだけで十分な気がした

このくらいの変化の早さを持っている、物語。

全然、押し付けがない。私はそういうのが好きです。



そして、それ以上に大切なのことに気づきました。

私は、皆が自分の語りたい物語を語れる社会に生きていたいのかも。


私は、とても傷つきやすい人が描く「とても優しい物語」も聴きたいです。でも、そういう人が語る物語って、実は既に語られていて、パワフルだったりしませんか。もちろん本人が周りに伝えられていればですが。


一方で、「実は、傷つきやすい人」たちの物語は十分に聴かれていない気がするんです。


ほのかにやさしい物語が、わかりやすくてドラマチックな物語に、席を譲っていませんか。

ぼんやりと揺れ動く蝋燭の灯火が、ギラギラに明るいLEDライトに負けてしまって見えないみたいな。「しっぽり感」皆無みたいな。


少なくとも私は、自分の中でそんなことがあるので、私の場づくりとしては、後者の物語が存在していることをちゃんと意識したいです。



そういう人って、いるんだと思うんです。潜在的には。

潜在的には、というのは、「本当のところ、傷つきやすい自分」を持っている人って、少なからずいると思うんです。


おそらく、私が見ようとしていなかっただけ。きっと何人も目の前にしてきたし、今一緒にプロジェクトを進めていただいている人も、そうかも。

私と話している時はビックリマーク付きで語り、その後に家に帰ったら、実は少し傷ついている自分が出てきているのかもしれない。 


ちょっと、反省して、今日から、そういう視点を持ってますから、そのチャンネルでお話してくれる人はぜひお話できたら、嬉しいです。


これからは、必要な時にこんな風に投げかけられればよいのでしょうか。


ーーー


今ここで、本当は語られたいのに、語られないままに、誰かの旨の奥にしまわれている大切なお話がある気が、私はしています。

よかったら、皆でそれがこの場で語られ始めるために、皆で待つ時間をつくりたいのですが、いかがでしょうか。


そうしたら、今から--分くらい時間をつくるので、もし心当たりがあるという人は、もしよかったら、ご自分が始めたいときに、好きな声の大きさで、話したい人と、大切なお話を始めてかまいません。


もし始まったら、その時間を皆で優しく見守りませんか。しばらく経っても、出てこなかったら、私の気のせいか、「今じゃなかった」ってことなんだと思います。


ーーー


ちなみに、語られていない物語は、熱燗と瓶ビールの前で明かされるのが多いことを私は経験的に知っています。


居酒屋街…あらゆる人たちが立場の貴賎を問わず、人間と人間として、提灯のあかりの下で語り、物語が交差しては過ぎ去っていくそのさまは、私の中でなにか「実は大切なこと」が大切にできる場を象徴していると感じます。


この前、赤羽で、しとしと雨が降る中で、独りでとぼとぼと飲んだ時の写真。