自然に還ってもう一度生まれる
一指 李承憲さんの最近のツイート
自然は急ぎません。ただ人だけがあたふたと動き回ります。
天地がこのように永らく存在する理由は太陽と月が自分の軌道を守りながら時になればきちんと昇り沈むからです。
人間にも自分だけの人生の軌道があります。
人と比べず自ら選択した人生の軌道を誠実に守る中に悟りがあります。
OSHO Japanese·
ふたつの極がある。ひとつはスピードだ。そうなるとあなたは陶酔し、無意識になる。
もうひとつは無スピードーー完璧に、完全に減速した、 絶対的な休止。
不意にあなたは光明を得る。これが、理解されるべき最初のことだーー
あなたのスピードを落とすこと。ゆっくりと食べ、ゆっくりと歩き、ゆっくりと話し、
とてもとてもゆっくりと動きなさい。
しだいしだいにあなたは、不活動の美、受動の美を知るようになるだろう。
そのときあなたは陶酔してはいない、あなたは完全に目覚め、気づいている。Osho
OSHO Japanese
どこにいても、あなたは独りだ。あなたは群衆の中にいるかもしれない、山奥にいるかもしれない。どちらも違いはない、あなたは同じ注意深さで見つめる。
群衆の中では、あなたは群衆を見て、山奥では、あなたは山を見る。
目を開いて、あなたは存在を見る。目を閉じて、あなたは自分自身を見る。 Osho
Facebook新田 修功さん投稿記事 花になりなさい……⁉️🌸🌼🌹
おはようございます🤗💕 賢者の一言 OSHO
花を見るときは、その花になりなさい。花の周りを踊り、歌を歌いなさい。
風は涼しくてすがすがしく、太陽は暖かく、そして花は真っ盛りだ。
花は風の中で踊り、喜び、歌を歌い、ハレルヤを歌っている。
そこに参加しなさい ‼️
………………………………✨✨✨
朝夕の秋風が優しく頬を撫で、私の薄くなった髪の毛をなびかせます🤣
花も微笑みかけてくれているようです🌷
曇り空の合間に青空が顔をのぞかせて、
こちらに手を振っているように感じます。
さぁ、今日も微笑みながら人生に参加しましょう🏃♀️
素敵な1日になりますように🙏💕✨😊
今日も読んでくれてありがとう🙏😊💕
Facebook竹元 久了さん投稿記事 🔵最も根源的な「再生・循環」という観念
「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、縄文人の「再生・循環」の観念は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つ。
●死を遠ざけなかった縄文人の生き方
現在、私たちが持っている死のイメージと、縄文の人々のそれとは、まったく違うものだったと、山田さんは言います。
「現代では死は忌み嫌われているイメージがありますが、縄文人にとって死はもっと身近でした。この時代は、集落の中央にある広場にお墓を作ったり、家の中に埋葬したりすることが多くありました。広場や家に遺体をしばらく置いていた例も見られます。つまり、彼らは死や死者を恐れていなかったのです」。
その根底にあるのが、「生命は再生する」「生命は自然の中を循環していく」という、「再生・循環」の観念です。
「現代では、死は自分がこの世からいなくなる"消滅"や"無"のイメージを持つ人が多いですが、縄文人にとって、死は『自然に還ってもう一度生まれる』ための出来事でした」。
この時代の「生」の象徴といえば、生命を生み出す出産に関するものが多く挙げられます。
「土器や土偶がたくさん作られましたが、出産に関するデザインが多いんですね。土偶はおなかや腰のあたりが膨らんだだものがよく見られますが、これは妊婦をかたどったものだといわれています。
また、土器には、赤ちゃんの顔のようなものが装飾されていたり、出産時の光景を表したようなデザインもあります。土器の中に赤ちゃんや、時には成人の遺骨を入れる『土器棺墓(どきかんぼ)』という埋葬方法がありますが、これは、土器を母体に見立て、もう一度生まれ変わることを願ったといわれているんですよ。お墓の副葬品として、遺体と一緒に土偶が埋められていた例もあります」。
●全てに宿る魂は自然の中で生き続ける
縄文時代には、生物だけでなく、この世に存在する全てのものに魂(アニマ)が宿るという思想「アニミズム」がありました。縄文の人々は、常に周辺にさまざまな生命や魂を感じながら、生活していたことになります。こんな考えから「土器棺墓(どきかんぼ)」には、動物の頭や木の実などが入っていたこともあるそうです。
そんな生活において、人の死もまた、自然界に起こり得る当たり前のことの一つでした。「縄文の人々にとっても死への不安や恐怖は当然あったと思います。でも、人は死んだらいなくなるのではなく、風となり、鳥となり、星となり、自然に還って存在し続け、やがて再生する。そう考えることは、彼らにとって『心の処方箋』として機能していたと考えています」。
●再生・循環を思えばもっと豊かな人生に
縄文の人々は、私たちと同じように見たり、感じたりできるホモ・サピエンス(現生人類)でした。山田さんいわく、日本人の精神や考え方などの基盤がここにあるのだそうです。最近は、自分の遺骨を山や海に散骨する「自然葬」を希望する人も増えていますが、これも「生命は自然に還って再生する」という縄文時代の思想が、いまも私たちの心の中に脈々と受け継がれているからでは、と山田さん。
「縄文時代の死生観は、人類史から見ても最も根源的な観念の一つです。現代は科学文明が発達したにもかかわらず、経済や環境、家庭や仕事などのさまざまな問題があり、死に対する恐怖や不安を持つ人も多くいます。閉塞感を強く抱えるいまだからこそ、その観念が人々の『心の処方箋』として求められているのでしょう。自分は消滅するのではなく、自然のあらゆるところに存在して生き続ける、と思うことができれば、死の迎え方やクオリティ・オブ・デス(死の質)も、とても豊かなものになるのではないでしょうか」。
匿名