底知れぬ面白さ、時間SFコーナー
こんにちは。
連休と台風にもみくちゃにされながら9月が終わろうとしています。ついさっき、8月が終わろうとしている、と書いた気もしますし、時の流れは早いものですね。
さて今回は、ポラン堂古書店開店当初からございました「時間SF」の棚の紹介でございます。
皆さま、『ドラえもん』やら『時をかける少女』やら、タイムトラベル、タイムループが存在する作品を味わったことはどれくらいございますでしょうか。近頃だと『東京リベンジャーズ』が大流行しましたし、私が二十年以上愛する『ONE PIECE』にすらタイムトラベルの概念が現れたのはたいへん昂奮したものでした。
予想外のところからスケールが現れて、一気に物語を発展させるその要素は、創作物が積み重ねてきた歴史の中でも大発明と言えるでしょう。
勿論小説媒体にしぼっても有名作は多く、このブログの猫コーナー特集で紹介した『夏への扉』もその一つです。
そんな時間SFを集めた棚を見たら、どれか一つは持って帰りたいと思ってしまうと思います。
今回はそんな時間SFから、3選を紹介します。
ただ考え抜いて選りすぐった為、ポラン堂古書店さんにない作品も混ぜてしまいました。
いずれにしても、どうか手に取るきっかけにしていただければと思います。
森見登美彦『四畳半タイムマシーンブルース』
9/30からアニメ映画として劇場公開予定ということもあり、まずこちらをご紹介です。
2011年に初演された劇団・ヨーロッパ企画の上田誠さん脚本の舞台「サマータイムマシン・ブルース」を、森見登美彦さんが『四畳半神話大系』(2005年刊行)の世界観に落とし込み、小説化した一冊です。しかもそれをアニメ映画化するとなると、脚本は上田誠さんとなるわけですから、もうどっちが作ったんだかという話ですが、小説として読めばやはり森見登美彦さんの作品と言えましょう。
京都の大学生である「私」の下宿生活三度目の夏、8月12日とその前日、8月11日をめぐるスケールが小さいんだか大きいんだかわからない時間SFとなります。
主人公「私」は極暑の中、自室で腐れ縁の友人・小津と向かい合っています。極暑の原因はクーラーのリモコンが、昨日小津がコーラをこぼしてしまったことにより臨終してしまったこと。古すぎるがゆえに修理は難しく、何故か本体に操作ボタンはなく、まだ長い夏をクーラーなしで過ごさなければならないという絶望に「私」は苛まれていました。
そんな中、目の前に現れた「タイムマシン」。ドラえもんの秘密道具を思わせる、畳一枚に座席と操作パネルのあるデザインです。「私」は昨日に戻ってクーラーのリモコンを救い出すことを思いつき、小津ら下宿仲間たちはその使命をもって昨日に旅立ちます。しかし、「私」と後輩女子・明石さんはそのように過去を変えれば、今の自分たちも変わってしまうという危機に気付くのです。「私」と明石さんは小津たちを追いかけて昨日へ行き、もうすでに事を起こしてしまっている状況を何とか正そうとするのですが……。
今日と昨日という二日間、しかもクーラーのリモコンをめぐる、となれば、いかにも小規模のできごとに思えますがなかなかちゃんと冒険で、冒頭にあった「リモコンのお通夜」も壮大な背景が見えることでやがて感慨深いものになります。散りばめられていた伏線が回収され、からまった糸がほどけるように「明日」へ伸びるラストはとっても気持ちよく、時間SFの醍醐味がたくさん味わえます。
また『四畳半神話大系』でおなじみのキャラクターの活躍はファンにも嬉しく、それどころか少し、彼らの未来の一端を見ることができるので前作のファンとして幸せな作品でした。
高畑京一郎『タイム・リープ』
この作品こそポラン堂古書店に(今のところ)並んでいない作品です。
現在絶版でございまして、来る10月25日に新装版が発売予定ということでございます。各販売サイトには〔上巻〕〔下巻〕の表紙も既に公開されており、今風の綺麗なイラストで、ついに若松くんのビジュアルが描かれてしまうとなると、どきどきするやら勿体ないやらでございます。(やはり新装版でも上下巻に分かれてしまうことは少し残念なんですが)
私の手元には古本屋めぐりで手に入れた、主婦の友社からの1995年に刊行された単行本版のハードカバーが初版であるわけですけれど、それは手放せない一冊です。
前置きが長くなりましたが、この作品は高校二年生の平凡な少女・鹿島翔香がタイムリープを繰り返す一週間を描いた作品です。
クラスメイトとは言えそれほど親しくはないはずの若松和彦と、来た覚えのない彼の部屋でキスをし、驚いて逃げ、階段から滑り落ちて、物語は開幕します。
変な夢を見たな、と自宅のベッドで朝を迎え、休み明けの気持ちで学校に向かいますが、月曜日と思いきや火曜日。翔香は自分に月曜日の記憶がないことに気付きます。日記を見ると、自分の筆跡で覚えのない文章があり、そこには「若松くんに相談しなさい」と書いてあるのです。
