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会員情報 矢島純一氏がyahooニュースに掲載

2022.09.25 05:39

77歳、闘い続けるボウリング中日杯東海オープン52年前の初代王者・矢島純一の「限りなき前進」【記者の目】

9/24(土) 11:32配信 中日スポーツ


52年前の東海オープン初代王者・矢島純一。77歳の今も闘い続ける

 教科書のような無駄のないフォームから繰り出されるボールが、10本のピンを面白いようにはじき飛ばす。改めて生年月日を確かめると「1945年8月14日」。終戦前日に生まれた77歳の年齢が信じられない投球だった。

 22日に開幕したボウリングの中日杯東海オープン(名古屋市千種区の星ヶ丘ボウル)。初のボウリング取材で、少年時代に見たテレビ番組「ザ・スターボウリング」(テレビ東京系)に出演していたレジェンド“ビッグ・ジュン”矢島純一(中野サンプラザ)のプレーにひきつけられた。

 永久シードを持つ矢島は、この日の予選から出場し、前半5ゲーム1114点は予選参加210人の26番目。この日のハイスコア268をマークした4ゲーム目は1フレームこそスペアだったが、2フレームから8連続ストライクでスコアを伸ばした。

 プレー終了後に話を聞くと「そこそこレーンコンディションがつかめて、自分としてはまあまあでしたね。(4ゲームは)左右のレーンで同じように投げられたので、良いゲームができるかな、250、60いけばいいかなと思っていました」と聞き覚えのある明るい声で振り返った。4月には自身のインスタライブで300点のパーフェクトゲームを配信した矢島にとって、このスコアは別に驚くものではない。

 1967年、19人で日本プロボウリング協会を設立した1期生。雨後のたけのこのように建設されたボウリング場とともに日本中を席巻したブームの中、70年にスタートした日本最古のオープントーナメント「東海オープン」初代王者は当時25歳の矢島だった。

 新型コロナウイルス禍で3年ぶりの開催となった大会。「(初代王者は)52年前ですか。月日のたつのは早いですね」と振り返り、「トーナメントが少なくなっていることは寂しいですが、この時期にこれだけの準備をして開催をしていただく各センター、スポンサーの努力は大変だと思うんです」と、選手として感謝の思いを口にする。

 男子のルーキーは60期になった。後輩たちと闘い続ける1期生は「投げられなくなったら終わりですから。自分に課す使命として、あとどのくらいできるのだろうかと、そこがモチベーションを引き上げていく要因になっている。身体が動く限り投げようと思っています」と決意を語り、日米のファンをうならせたオーソドックスな投球を貫く理由を聞くと「われわれの年代はほとんどがオーソドックスでスタートしたから。タイミング変えようと勉強はしているけど、最初に覚えたタイミングってなかなか変えることができない。僕は僕なりに精いっぱいベストを尽くして頑張るだけです」と笑みを浮かべる。

 24日の予選後半、準々決勝を経て、25日の準決勝に進出する36人に残らなければ1円の賞金も獲得できない厳しい世界。「ぜひ予選を通過したいですね」。そう言って立ち去った背中から、座右の銘「限りなき前進」に込めた思いを感じた。(佐藤芳雄)