水曜日の昼休み、若松に月曜日の記憶がないことを相談しますが、もちろんまともに取り合ってもらえません。しかし、また意識が飛び、自室のベッドで目を覚ますと木曜の朝。時間が飛んでいることに混乱しながら登校すると、今度は若松のほうから話しかけてくるのです。「やあ、鹿島。いつから来た?」と。
章タイトルには火曜→水曜→木曜→水曜→金曜→木曜→月曜というふうに彼女の道筋が示唆されており、彼女の意識だけのタイムトラベルは最初飛ばし飛ばし、徐々に空白が埋まっていくという形式をとります。順序にも仕組みがありますが、その仕組みを解き明かし、全身全霊で協力してくれる天才イケメンこそ若松和彦。最初は絵に描いたような気障なイケメンですが、曜日を進めるごとに親身で、どんどん頼れるイケメンになるのできゅんきゅんすること必至です。
何よりパズルとして何一つ無駄なく完成されたプロットがすばらしい。新装版とはいえ、何一つ書き下ろしはないでしょう。無くていい。
何度読み返しても面白い作品です。ぜひぜひ読んでください。
クレア・ノース『ハリー・オーガスト、15回目の人生』
またクレア・ノースの話をしてやがるこいつ、と思っていただけるなら光栄でございます。イギリスの作家であり、実はヤングアダルト作品の作家として別名義で活動していたのですが、全く異なる作風となる『ハリー・オーガスト、15回目の人生』を出版するため、クレア・ノースという名義が生まれたのでした。
このブログでは先日の「幽霊小説特集」でクレア・ノースの二作目『接触』を取り上げましたが、とにかく、スケールの大きい作品を書ききる、ものすごい筆力を持った作家さんです。
ハリー・オーガストは1919年、汽車の婦人用洗面所の中で、母の死と共に誕生します。孤児として生まれた彼はオーガスト夫妻の養子となり、第二次世界大戦に徴兵され、結婚したものの妻とは別れ、ベルリンの壁が崩壊する1989年に癌で亡くなるのですが、そこから記憶をそのままに二回目の人生が1919年の汽車の中で産声を上げるのです。二回目の人生は戸惑いと狂気に苛まれ、精神病院に送られた後、窓から飛び降りて自殺。そして、実年齢の100歳を越えていく三回目の人生が始まります(『接触』のときの書き方に倣って言うと、ここでまだ10頁くらいです)。
時間SFというと、矛盾を生まないよう緻密なプロットを求められるジャンルの為、上記の2冊が「2日間」「1週間」であるように、枠自体は小さくまとまることが多い(しかし面白いのだから良い)のが実際です。他にも回数や行動制限、何々は変えてはならない、など制限が敷かれてあり、作り手側の創意工夫が多々見られます。
だからこそクレア・ノースの書く、1919年に生まれた男の十五回の人生の規模がいかに特大かという驚きが伝わりますでしょうか。まず1919年から始まるのだから、歴史で知られるように戦争や、多くの有名事件が起きた世界を舞台にしていること、欧州、アメリカ、ロシアなどと生きていく場所も変わり、宗教、経済、科学など所属する立場も毎回の人生で変わること、そういったスケールを書ける知識と、常人とは思えない執筆の胆力がこの作品の凄まじさです。
さらにこの物語は、ある男との数百年にわたる壮大な対決が縦軸となっています。
その男もまた主人公と同じく記憶をそのまま人生をループする能力を持っています。六回目の人生で博士号をとり、ケンブリッジ大学の専任講師だったハリーは学生の彼・ヴィンセントに出会います。それからの数回の人生、何度となく邂逅し親密な関係を築く中で彼が同じ能力を持っていることに気付きます。数百年の知能をもって世界に急速な技術革新をさせるヴィンセントと、彼を止めるのは自分しかいないと悟るハリー、超人同士の特大スケールでありながら緻密で緊張感のある駆け引きが、この作品を最高のエンタメにしていくのです。
これを、私は君に宛てて書いている。
わが敵。
わが友。
もうわかっているだろう。
君の負けだ。
これが私を惹きつけた一頁目の文章でした。
以降も何度も作中に登場する「君」という言葉。その親しげな呼びかけが、何重にも意味を持っていて素晴らしいのです。
以上でございます。
本当に楽しい作品にあふれている、時間SF。
例えば、タイムトラベルとタイムループに分けて特集すべきかとも思ったのですが、現在創作されるそれらは、一つ一つがたくさんの発明に満ち溢れていて、その二つに分けたところで正しくないような気もします。
伏線とその回収をパズルのように組み合わせたものもあれば、過去現在未来にさらに奥行をもたせ、スケールを大きくしたものもあり、楽しみ方もそれぞれです。
興味があると思っていただけた方は、ぜひ、ポラン堂古書店、もしくはお近くの書店から探してみてくださいませ。